第二十話 幕間・次なる狩りへ
リヴィアと連れ立って特区を歩くと、思いの外耳目を集めてしまうということが分かった。
軍の人間が特区を歩いていること自体はそう珍しくはない。
軍服に身を包んでいるにも関わらず、真っ白な紙に血を一滴落としたように文字通りその場の色を変えてしまうのは、流石は上流貴族のご令嬢と言ったところだろうか。
何をせずとも目立つのだから、せめて黙って歩いて欲しい。
レグナのささやかな願いは通じず、リヴィアは身振り手振りを交えつつ先日の帝竜討伐戦の反省会を繰り広げている。
どうすれば討てたか。
何が悪かったか。
備えは十分だったか。
討てぬなら、如何にすれば被害を減らせたか。
レグナはなるべく目立たぬよう、小声で相槌を打ったり質問に答えたりしつつ家路を急ぐ。
「——けど、俺なんかより将軍殿に聞いた方がためになるんじゃないか? 家にいるだろ、二人も」
リヴィアの父、そして兄は共に将軍位に就いている。
父、セヴェルス・ノクティルカはニ十ニ年前、東方のニクス諸島連合との戦争で大きな戦果を挙げた。
大陸へ上陸した艿国軍を掃討し、更に西端の一島を切り取った上で終戦させたのだ。
セヴェルスの提案により島は中立の自由貿易拠点とされ、現在では世界中の貿易船で賑わう。
今では島はセヴェルス島と呼ばれ、帝国と艿国の融和の象徴とされている。
兄、カシウスは帝国史上最年少で将軍位に昇った男だ。
こと、竜騎の扱いでは軍で右に出るものはいない。
帝都の酒場においてはカシウス将軍派と竜狩り13号派の論争が起こらない日はないが、当のレグナは当然、知る由もない。
「莫迦を言え。お二人ともご多忙なのだ。こんな相談など出来ようはずもないだろう」
「……俺は暇人だと思われてるんだな」
「それに……父上も兄上も、帝竜発生の報をご存知ない様子だった」
「……なに? お前のとこの長官殿は帝竜への対処は元老院と陛下の采配だと抜かしたぞ。それを将軍が知らないはずがないだろう」
「そうだ。だから長官にそれとなく訊ねてみたのだが……」
リヴィアは歩く足を止めた。
「あれは……はぐらかされた、というよりはこれ以上は追求するな。そんな態度だった」
「……いいのか? そんな話を俺にして」
いいはずがない。
これは帝国上層部に生じた、不協和音に関する話だ。アタランテなどに知らせていい話ではあり得ない。
「お前も当事者だ。知る権利を持つものと判断する。それに——」
目を逸らし、微かに言い淀んでから再びレグナを見た。
「一人で抱えるのがしんどくなってきたところだ。ふふ、お前にも背負わせてやる。ありがたく思え」
笑みを浮かべて言うリヴィアに、レグナは虚を突かれた顔になり、それから深いため息をついた。
「……まったく、いい性格してるよ」
そう言って歩き出したレグナの背を、リヴィアは追った。
我が家の前まで来たレグナは、即座に異変に気づく。
中からはドタドタと走り回る音と、どこか切実な声が聞こえる。
「おい……大丈夫か、これは」
心配そうに言うリヴィアに半歩後ろへ下がるよう合図し、ドアノブに手をかける。
思い切ってドアを引く。
ドン、と腹に鈍い衝撃。
下を見ると、妙に艶のない黒髪が揺れていた。
その黒いカーテンの隙間から、紫色の瞳がこちらを見上げる。
「レグナ?」
「……何やってんだお前らは」
レグナの腹にしがみつくマナの背後では、ナトラが妙なポーズで固まっていた。
「先生……おかえりなさい……です」
「手間、掛けさせたみたいだな」
「う〜……。その子が先生に会いに行くって聞かなくて。——ヒョワッ! リヴィアさん!? ナンデココニ!?」
ようやくレグナの後ろに立つリヴィアに気づいたナトラが、禁足地で聴いた怪鳥のような声を上げた。
「久々に会いに来てみれば、随分な挨拶だな。その娘が件の妹か。思いの外、歳が離れているのだな。それに、お前の妹がこんな可憐な……。本当に兄妹なのか? 攫って来たんじゃないのか?」
事実妹などではないし、何処かから連れて来たのだから肝が冷える。だが、それはそれとして随分と失礼な言い分だ。
「……大きなお世話だ。それに、ここじゃこれくらい歳が離れてるのは普通だ」
リヴィアに微笑みかけられたマナは、その顔をじっと見つめ返している。
「……珍しいな、紫水晶の瞳とは。尊き血の方々以外では初めて見る」
尊き血、というのは征竜帝に連なる者——即ち帝室の連中のことだろう。
「そうか? そうでもないだろ」
白銀の髪ほどではないが、紫の瞳もまた皇族の証とされている。
ヴァレリウスが先帝の落胤だなどと噂されるのも、その瞳の色が発端だと言われている。
「あ、お茶淹れますね。お二人は座っててください」
ナトラはそう言うと、竈門の方へと向かう。
レグナがテーブルに着くと、マナがその膝に座り、リヴィアがその向かいに座った。
「……なんだ?」
リヴィアの視線に耐えかねて問う。
「読むのだろう? 例の指令書を」
リヴィアはテーブルに両肘をつき、組んだ手の上に細い顎を置いた。
「なんだ、監察官殿は本当に中身を知らないのか?」
「だから知らんと言っただろうが。今回はそれをお前に届けるように、とだけ言われた」
「なるほど」
レグナは内ポケットから封筒を取り出すと、蝋で厳重に綴じられたそれを乱雑に破いた。
その様子に眉を顰めるリヴィアをよそに、中から現れた書面へと目を走らせる。
狩猟指示
ディアデマ山脈の麓、サペの村北の平原で発生した、大型走竜の群れを狩猟せよ。
群れの規模は十頭前後と推定される。
地域住民の生活に深刻な影響が発生している為、迅速な解決を求める。
尚、大型走竜の竜骨は可能な限り損壊を避け持ち帰ること。
編成 最大五騎(中型機は二騎までとする)
武装許可 中・大型狩猟装備
アタランテ特区管理局長官 ヴァレリウス・ヴェルナー
意外なことにそれは、なんの変哲もない狩猟の指令書だった。
レグナはてっきり、例の帝竜絡みの指令だろうと踏んでいた。
指令書をリヴィアの前に投げる。
「……北の地、か……。確かに、大型走竜の群れとなれば簡単な狩猟ではないが……。お前を使うほどなのか? 帝竜の件も片付いていないというのに」
「どうだかな。……それより場所がきな臭い。シデラの土地に近すぎる」
シデラというのは帝国の北、ディアデマ山脈以北に棲む異民族だ。
国家という形態を取らず、複数の部族が広大な土地に点在している。
しかし、ひとたびその土地を侵す者あらば、彼らは団結してそれに抗する——とされている。
三百年ほど前、帝国は山脈を越えシデラの地へと侵攻したが、帝竜の発生も重なり大敗を喫したという。
それ以降、シデラと帝国は暗黙の元、不可侵を貫いている。
その境界にほど近い地点での狩猟は、蜂の巣を突くことになりかねない。
「けれど、サペは紛れもない帝国領だ。その防衛のためとあらば致し方あるまい」
リヴィアの言葉には理がある。だが、懸念はそれだけではない。
「それに、帝都から距離がある。現着してから帝竜が動き出したら絶対に間に合わない」
「その時は、今度こそ帝国軍が動く。心配はいらんだろう」
「……そう願いたいもんだ」
「全部一人で背負おうなどと、自惚れるな。お前はお前に与えられた仕事をこなせ」
「新しいお仕事ですか? 北の方、私も行きたいです!」
熱い茶の入ったカップを二つ手にしたナトラが暢気な顔で会話に割り込む。
「お茶をどうぞ。熱いので気をつけて」
「ああ、頂くよ」
リヴィアはカップから立ち昇る湯気に顔を撫でられると、眉間に深い皺を寄せた。
「……これはなんの茶だ?」
「アカヨモギの葉を煎じた茶だ。まさか、本物の茶の葉を使った茶が出ると思ったか?」
レグナは茶を啜ってから、少し意地悪く言う。
「ぐ……。帝国軍人たるもの、茶などに怯んでなるものか」
覚悟を固めたリヴィアは、カップに口をつける。
「にっ……!? げほっげほっ」
むせるリヴィアを横目に、レグナは茶を飲む。
「薬臭いし苦いが体に良い。まぁ、無理はするな」
「む……無理などしてない。ふん、もう慣れてきた、ところだ」
リヴィアはそう言うと、ぐいと飲み込むが目を白黒させている。
「ヒトの子。マナのは?」
「今淹れてるからちょっと待ってね」
カップは二つしかないので、ナトラはスープ用の器を二つ出し、赤茶色の液体を注ぐ。
「マナちゃん、どうぞ。私も頂きますね」
ナトラも席につき、器に口をつける。
特区の人間には慣れ親しんだ味だ。
が、
「だーーーーーー」
「あっつ!!」
口にした茶が、膝の上に座るマナの口からレグナの脚を濡らした。
「にがい」
「……お前は白湯でも飲んでろ」
レグナは膝からマナを下ろし、立ち上がってから腰のベルトに手を掛ける。
「おまッ、何を!?」
素っ頓狂な声を上げたリヴィアが顔を真っ赤にしている。
「何をって……着替えないと。火傷してるかもしれんだろ。下着は穿いてる。気にするな」
「気にするなってお前……。ここには年頃の——」
ふとナトラを見ると、顔を両手で覆っているがその隙間から血走った目が覗いていた。
「ワタシハカマイマセン。ササ、ドウゾドウゾ」
ナトラはそのまま、鼻息荒く着替えを促してくる。
「……やっぱりちょっと出ててくれるか」
リヴィアは頑として動こうとしないナトラの首根っこを掴むと、大股で家の外へと出て行った。




