第十四話 ただ孤り
「レグナ、少しいいか?」
騎体の下に潜り込んで脚部の応急処置をしていると、頭上からリヴィアの声が降った。
「……なんだ? 今はいいが、帰ってから間違えて呼ぶなよ、名前」
「それくらい心得ている!」
アタランテに名は与えられない。
これは帝国においてアタランテ制度が始まってから百年程後に定められた法だ。
同時に番号制が敷かれ、アタランテたちは国から名と、僅かに残された人権すら奪われた。
その番号すら、竜狩りにならなかった者には与えられないのだ。
現状、アタランテが子に名を付け、その名で呼び合う事はお目溢しされている。
しかし帝国臣民、とりわけ貴族であるリヴィアがアタランテを名で呼んだなどと上に知れれば、不穏分子と扱われかねないだろう。
這い出して声の方を見ると、リヴィアはすっと目を逸らした。
「……”禁足地”で何を見た?」
それは監察官として、当然の質問だった。
そもそもアタランテが禁足地に立ち入ったとなれば、監察官の権限で処刑まで許される。
だが、リヴィアはその事には目を瞑る、と言っているのだ。
「何も。森に入って竜が追ってこないことを確認し、すぐに東へ移動してから北上した」
レグナは立ち上がり、背と尻に付いた落ち葉と土を払う。
「このキャンプ地まで二日もかかったのはなぜだ?」
「騎体の故障だ。見ての通り、あの機構は負荷がデカい」
断裂した人工筋肉を指して言う。
「……その改造も明確な竜騎製造基本法違反だ。管理局に知れれば処罰は免れんぞ」
「知ってるよ。ぱっと見で分かる武装以外、まともに検査もしないあんたらの落ち度だろ」
「……それは我々の問題ではある、が」
リヴィアがレグナに詰め寄る。
「これはハドカ神教の教えに叛いている。否、冒涜していると言ってもいい」
「知ってる。だがこいつが無けりゃ俺もあんたもあそこで死んでいた。違うか?」
言い返され、リヴィアは唇を噛んだ。
「アタランテは生まれながらの罪人で、竜を殺すことでその罪を贖うために竜を狩る。なら、少々罪を重ねようがそれを帳消しに出来るだけの竜を殺せば済む話だ」
リヴィアは俯いたまま、手を握りしめている。
ふとその頭上、レグナの中型機のキャノピーに頰を押し付けて二人の様子を見つめる目に気づく。
マナだ。
レグナは手で奥に隠れろとジェスチャーを送る。
が、その意図は通じずマナはいよいよキャノピーに貼り付くようにして、レグナのジェスチャーの意味するところを汲み取ろうとしていた。
「……なんだその妙な動きは。ふざけているのか?」
リヴィアが怪訝な顔で覗き込むように、いつになく挙動不審なレグナの顔を見上げる。
「いや、羽虫を払っていた、だけだ」
咄嗟に弁明するレグナの視線の先をリヴィアの目が追う。
が、その目がキャノピーに向いた時には既に、マナはコクピットの奥へと引っ込んでいた。
「せんせーぃ! 残存騎体への負傷者の割り当て終わりましたぁ! あ、リヴィアさんどうしたんですか?」
レグナが人知れず安堵の息を漏らしたところに、ナトラが杖をついてやって来た。
「ああ、禁足地で何があったのか聴き取りをな。お前はあそこで何か見たか?」
「あー、脚が痛くてそれどころじゃなかったんで、よく憶えてないですね。あそこには何があるんですか?」
思いの外自然に話を逸らしたナトラに、レグナは素直に感心していた。
「お前たちも知っての通りだ。世界の始まりの地。原初の森が広がり、その中心には創世神の居城たる”始原の塔”が立つ、禁足地であり、ハドカ神教の聖地だ」
それは帝国市民、アタランテ問わず子供でも知る創世神話の一節だ。
つまり、上級貴族たるノクティルカ家の人間でも、あの場所に何が眠っていたのかは知らない、という事か。
無論、知っているが秘匿されるべき情報であるという可能性もある。
その場合、リヴィアは禁足地で見たものについてカマをかけてきた事になる。
「——まぁ、何も見てないならいい。この私に隠し事をしようなどと思わんことだ。——おい、217号! それは置いて行け! 最小限の物資だけ積めと言ったはずだ!」
リヴィアは大声で指示しながら、引き上げの支度をするアタランテたちの所へ歩き去る。
驚くべき事に、リヴィアはこの狩りに参加した全ての竜狩りの番号と顔を把握していた。
それに気づいた時、レグナは驚きと同時に不安を覚えた。
死にゆく者たちを、数字ではなく個として認識しようとするその行為が、いずれ精神を壊してしまいやしないか、と。
いずれにせよ、マナの存在を知られるわけにはいかない。
リヴィアは貴族で、軍人だが信用に足る人間だとこの狩りで確信できた。
とは言え彼女が体制側の人間である事に変わりはない。
マナの存在と、それを隠していた事を知れば当然、国家を揺るがすものとして排除しようと動くだろう。
クソ真面目に、葛藤しながら。
だから、巻き込まない。
この先何が起きようと、起こそうと。
その責も、苦悩も負わせるつもりはなかった。
誰にも。
「先生?」
思考の海を孤り泳いでいたレグナは、その声に引き戻された。
「——先生がどこへ行っても私、ついて行きますから」
「……どこへも、行けやしないだろ」
「うーん。なんか今、すっごく先生が遠く感じて。こんなすぐ目の前にいるのに。……変なこと言ってますね、私」
ナトラは左手首をさすってからレグナを見つめる。
その真っ直ぐな視線に、手首の逆鱗から溢れる温かさに、頭の中を覗かれているような気分になる。
なのになぜ、それを心地よく感じてしまうのだろう。
お前に心地よい場所など。
存在を許される居場所など。
——安らかな死場所など、無いものと知れ。
声が響く。
頭の中で、声が、響いている。
あの日から——ずっと、終わらない声が。




