断章3 親子
ドアを開き、閉じると錆びついた蝶番が苦しそうに二度、悲鳴を上げた。
「ただいま」
「……ああレグナ。お帰りなさい」
テーブルに向かっていた母さんは顔を上げてこちらを見ると薄く笑み、それから小さく咳き込んだ。
その手元には青白く光る欠片が散らばっている。あれは多分、竜骨の欠片だ。
破損し、竜騎の内部骨格に不適格とされた竜骨は、それでもなお利用価値を持つ。
あの欠片は、加工して竜素通信機などの部品に利用されるのだ。
竜脂のランタンが頼りなく手元を照らす中、母さんは慣れた手つきで欠片を規定の形へと削り出していく。
「……これが出来たら夕ご飯にするから、少し待ってね」
「ん」
焦らせまいと、あえて気のない返事をしてから俺は竈へ向かった。
その中へ薪を組み、いつでも火を着けられるよう支度する。
竈にはすでに、昼に作ったのであろうスープが入った鍋が乗せられていた。
蓋を取って中を見ると、珍しく肉が入り、冷え固まった脂が浮いたスープがなみなみと湛えられていた。
「ん〜……」
作業を終えた母さんが、強張った体をほぐすように伸びをするのを見て、俺はランタンから取った火を薪を移す。
「肉なんて、どうしたんだよ」
薪が燃え上がるのを見届けてから、母さんと向かい合うように椅子に座る。
「だって、今日は訓練所の卒業式だったでしょ。お祝いしなきゃ」
「そんな大層なもんじゃないよ」
「そんなことない。今日からもう、大人になるってことなんだから。それに、首席だったって聞いたよ?」
「それは……って、誰から聞いたんだよ」
「誰って、カーラからよ」
「あー……」
カーラ、というのはノアの母親だ。
小柄なのに豪快に笑う人で、俺も小さい頃から世話になっている。けど、怒らせると凄い怖い。
母さんとは小さい頃からの友人で、姉妹のように育ったという。
そしてその関係は、ある意味で俺とノアにそのまま引き継がれるような形になっていた。
「そう言えば……ノアの奴、女だったんだ」
「えっ……」
母さんが口を押さえて驚いている。
驚くのも無理はない。十五年も男だと思っていたんだから。
「レグナ……お前……本当に気づいてなかったの?」
「えっ……」
予想外の言葉に俺は固まった。
「か……母さんは知ってたの?」
「当たり前じゃない。あの子のオムツを変えたこともあるのに」
頭がぐらりと揺れる。
ノアは訓練所の連中も大体知ってると言っていた。
本当に俺だけが気づいていなかったのか。
自らの鈍感さ、朴念仁ぶりに嫌気が差す。
「ちっちゃい頃ならまだしも……お前……ぷふ……あははは!」
堪えきれず吹き出し、目尻に涙を溜めてて笑う母さんの姿に、俺は怒るに怒れなくなった。
こんな風に楽しそうに笑う母さんは、いつぶりだろうか。
鍋の蓋がカタンと音を立てた。
吹きこぼれそうになった鍋に俺は飛びつき、火から下ろす。
そのままテーブルへ運び、皿へとよそっていく。
石よりは少し柔らかいパンをその横に添えると、母さんはいつも通り神様に祈りを捧げ始めた。
俺は祈らない。
十歳の頃から、祈るのをやめた。
初めは母さんも祈るよう言ってきたが、いつからか言わなくなった。
こんな地獄を創り俺たちを落とした神になんて、なんで祈らなきゃならない。
俺や母さんが何をしたって言うんだ。
確か、そんなような事を言った気がする。
子供ながらの、世界へのささやかな抵抗だった。
けど、同時に八つ当たりでもあったと思う。
それ以来、母さんは俺に祈れとは言わなくなった。
けれど、自身が祈ることはやめなかった。
だから俺は、その祈りが終わるまでただ、待っていた。
「——さあ、いただこうね」
「いただきます」
その言葉は神ではなく、作ってくれた母さんと、食材へ。
久しぶりに口にした竜肉は、固いけど美味かった。
スープそのものも、豆と野菜だけの時より段違いに美味い。
「それにしても、お前が首席なんてね。血は争えないね」
夢中で匙を口に運んでいると、母さんが噛み締めるように言った。
「血……?」
「あの人……父さんも、首席で卒業したんだよ。もの凄く強かったって。見たことはないんだけどね」
「……どれだけ強くても、すぐ死んじまったんじゃないか」
父親に当たる男は、レグナが生まれてから二年後、たった十八歳で死んだ。
「……そう。どれだけ腕が良くても、良い騎体に乗っても、気をつけてても、死ぬ時は死ぬ。それが竜狩りだから」
覚悟と諦観に彩られた、毅然とした言葉だった。
母さんは匙を置き、テーブルに視線を落とす。
「……分かってたはずなんだけどね」
ポツリ、と継いだ言葉は血を吐くような痛みに濡れていた。
「お前が女だったら、絶対に竜狩りになんてしないのに。そう思ったこともあったけれど」
その言葉に、心臓を鷲掴みにされたような気持ちになる。
「そんな事……言うなよ」
俺が死んだら、母さんはひとりぼっちだ。
この地獄みたいな世界で、ひとりきり。
「……死ぬな、なんて言えないから。だから、生きなさい。最期まで、それがいつだったとしても」
「母さんより先に死ぬつもりはないから、安心しろよ」
「……そっか。なら、長生きしないとね」
その言葉は自分に言い聞かせてるみたいだった。
「あ、それと」
母さんは匙を手に取ると、こちらにビシッと突きつけた。
「ノアを大事にすること! あの子がああなったのはお前の責任なんだからね」
「……なんで俺の?」
言葉の意味が分からず、パンに齧り付く俺を見て母さんは呆れたようにため息をついた。
「はぁ……あの子も苦労するわね」
あいつに振り回されて苦労してるのはこっちの方だ。
そんな文句は、筋張った竜肉と一緒に飲み下した。




