第十二話 神の寵愛を受けし国の、その頂にて
万年筆が紙の上を走る音だけが、その部屋を満たしていた。
決して華美ではないが、選りすぐりの品々で調えられた執務室だ。
分厚い扉がノックされ、静寂が破られる。
「入れ」
「失礼致します」
許可を受け、内政官が室内へ入り一礼する。
「陛下、ヴェルナー様がお見えです」
「通せ」
「はっ」
内政官は改めて一礼すると執務室を後にした。
程なくして再度重たい扉が開き、一人の男が入室する。
男は大理石の床を硬い足音を鳴らして歩き、執務机を中心に敷かれた絨毯の手前でピタリと静止した。
「ヴァレリウス・ヴェルナー、召喚の命を受け陛下に謁見仕る」
慇懃な様子で頭を下げると、垂れ落ちた漆黒の髪でその表情は読み取れなくなった。
「——して、本日は如何ようなご用件でしょうか?」
黒髪の間から射すくめるような眼光に、ナエレスカ・ヴィル・カエレスティス——当代の皇帝は僅かに怯む。
ナエレスカは机に肘をつき、顔の前で両の手を組んだ。
「……単刀直入に訊く。なぜ帝竜出現の報を評議会に上げなかった?」
その問いに対し、ヴァレリウスは下げていた頭を起こす。
「竜群発生への対応はアタランテの、ひいては管理局の仕事です。私はこれに対し、どう当たるかの裁量を陛下より賜っております」
言葉こそ丁寧だが、その声は冷たくナエレスカの身と精神を刺す刃だった。
「帝竜となれば話は別だ!! 帝竜発生時は即座に軍を発してこれを鎮圧に当たるべし。これは父……先帝が決められた事だ」
僅かに声を荒げたナエレスカに対し、ヴァレリウスは眉を顰めて見せる。
「——先ほどから話が噛み合わぬのは、前提の相違が原因ですか」
「……前提の相違?」
「如何にも。まず、帝竜など現れてはおりませぬ。帝国領南部に発生したのは、中規模な走竜の一群に過ぎませぬ」
「……詭弁を弄して、余を謀るつもりか?」
「滅相もない。私は事実しか申し上げておりません。ましてや、陛下を謀るなどと恐れ多いこと」
各所から上がってくる報告は帝竜の出現と、大規模な相変異の兆候を強く示唆していた。
だが、決定的な根拠が示される前に、本件に関する報せが止まったのだ。
内政官どもは「誤報だったのだろう」などと胸を撫で下ろしていたが、不審と不安を抱いたナエレスカは密偵を使い堰となった地点を捜査させていた。
その堰こそが、アタランテ特区管理局とその長官であるヴァレリウスだった。
しかし、動機が分からない。
帝竜の発生という帝国の存亡にも関わる大事を、なぜこの男は隠匿しようとしている?
無論、直接問い質したとてこの男は白状などしないだろう。
「……分かった。して、その竜群はどうなった?」
「アタランテを向かわせました。部隊指揮は13号に。こちらが、私が作成し評議会に提出した指令書です」
「13号か」
ナエレスカは書類に目を通し、密かに安堵の息を漏らす。
それは皇帝たるナエレスカの耳にも入っており、個人を特定できる数少ない番号だった。
“シレンスの悲劇”の生き残りにして、当代最強と謳われる竜狩りが持つ、現時点の番号だ。
大きな狩りには大抵名を連ね、当然のように戦果を上げ、生還する。
その活躍は帝国市民や貴族の間ですら知れ渡り、歌劇の演目にという話が持ち上がったほどだと言う。流石にそれは潰されたらしいが。
ともあれ、その腕は帝国の将軍級ともそれ以上であるとも噂されるが、軍人どもは決して認めはしないだろう。
13号ならあるいは、帝竜出現が事実だったとしてもその首を土産に帰還するかもしれない。
ナエレスカが最初に疑った可能性は、帝竜の襲撃に乗じて事を起こすつもりであるもいうものだ。
だがそうなると、帝竜を討ち得る13号を派遣するのは理に適っていない。
ならば、ヴァレリウスの目論見はどこにある?
帝竜を密かに討ち、その手柄を独占するつもりだったのだろうか。
——そのような小事の為にリスクを負うような男ではないという事を、ナエレスカは誰よりもよく知っていた。
「話が終わったのであれば、仕事に戻らせて頂きますが」
ヴァレリウスは顎に手を当てて思考に耽るナエレスカにそう言うと一礼し、身を翻す。
「……何を考えている、——兄上」
その背に掛けられた言葉に、ヴァレリウスは振り返りはしなかった。
「はて。誰の事を仰っておられますかな。——皇帝陛下」
自ら扉を押し開け執務室を出るその背中を、ナエレスカは無言で凝視した。
その思惑は、透けては見えない。
が、一つだけ確かなことがある。
自身が、あの男を畏れているという事実が。




