断章9 黒雨
竜。
いや、あれは竜なのか?
尾があり、角が生え、その体は鱗に覆われている。
逆関節の脚は、その体躯に比して小さな設置面で体を支えている。
だけど、直立するそのシルエットはむしろ、ヒトのそれに近い。
何より目を引くのは、両腕の刃だ。
爪ではない。
両腕の肘から先が鋭利な刃になっているのだ。
青白い燐光を纏うそれは、あまりの薄さゆえかその向こう側に月光が透けて見える。
風が吹き、月が翳る。
ゆらりとそれの影が揺れる。
「ノア! 来るぞ!」
俺は叫んで連弩を放つ。
咄嗟に放った一射目は大きく逸れたが、すぐに修正し、また放つ。二射目はまっすぐに奴の頭へ飛ぶ。
捉えた。
けど、青白い閃光が走り、矢は空中で四散した。精密に繰り出された刃が残光を残し、さらにこちらへ迫る。
俺もノアも、続けて矢を放つが、奴はそれを羽虫を払うように落としながら距離を詰めてくる。その度に刃は、黒く塗りつぶされた世界に青白い軌跡を刻む。
矢では止められない。
そう考えた時にはもう、奴はノアの目の前にいた。
勢いそのまま、右腕の刃が振り下ろされ、ノアは右に跳んだ。
そこへ横薙ぎに振るわれた左の刃を、今度は身を屈めて躱す。
コクピットの僅か上を閃光が走り、ノアの頭を掠めた。
冷や汗が背を伝う。
怯えている場合じゃない。このままじゃ俺もノアもここで死ぬ。
俺は大きく息を吸って、止めた。
両腕を振り切ったその刹那に狙いを定め、俺は矢を放つ。
「ガァッ!!」
矢は奴の右眼を射抜いた。
そして、残った左眼が俺を睨む。
深手を負わされた奴はしかし、どこまでも冷たい目で俺を見ていた。
「うぁぁぁぁぁああッ!!」
その顎へ、ノアが竜穿杭を当てがう。
その杭が射出される直前、青白い刃が一閃し竜穿杭ごと左腕が斬り落とされた。
「くッ……!!」
左腕を失ったことでバランスを崩した騎体へ、右の刃が振り下ろされる。
遠目にはもう、刃とは認識できない。
青白い光の帯が、尾を引くように夜闇を切り裂く。
ノアはそれにも反応し、受け止めようと右腕のブレードをその軌道へ差し込む。
「——ッ!! ノア!! ダメだ!!」
ダメだ。
やめろ。
止めてくれ。
止められない。
光の刃はノアのブレードに触れた瞬間、なんの抵抗もないみたいにそれを切断した。そして、一切の速度を失うことなくノアの騎体をも切り裂いた。
騎体は後ろへ尻餅をつく形で倒れ、ベルトごと斬られたノアがずるり、とコクピットから落ちるのが見えた。
無我夢中で前へ出そうとした俺の騎体はしかし、つんのめるようにして転倒する。
その衝撃で朦朧としながら俺はベルトを外して騎体を降り、ノアの元へ駆け出した。この時もう、そこいるはずの竜も目に入らなかった。
「ノア……返事をしろ……! ノア……ッ!!」
抱き起こしたノアは肩口から腰へ、袈裟懸けに深く斬られている。裂かれた服は血に濡れ、真っ赤に染まっていた。
けど、まだ息がある。
受けた瞬間、ブレードでは受け止められないと悟り咄嗟に後ろへ跳んだのだろう。
早く。
早く治療しないと。
でも、どうやって?
もう動く竜騎も無い。
ノアを運んでやることも、できやしない。
ポツリ。
雨粒が頰を叩く。
流れ出る血が手を濡らす。
熱い。
反対に、その血にノアの熱が溶けて流れ出てるみたいに体が冷たくなっていく。
そもそも、どうやってこいつから逃れられるんだ?
奴が、俺を見下ろしている。
竜騎に乗らずに見る竜は、こんなに大きかったのか。
最期の最期に、こんな間の抜けたことを考えてる自分がおかしくて、妙な笑いが漏れた。
刃が振り上げられ、俺は目を閉じた。
ドッ。
鈍い音がし、ドシャッと大きなものが濡れた地面に倒れる音が続く。
恐る恐る目を開く。
「ガキども!! 生きてるか!!」
小型騎。
グラードの小型騎だ。
けど、何かが違う。
普段は背部に格納された尾が解放され、脚は逆関節に変形している。
「こいつがハディトたちをやったのか? なんだァ? 気色悪い奴だな」
「グラードさん! そいつの刃はブレードでも受けられない!」
「——だろうな」
ヒトに似た竜と、竜の姿をした竜騎が向き合う。
ジリ……と間合いを測り、互いに相手の出方を伺っているようだった。
先に動いたのは竜だった。
右腕の刺突。グラードはそれをあえて左へ躱す。左腕の追撃を封じつつ、右腕の下へ潜り込むと脇腹に竜穿杭を押し当てた。
竜が腰を引くと、その腹を撃ち出された杭が掠めて浅く切り裂く。
「ちィッ! いい反応しやがる!」
突き出した右腕を後ろまで振り下ろし、脇の下に潜り込んだグラードを狙う。
グラードはその背後へ回り込みながら、膝裏をブレードで切り裂いた。
竜は膝をつき、すぐさまその背に矢が突き刺さる。
振り払うように上半身を捻って背後を斬るが、その時にはもう、グラードの姿はそこには無い。
長く猟場に身を置くこの男が、なぜ小型騎に拘るのか、その理由が分かった気がした。
攻撃を躱し、矢を撃ち、斬りつける。
グラードは恐らく、誰にも真似できない精度でそれをこなしている。
だが、やはり決め手に欠ける。
小型騎の出力では、簡単に致命傷は与えられない。
一方、グラードは竜の刃を受ければ一撃で終わりだ。
優勢なはずなのに、勝利への距離は比べようもなく敵の方が近い。
グラードが、ちらりとノアを見た。
「……埒が明かねぇな」
深く身を屈め、竜の懐へ飛び込むと、首、胸、腹と信じ難い速度で連弩を三度放った。
「ガァッ!!」
鮮血を流し、竜が吠える。
右腕の刃が斜めに振り下ろされ、それに対しグラードは僅かに右へ動く。
刃はそのまま地面まで達し、騎体と、グラードの左腕を斬り落とした。首を捻って致命傷を避けたグラードが、不敵に笑う。
そこへ更に追撃せんと振られた左腕は——ずるり、と肩口から地面に落ちた。
竜が苦痛に口を開いたその時、下から突き上げられたブレードがその顎を貫いた。
ブレードは頭蓋を貫通し、力を失った竜の身体がグラードの騎体へのしかかるように倒れる。
雨が強まりつつあった。
「へへ……なんて顔だよ……」
ノアが俺の顔を見上げて笑った。
今まで見た、どんな笑顔とも違う顔で。
こんな状況で笑えるくらいだ。よほど酷い顔をしてるんだろう。
「ノア……ノア……!」
言うべき言葉が見つからなくて、俺はただノアの名を呼んでいた。
「……こんなことなら、竜狩りになんか……ならずに……お前の子供でも……産んでやりゃ、良かった……かな」
「なに……なに言ってんだよ」
「へ……冗談……だよ……。けど……」
いつも眩しいほど強い光を宿してたあの瞳が、力を失っていくのを感じる。
「お前の、隣に……立って……たかったんだ。がっ……は……。いててて……」
「頼む……死ぬな……! グラードさん! なんとか……なんとかならないのか!」
グラードは自ら左腕を止血し、俺たちを見守っていた。
「ここから医者がいる町まで、最低でも二日はかかる」
それだけ言って、片腕で騎体の応急処置を始めるが、その左腕に巻いた包帯にはもう血が滲んでいる。
「……いいんだ。お前は生きて……レグナ。お前が……いたから、生きて……こられた。きっと。ああ……でも……やっぱり悔しいな。もっと——」
雨が、強くなる。
「……海……きれいだった……。もっと……レグナと、色んな景色を……見たかったな……」
俺は、何も言えなかった。
どんどん青白くなる顔から目を背けそうになるのを必死で押さえつけた。
「最後に……一つだけ、頼みがあるんだ……いいか?」
声にならなくて、俺はただ必死で頷いていた。
「四つの……妹がいる……。あの子もきっと……竜狩りになろうとする……。だから……ボクみたいに……ならない……ように……」
瞼が、ゆっくりと落ちていく。
うつらうつらと、眠りに落ちるように。
「ナト……ラ……」
頬を伝い、顎から落ちるこれは、雨か。
冷たいから、きっとそうだ。
いつしか土砂降りになった雨の下で、グラードの騎体が再び動くまで俺は、ただノアの身体を抱いたまま黒雲に覆われた夜空を見上げていた。
今なお止むことのない、黒雨を。




