断章1 十三のある日
午前の訓練を終えた訓練生たちは大食堂へ集められる。
下は八歳から上は十四歳まで。
そのほとんどが男だが、一割程度女も混じっている。
豆だけの薄いスープに、石より硬いパン。
飽きようが、具合が悪かろうが、季節が巡ろうが毎日同じメニューだ。
それでも、タダ飯が食えるのはありがたかった。
男は文字通り死ぬまで竜を狩り、女はその子供を産み育てる事で、子の父親に当たる男が得た報奨金の一部を受け取る権利が与えられる。
母さんは体が弱く、俺しか子供がいない。
必然、狩りの報奨金は俺の父親に当たる男からしか入ってこないが、その男ももう、この世にいない。
男にも子供は俺だけだった。
だからその遺産は母さんが引き継いだけど、当然ながらそれも二人で数年食い繋ぐのがやっとの額でしかなかった。
アタランテ特区では仕事は限られる。
商売をするには管理局の許可がいるが、簡単には下りない。
そもそも竜狩り以外に産業と呼べるものがほぼ存在しない。
必然、存在する大体の仕事が竜狩りに直接、間接的に繋がるものか、あるいは違法なものに限られる。
母さんは時折り大量の竜が持ち込まれた時に、その解体を日雇いで手伝ったりして生計を立てていた。
けど、竜の解体は重労働の上、お世辞にも衛生的とは言い難い仕事だ。だから母さんは、一度働くと数日寝込むようなこともあった。
「なんだレグナ。朝の手合わせでボクに負けたのを気にしてるのか?」
どうにも食指が動かず、スープに浸したパンを手に固まっていたら正面のノアが揶揄ってきた。
「まだ俺が勝ち越してるだろ? それにさっきのは俺が石を踏んでバランスを崩したからだろ」
「過去じゃなく今の実力を比べないと。あんな小石一つで崩れてたらすぐに死んじゃうぜ」
俺はムッとしながらも、咄嗟に言い返すことが出来ずに黙り込んだ。
ノアは物心ついた頃からの幼馴染で、同い年。
こうして訓練所に通うようになってからもずっと側にいる、言わば腐れ縁だ。
こいつは昔からなんでも器用にこなす奴で、子供の頃は何をやっても敵わなかった。
駆けっこも、格闘訓練も、文字を覚えるのも、算術も。
けど、この一年ほどでずっと負けていた身長は逆転し、竜騎の操縦や、格闘訓練でも勝てる事が増えてきた。
だから今朝、俺に勝てたのがよほど嬉しかったのだろう。
ここは華を持たせてやってもいい、と寛大な心で構えていると正面からニュッと伸びた手が、テーブルに直置きされた俺のパンを掴んだ。
「あっ! おい!」
「次お前が勝ったらその時返してやるよ」
そう言って容赦なくパンに齧り付くノアを、俺はため息をついてからテーブルに頬杖をつき眺めていた。
あと二年。
そうすれば俺たちは正式に竜狩りになる。
訓練で身につけた技能も、知識も、才能も、覚悟も何も関係なく、否応なしに。
そして死ぬまで、竜を狩る。
それがアタランテの子として生まれた男の宿命だから。
思い返せば、二年間というのは恐ろしく長い時間に思えた。
毎日毎日、少ない食事で限界まで訓練と座学を繰り返し、荒っぽい訓練担当なら殴る蹴るは当たり前だった。
日はいつまでも暮れず、週一回の休日は遠く、一月は永遠に等しかった。
でも、どれだけ長くとも、その時は来る。
俺もノアも、ここにいる誰もにその時は平等に訪れる。
死が、その隣に座る時が。
スープをすくった匙が止まる。
——死にたくない。
ヒトは本能のみならず、理性で死を恐れる生き物だ。
だから、神様の救いに縋る。
ハドカ神教の教えでは、正しく生きた者は死後、神様の故郷へと呼ばれ、そこで永遠に生きられるらしい。
そして、不誠実だった者や罪人はアタランテへと生まれ変わり、竜を狩ることでその魂と罪を浄化せねばならぬ、とも。
俺はそんな救いなんて信じない。
神様の故郷も、生まれ変わりも、前世の罪も。
信じられない。
受け入れられない。
死の先に待っているのは無だ。
生まれる前と同じ、永遠の無。
スープを飲めない俺も、大口を開けてパンを食うノアも、おっかない教官も、貴族どもも、皇帝陛下だって、行き着く先は等しく無だ。
音も、光も、思考も消え失せ、なのに世界は続いていく。
俺なんて、存在しなかったかのように。
いつからだろう。
この恐怖が心の一角に居座ったのは。
眠れぬ夜を、生み出したのは。
父が死んだと報された日か。
母が血を吐いて倒れた日だったか。
だから俺は、生きられるだけ生き延びたい。
生きることに飽きたら、それも受け入れられるだろうから。
けれど、アタランテにそれは許されない。
貴族どもが美味い飯を食い、酒を飲み、観劇に耽るその裏で俺たちはゴミのように使い捨てられる。
それがこの国の、世界の摂理だ。
竜骨により繁栄し、けれどそれを齎す狩人は一顧だにされることはない。
歪み、腐敗した摂理だ。
なら、強くなるしかない。
竜を狩って、殺し尽くして、生き残れるほどに。
ついでに、なんの悩みもなさそうな顔で延々とパンを咀嚼するこいつを守れるくらいに。
奴らの喉笛を喰いちぎれるくらいに。
「……なんだよ。そんなに見たってパンはもう無いぜ」
ノアは手に付いたパンくずを払い、舌を出した。
「次勝って返してもらうから。その時まで預けとくよ」
負け惜しみに聞こえないよう、余裕を装って言う。
「ふーん? ま、次も負けてやる気はないけどな」
「こっちの台詞だ。吠え面かかせてやる」
そう返してやると、ノアは歯を剥いて笑った。
これまで何度も見てきた笑顔で。
あと二年。
全てが終わり、始まったあの日がもう目の前に迫っていた。




