第三話 竜災の影
帝竜。
稀に現れる突然変異体だ。
出現例が少なく詳しいことは分かっていないが、体内に竜素を異常蓄積した個体であるとされている。
「帝竜と見られる飛竜の発見地点を中心に、走竜の小型化が確認されています」
それを聞いた瞬間、レグナの横に立つリヴィアの顔色が変わった。
どうやら彼女も聞かされていなかったようだ。
「もう相変異が始まってるのか?」
個体として強大である事は勿論、真に厄介なのは周囲の竜を種に関係なく変異させ、群れに取り込んでしまう事だ。
「如何にも。事態は一刻を争います。速やかに帝竜を討ち、事態を収束させねばならない」
さもなくば群れは嵐のように周囲を巻き込み、膨張し、近隣の村落を滅ぼし、遠からずこの帝都を襲うだろう。
「だったらすぐに軍を動かせ」
帝竜に率いられた群れとぶつかるとなれば、それはもはや狩りなどではあり得ない。戦争だ。
事態を収拾できるとすれば、軍を置いて他にない。
「帝国軍はまだ動かない。これは元老院の決定です」
この返答は予想通りだった。
でなければ、自分がここに呼ばれた理由がない。
「お……お言葉ですが閣下。帝竜の発生に際しては迅速に軍を投入し鎮圧せよと先帝がお決めになられたのでは……。元老院の決定とは言え、アタランテなどに任せられるのですか?」
リヴィアが恐る恐るといった様子で訊ねる。
「アタランテをもって、事態を処理せよ。これは元老院が決定し、皇帝陛下の裁可の後、勅令として下された決定事項です。異を唱えると言う事はすなわち、陛下の御心に背くという事ですよ」
「めッ……! 滅相もありません。そのような事……」
リヴィアはそれきり、俯いたまま沈黙してしまった。
「で、俺たちに狩猟騎で帝竜を狩れと? 笑えない冗談だ」
狩猟騎は同型であっても軍用騎に比して明確に性能で劣る。
装甲の材質、厚み。各種動力系の精度。そして何より、ベースとなっている竜骨の質が違う。
竜素を多く含み、青白い光を放つ上質な竜骨は軍用機に回される。
猟用機に使われるのは、軍用機の規格を満たさない粗悪な竜骨だ。そして、竜骨の質は騎体の出力に直結する。
「私が冗談を? ふふ、面白い冗談ですね」
「……火器制限の解除は?」
火薬を用いた武器の使用は、狩猟では通常許可されない。
「ありません。第一級中大型狩猟装備まで許可されます」
「……話にならんな。連弩で空を飛ぶ竜と戦えと? 帝竜を討ち損なえばどうなる。帝国の連中は十年前の事も忘れたのか?」
「”シレンスの悲劇”ですか。——あなたは確か、その生き残りでしたね」
「……」
「作戦部隊の編成は私がやりましょう。あなたに任せたら一人でやるなどと言い出しかねない。ただし、陣頭指揮は執ってもらいます」
「おい、俺はまだ引き受けるとは——」
無論、アタランテに拒否権などあろうはずもなく、それをよく理解している。
「信じてるんですよ、私は」
ヴァレリウスが柔らかな笑みを浮かべる。
「あなたがまた生き延び、竜の首を手に帰ってくると。——数多の屍を踏み越えて、ね」
レグナは舌打ちする。
その悪辣な信頼に応えるように。
「……さっさとあんたの仕事に取り掛かれ。国を滅ぼされたくないならな」
「それは……ふふ、責任重大ですね」
嗤うヴァレリウスに背を向け、レグナは執務室を後にした。
滑車が音を立てて扉が開き、レグナとリヴィアは庁舎内に設置された昇降機へと乗り込む。
顎に手を当てて何やら考え込むリヴィアがやにわに口を開いた。
「——やはり解せない」
「何がだ?」
「このような国家の存亡の危機をお前たちなどに託すという決定をされた事がだ」
「そんな事か。簡単な話だ。奴らはこれを国家の危機だなんて思っちゃいない」
「何を言う!! 帝竜が現れたのだぞ! 群生相と化した無数の竜が押し寄せれば幾つの村落が滅ぶ! この帝都とて——」
「帝竜を殺せば群れは散る。そして奴らは帝竜一頭ならいつでも討てるとたかを括ってる」
「そうだ! 栄えある帝国陸軍なら、帝竜のたかが一匹恐るるに足らん! それに、群生相への変異が広がる前に討たねば竜骨の汚染も取り返しがつかなくなってしまう」
帝竜の影響下で相変異した竜の竜骨は赤黒く変質し、竜素の含有量が上昇する一方で、制御が不可能になり価値を失ってしまう。
先帝が”シレンスの悲劇”の後、帝竜の即時駆除を掲げたのは、人や町の被害よりもその経済的損失を重く見ての事だったとも言われる。
「だが、そうしない。なら何か理由か……思惑があるはずだ。軍を動かせない、あるいはアタランテを動かしたい理由が」
その言葉で、リヴィアは再び沈黙し思考に耽る。
レグナもまた、帝国の動きにきな臭いものを感じ取っていた。
ヴァレリウスは何か重要な事を隠している。
直感に過ぎないが、そう確信していた。
ガシャンという金属音と共に足元が揺れ、扉が開いた。
そのまま、都市下層へと下る昇降機の前まで歩く。
「死ぬぞ。13号」
「……かもな」
「私は陛下に死ねと言われれば死ぬ。帝国軍人として、ノクティルカの末席に連なる者として国家と、皇帝陛下に忠誠を誓っているからだ。だが、お前たちは違う。志も、大義もない。ならば何のために生き、何のために死ぬ?」
「俺たちは矢だ。放たれ、折れなければ回収される。矢に意思なんて無い。あったとしても、放たれた方へ飛ぶことしか許されない。あんたと違って誉れある死なんて望まないし、望むべくもない。俺たちはそうしか生きられないし、そもそも——」
レグナの低い声に、リヴィアは息を呑む。
「俺たちをそうしたのは、他ならぬあんたらだ」
上がって来た昇降機の扉が開き、レグナは独り、籠へと入る。
リヴィアが何か言おうと唇を動かしたが、レグナはその言葉を受け取る事なく背を向けた。
ガコン、と床が揺れ、一瞬の浮遊感の後に降り始める。
澄んだ風が少しずつ、湿り、悪臭を孕む空気と置き換わっていく。
この世に生を受けたその時から、慣れ親しんだ空気に。




