断章5 霹靂
隊がシレンスに着いたのは、日が大きく傾いてからだった。
海沿いの市街地から外れた丘の上。
シレンス内のアタランテ居住区は帝都の特区と違って、日が当たるし風通しも良い。
風は少し生臭いような慣れない匂いがしたけど、これが海の匂いらしい。
立ち並ぶ家々は市街地のそれに比べれば粗末だが、洗濯物が乾くだけ遥かにマシだろう。
何よりここには、上からのしかかるような重圧感が無かった。
「よく来てくれた。俺はジェラーダだ。ここの代表をやってる。アタランテ同士だ、名前でいいよな?」
男が差し出した右手をハディトが握る。
屈強な大男だが、髭は伸びっぱなしで顔は憔悴しきっているように見えた。その様子からも、シレンスが置かれている状況を窺い知れた。
「構わない。僕はハディトだ。早速だが状況を確認したい」
「集会所を作戦本部にしてる。そこで話そう」
「承知した。皆は広場に宿営地を作ってくれ。グラードさんはついて来てくれ」
「おうよ。おい、新人ども! えーっと……レグナに……ノアだったか?」
グラードに呼ばれ、俺たちは前へ進み出た。
「お前らも来い」
「え、良いのか? 俺たちなんかが」
俺は困惑して訊ねた。
右も左も分からない新人が同席するような話とは思えなかったからだ。
「お前ら主席と次席だろ? 幹部候補生ってやつだ。こういう場も経験しとけ。で、はよ一人前になって俺に楽させろ。副隊長なんて柄じゃねぇんだ」
「行きます! 行かせてください!」
ノアは目を輝かせている。こうなると、断るに断れない。
折角の外地なんだから、外を見て回りたかったけど。
「随分と若いのを連れてんだな。帝都はよほど人手不足と見える」
グラードについて集会所に現れた俺たちを見てジェラーダはそう言ってから自嘲するように笑った。
「ホヤホヤの新人どもだ。ま、見学させたってくれ。こう見えて帝都訓練所の首席と次席様だ」
「……まぁ、構わんが。早速だが、状況はかなり悪い。こいつを見てくれ」
ジェラーダはテーブルに広げられた大きな地図に目を落とす。
地図はシレンスを中心に描かれており、その周囲にはいくつものバツ印が刻まれている。
「——襲撃範囲が広すぎる。街道に、周辺の農場。それに海上もか」
ハディトが地図を見下ろして言う。
「ああ。陸路も海路も、もうこのシレンスに安全な道はない。交易路を完全に潰されちまってるから、町のお偉がたも煩いったらありゃしない」
「それで帝都に応援要請を出した、というわけか」
「……本音を言や、俺らでなんとかしたかったとこだがな。飽和攻撃を受けちゃあ二進も三進もいかん」
「海は水棲竜が?」
「ああ。漁にも出られねぇから、交易が止まってるのもあって既に食糧が不足してきてる。このままじゃ、町に閉じ込められたまま飢え死にする羽目になりかねない」
「……最悪、住民を護衛して脱出させるか。しかし、シレンスの住民を帝都は受け入れるか? そもそも、数万の住民を護衛するには騎体が圧倒的に足りない」
「おい、ハディト」
地図を睨んだまま思考に耽るハディトをグラードが引き戻す。
「アレの話をすべきなんじゃねぇのか?」
「——そうだな、避けては通れないか」
そう言うと、ハディトは小石ほどの赤く発光する何かを地図の上に置いた。
あれは——
「竜骨……?」
思わず声に出してしまい、俺は慌てて口を閉じる。
けど、ハディトはそれを咎めることなく頷いた。
「そうだ。これは道中襲ってきた走竜の脊椎だ。見ての通り、赤色変異を生じている」
その骨を見て、ジェラーダは無言で固まっている。見て分かるほどに、顔色が悪い。
「つまり、竜種を跨いで群生相への相変異が始まっている。少なくとも、その恐れがあるということだ」
言いながら、ハディトは両手をテーブルの上に置いた。
「あなた方はとっくに気づいていたんじゃないか? いや、何頭も狩り、解体したはずだ。気づいていないとおかしい」
ハディトの目がジェラーダを鋭く射抜く。
「——帝竜発生の可能性に」
ジェラーダは目を見開き、しかし視線は落としたまま固まり——やがてゆっくりと口を開いた。
「……そうだ。襲撃が頻発するようになってしばらくして、俺たちは走竜の頭骨に微かな赤色化を見つけた。すぐに町長や、駐屯軍に報告したが、奴ら結託して握り潰しやがった」
「握り潰した?」
「理由は色々ある。交易を止めたくないだの、皇帝陛下の不徳が原因だなどと抜かす輩が現れるだの、だ」
「そんな理由で……ッ」
ハディトは何か言おうと一度開いた口を閉じ、深呼吸をしてから静かに問い直した。
「帝竜はどこに?」
「ずっと探してるが、見つからない。この町からそう遠くない場所にいるはずだが」
「見つからない……。これだけの影響力を持つ竜が……? まさか——」
ハディトが再び地図に目を落とす。
「海——か」
ずん——。
テーブルに置かれたカップの水面に波紋が生じる。
ずん——。
波紋が少し大きくなり、ランタンが揺れ、影が暴れる。
ずん——。
一際大きく揺れ、カップが床へ落ち、割れる。
心臓が早鐘を打つ。
俺たちは集会所から飛び出し、まるで引き寄せられるように海の方を見た。
いつの間にか日は沈み、双子月が水面に揺れている。
だが、水面にある光は映り込んだ月だけじゃない。
うねるようにゆっくりと明滅する赤い光が、岸に近づいている。
その水面が——盛り上がる。
陸に向け、白波を立てながら。
やがて海が裂け、巨大な背鰭が現れた。
そして——立ち上がる。
海の上に、いきなり山が現れたようだった。
俺もノアも、他のみんなもぽかんと口を開けてそれを見ていた。
巨竜が、月に吠える。
音というより、それはもはや衝撃に近かった。
思わず両手で耳を塞いで、それでも俺はあいつから目を離せなかった。
「おい、あれ!!」
隣に立つノアが、北の方を指差す。
その先で光の玉が白く輝きながらゆっくり高度を落としていく。
「オイオイオイ、ありゃ襲撃を知らせる照明弾だろ」
グラードがそう言った次の瞬間——シレンスの町の周囲、その四方八方で照明弾が上がった。
「あいつが呼んだんだ……」
俺は熱に浮かされた様にぐるりと光の玉を見回し、そして海からその巨体を覗かせる帝竜を見た。
赤く燃える瞳が、シレンスの街並みを見下ろしていた。
俺はあの時思ったんだ。
神様がいるとしたらきっと、ああいう存在なのだろう、と。
絶対的で、圧倒的に理不尽な力の化身。
その咆哮に腑を揺さぶられながら、なぜか俺はワクワクしていたんだ。




