第十六話 二つの鍵
「……五頭か。オスを含めた左の三頭は俺がやる。右の二頭、やれるか?」
森の中から丘の上に屯する小型走竜の群れを発見し、レグナはナトラへ指示を飛ばす。
「任せてください! なんなら私が三でもいいですよ」
「調子に乗るな。行くぞ」
他より一回り大きく、頭に派手な飾りのある一頭に弩の照準を合わせ、放つ。
矢は風を切り、竜の皮膚を容易く貫いた。
矢に胸を射抜かれた走竜はそれでも倒れず、血走った眼を森の中に潜むレグナの騎体へ向けた。
「心臓まで届かなかったか」
オスの視線に追従して、他の四頭もこちらを見——即座に大地を蹴る。
竜たちは互いに鳴き声を上げながら、直線ではなく時にジグザグに、時に横へステップを踏みながら向かって来る。
レグナは弩で牽制しつつ、右腕に折り畳まれたブレードを展開する。
左手から大きく回り込んで来た一頭の姿が消えた。
そちらに意識が向いた瞬間、正面の一頭が強靭な脚をしならせて、跳躍する。
レグナはブレードを振るい、その喉笛を切り裂く。
刃が頸椎まで達さず、しかし確実に命を奪える深さで。
竜は喉から血を撒き散らしながら、跳躍の勢いのまま騎体に激突する。
キャノピーに血が飛び散り、視界の一部が赤く染まった。
その衝撃で僅かに体勢を崩しながら、左の藪へと矢を放つ。
ギャッ! 鋭い悲鳴が空気を裂いた。
薮の中では、今まさに飛び掛からんとした竜が、地面に縫い付けられていた。
右手からレグナに接近していた一頭は、目の前で喉を裂かれた仲間を前にその脚を止めた。
逡巡。
本能が逃走を選択した刹那、その首を掴まれ木へと叩きつけられる。
ナトラの小型騎だ。
首を掴まれ、木に押さえつけられた竜が苦しそうに呻いた瞬間、
バシュッ!
そのまま放たれた竜穿杭が顎から脳天を貫いた。
「あちゃー、すみません頭骨をやっちゃいました」
「油断するな。もう一匹だ」
「分かって……ます!!」
ナトラは背後から剥き出しのコクピットを襲う爪を、後方へ跳んで躱す。
突然消えた獲物に、なんとか着地した竜はつんのめるように体勢を崩す。
その背へ連弩の矢が三本、立て続けに撃ち込まれると竜は動かなくなった。
ナトラが丘に目をやると、血を流しながら四頭に指示を出すようにそこに立っていたオスは、レグナの矢の追撃を浴びて絶命していた。
「いやぁ、見事な手際だ。感心したよ。いやむしろこれは感動と言った方が適切かもしれんね。ま、狩りに同行するのは初めてなワケだが」
コクピットの左後ろに窮屈そうに立つフルカがパチパチと手を叩く。
もう二度と会う事はないだろう。そう考えていたレグナは、彼女が特区まで直接仕事を依頼しに来た時は流石に驚いた。
依頼内容は、行方を眩ました帝竜の捜索及び調査。
提示された報酬は、概ねレグナの生活費半年分だった。
随伴一騎まで、との要望だったのでナトラを連れて来たが、二人で山分けしても相当な高額の報酬だ。
「ところで、このおチビちゃんは?」
フルカはコクピットの右後ろにすっぽりと収まる少女の、黒い頭を指差す。
特区に一人置いておくわけにもいかず、連れて来たマナの頭だ。
「今更か……? そいつは妹だ。ほら、自己紹介しろ」
そう促され、マナはその紫水晶の瞳をパチパチさせてからフルカを見た。
「マナはマナ」
「マナと言うのか。ふむ、よろしく頼むよ。しかし……君は睫毛が銀色なのだな。それに、不思議な色の瞳だ」
髪墨で髪と眉毛は黒く染めたが、睫毛と瞳の色はどうしようもなかった。
マナにはとにかく、余計なことは言わないよう言い聞かせたが、どこまで誤魔化せるものだろうか。
「そいつの父親がそうだったんだ。母親は一緒だが」
「なるほど、それで君たち兄妹はあまり似ていないのか」
あまりどころか似ても似つかないはずだが、藪蛇になるのでレグナは黙っていた。
「やっぱりデルニクス・アンティルロプスだね。はぁ……美しい構造色だ」
フルカは硬い鱗で覆われた背を撫でて、うっとりと目を細めている。
「なんだそのデル……なんとかってのは」
「この子たちの学名だよ。アンティルロプスというのは均衡を保つもの、という意味だ。ほら、こう尾と体を地面に対して水平にして走るだろう。パパが名付けたんだ」
伸ばした手のひらを水平にして、クイクイと動かしながら言う。
「一番頻繁に出くわす竜だ。なりは小さいが、凶暴で俊敏。おまけに狡猾で、味方を囮に背後を襲ったりしてきやがる。新人の半数はこいつらに殺られる」
レグナは少し声に苛立ちを含ませる。
どこか竜に愛着を持っているようなフルカの態度が癇に障ったからだ。
しかしそんなレグナの様子はどこ吹く風で、フルカは楽しそうに竜の死体を調べている。
「そうそう。そういう行動や生態は死体を見ただけじゃ分からないことがほとんどだからね。こうしてフィールドワークに出るか、君たちの経験こそが竜種研究の礎となるんだ」
「……数えきれない死体の上に積み重なった知識と、経験だ。だがあんたも、帝国の連中もそんなもの知らなくたって生きられるだろ?」
「あたしは識りたいだけさ。知識と資料とデータを集め、体系化する。それそのものが目的なんだ。それをどう役に立てるかは軍の人間や、お前たちが考えればいい」
「死ぬかもしれないぞ。あんたの望み通り、帝竜に出くわせば。あんたは知識のために死ねるのか?」
「死ねる」
即答され、レグナは僅かに怯む。
学者などに、そこまでの覚悟があるなど微塵も考えていなかったからだ。
「けど、まだだ。知識を持ち帰り、形にしないとね。その過程で死ぬのは致し方なしだが、それでも悔いは残る」
そう言うと、フルカは鼻歌混じりに竜の死骸へ向き直る。
「それよりも、楽しみで仕方がないよ。帝竜をこの目で見る、正に千載一遇のチャンスだ。これを逃せば一生無いかもしれない。……クヒッ……クヒヒヒ……!」
そのあまりに不気味な笑いに、レグナは思わず仰け反った。
フルカの指示の元、頭部、胴、脚部、尾と肉を切り出し、骨の色を確認していく。
「やっぱり、こいつらは変異していないな」
「……お前さんたちの帝竜狩りの後、群れそのものが霧散している。消耗した帝竜は休眠期に入ったのかもしれないね」
「休眠期?」
「あくまで仮説だがね。熱線を放つのも、他の竜に相変異を起こさせるのも多量の竜素を消費するのではないか、と」
「確かに、熱線の放出中は付近の竜素濃度が通信不能レベルまで低下していた」
「……帝竜は周辺環境に影響を及ぼすほどの竜素吸着速度を誇るということか。ならば、竜素が不足したのではなく竜素の吸着に——ひいては、竜骨に限界が生じた可能性があるな。そして今は、その回復に努めている、と」
フルカは手帳のような物を取り出すと、何やらぶつぶつ言いながら文字を書き込んでいく。
その狂気じみた目つきに圧倒されたレグナは、声を掛ける事なくその場を離れた。
「積み込みは終わったか?」
仕留めた竜を運搬用の台車に載せていたナトラに声を掛ける。
「バッチリです! あ、もう一頭調べてたやつが残ってましたね」
「あれは俺が載せておく。野営の準備をしてくれ」
「りょーかいです!」
ナトラは元気よく返事をすると騎体を飛び降り、野営の支度に取り掛かる。
「あー、ナトラ」
その背に、少し躊躇してから声を掛けた。
「なんですか?」
ナトラは振り返り、小首を傾げた。
「さっきの動き、まあまあ良かったぞ。まぁ、竜骨は痛めちまってたがな」
「ホントですか!? いやーまぁ、自分でもかなりイケてたんじゃないかって思ってたんですよねー! あ、撫でてもいいですよ?」
そう言うと、喜色満面で丸い頭を差し出す。尻尾が生えていればきっとブンブン振っていたことだろう。
「……だから褒めたくなかったんだがな」
己の言葉を少し後悔して、ポツリとこぼす。
「ん? 今何か言いました? 更なる賛辞ですか!?」
「言ってない。さっさと仕事にかかれ」
シッシッと手の甲を振り、踵を返して自分の騎体へと向かった。
背後からする「もっと褒めてくださいよー!」などという声は無視して。
中型騎に乗り込み、ハッチを閉じる。
夕陽がキャノピー越しに差し込み、コクピット内を琥珀色に染めている。
座席の後ろを見ると、狭い隙間で丸まるようにしてマナが眠っている。
「マイア」
レグナの声に反応するように、コクピット内に覗く竜骨が青白く発光する。
『M.A.I.A.をお呼びですか? 管理登録者01、レグナ』
通信用のスピーカーから声が響く。
気味が悪いほどにクリアな音質で。
「騎体の各部チェックを頼む」
『重大な損傷無し。腕部人工筋肉に軽微な断裂がありましたが、修復済みです。接合した右腕の調子は如何ですか?』
「ああ、良好だ」
帝竜の熱戦で消し飛んだ右腕は、他の竜の骨を継いで修復した。
通常、これをすると極めて高確率で拒絶反応が出て、そこから赤色変異を起こしてしまう。
しかしマイアは拒絶反応の抑止が可能だとして、修復を勧めてきた。
結果、右腕は何の問題もなく元通りに接合された。
失敗すると確信し、愚痴りながら修復作業に当たっていたユーリが指の一本まで滑らかに動くマニピュレーターを見た時の顔は笑えた。
“禁足地”から脱出し、合流地点であるキャンプに向かう道中のことだ。
夜に一人、騎体のチェックを行っていたレグナに突然それは話しかけてきた。
マイアと名乗るそれは、マナの補佐をするために生み出され、始原の塔でこの騎体の竜骨へと入り込んだと言う。
マナ同様、まるで得体が知れないが、便利なのでこうして利用している。
便利なだけではない。
マイアが入ってから、この騎体の出力や反応速度は目に見えて向上していた。
「帝竜の位置は分かるか?」
『現地点から北北東、直線距離で35キロメートル。エストレラの単位で74ガロスです』
マイアは即座に返答する。
どうやって竜の位置を特定しているのかは不明だが、外れたことがないのだから細かい理屈を知る必要もない。
「お前の言う、マナの補佐ってのは何を指してるんだ?」
『彼女の父親——M.A.I.A.にとっても父と呼ぶべき存在が、マナに託した祈り、願いを遂げることです。そのために、現時点の最優先事項は、彼女が自らの名を思い出すことです』
「名前? マナじゃないのか?」
『マナもまた、彼女を定義する名です。ですが、彼女自身が忘れてしまった名こそ、その祈りと願いを叶えるための鍵なのです』
「お前は知ってるんだろ? こいつに教えてやればいい」
親指を立て、背後で寝息を立てるマナを指す。
『それでは意味がないのです。彼女の核に封じられた記憶は、その名を思い出すことを鍵としています』
「……よく分からないが面倒なんだな。結局お前は……お前たちは何者なんだ」
『その答えはいずれ、時が来ればマナの願いと、二つの月が明かすでしょう。M.A.I.A.はただ、あなたがあなたとして彼女に接することを望みます』
こうして数度話をしたが、最後はこれだ。
核心に触れる答えが返ってくる事はない。
だが、今はそれでいい。
予感があったからだ。
もうじき、世界が動く。
八百年間変わることのなかった世界の構造が、始まりの地で見つけた二つの鍵によって変化する。そんな予感が。
夕陽が地平線に沈み、辺りは少しずつ濃紺の闇に染まっていく。




