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炎上謝罪代行人は、善人ランキング世界で“許される空気”を作る  作者: 有馬 凪


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第九話 壊された人間

「『天音ヒカリに壊された人間です』」


レイの声が部屋に落ちた。


誰もすぐには喋らなかった。


テレビではまだコメンテーターが何か言っている。


でも、もう誰も見ていない。


全員の視線がレイのスマホに集まっていた。


ヒカリだけは見ていなかった。


いや。


見られなかった、の方が近い。


「……配信、開きます?」


レイが小さく聞く。


珍しく、ふざけた感じがなかった。


相模原は頷いた。


「開け」


「はいはい」


レイが画面をタップする。


ライブ配信が始まる。


画面に映ったのは暗い部屋だった。


照明はついていない。


カーテンも閉まっている。


机の上に置かれたスマホのカメラが少し下から人間を映している。


映っていたのは女だった。


年齢はヒカリと同じくらい。


髪は肩のあたりで乱れていて、顔色は悪い。


でも、泣いてはいなかった。


泣いていないことが逆に怖かった。


泣いている人間はまだ自分の感情を外に出せている。


泣いていない人間はもうどこかで固まっている。


《きた》

《本人?》

《ヒカリの同級生?》

《声聞こえる?》

《これガチならやばい》

《売名くさ》


コメント欄はもう走り始めていた。


血の匂いを嗅ぎつけた魚みたいに。


『こんばんは』


女が口を開いた。


声は思ったより落ち着いていた。


落ち着きすぎていた。


『名前は出しません。出したらたぶん、私の方が終わるので』


コメントが加速する。


《ガチっぽい》

《声震えてる》

《無理しないで》

《証拠出せ》

《名前出せないなら嘘では?》


「最悪」


レイが呟く。


「何がですか」


「コメント欄がもう味方のふりしながら証拠求めてる」


その通りだった。


《話せる範囲で大丈夫です》

《つらかったね》

《でも証拠は?》

《スクショとかある?》

《卒アル見せて》


優しさと好奇心の境目がない。


それが一番気持ち悪かった。


『高校一年の時です』


女は続けた。


『私はクラスで少し浮いていました』


ヒカリの指先が、膝の上で小さく動いた。


俺はそれを見ていた。


やっぱり知っている。


この声も。


この話も。


『休み時間に一人でいることが多くて。誰かに直接殴られたとか、物を隠されたとか、そういう分かりやすいことは、そんなになかったです』


《じゃあいじめじゃないじゃん》

《精神的なやつか》

《女子のこういうの怖い》

《ヒカリ関係ある?》


女は少しだけ画面から目を逸らした。


『でも、誰も私の隣に座らなくなりました』


部屋が静かになる。


『グループ決めの時、いつも最後まで余りました。体育のペアも、文化祭の班も、修学旅行の部屋割りも』


コメント欄が少し変わる。


《あー》

《それはきつい》

《分かる》

《学生時代思い出した》

《でもヒカリがやった証拠は?》


『その中心に天音ヒカリさんがいました』


ヒカリが息を呑んだ。


小さな音だった。


でも、俺には聞こえた。


相模原は腕を組んだまま画面を見ている。


顔色は変わらない。


「ヒカリさん」


俺は小さく呼んだ。


「今の話は?」


ヒカリはすぐに答えなかった。


喉が動く。


言葉を探している。


怒られない言葉。


傷つけない言葉。


自分も守れる言葉。


たぶん、そんなものはない。


「……中心、では」


ヒカリは小さく言った。


「なかったと思います」


「思います?」


レイが思わず聞く。


ヒカリは俯いた。


「私、クラス委員だったので」


それだけで少し分かった。


中心ではない。


でも、中心に見える場所にはいた。


『ヒカリさんは何もしませんでした』


配信の女が言った。


まるで、こちらの会話を聞いていたみたいなタイミングだった。


『私が一人でいても見ているだけでした』


ヒカリの顔色が変わる。


『でも、他の子には優しくしていました。困っている子には声をかけていました。先生には頼られていました。みんな、ヒカリさんをいい子だと言っていました』


コメント欄に文字が流れる。


《きつ》

《善人キャラじゃん》

《選ぶ優しさ》

《これ本当なら無理》

《何もしないのが一番傷つくやつ》


「うわ」


レイが低く呟いた。


「これ、刺さるわ」


相模原が静かに頷く。


「刺さりますね」


その声には感心があった。


人間の苦しみに対する感心じゃない。


燃え方としての感心。


『私はヒカリさんに何かされたわけじゃありません』


女は言った。


『でも、ヒカリさんが私を見ないことでみんなも私を見なくなったんです』


ヒカリの手が、ぎゅっと握られる。


『ヒカリさんが私に声をかけないことで、私は声をかけなくていい人間になりました』


コメント欄が爆発した。


《これだ》

《わかる》

《クラスの空気決める人いるよな》

《直接いじめてないから無罪ってやつ?》

《善人スコア97でこれはキツい》

《ヒカリ終わった》


俺は画面から目を離した。


ヒカリを見た。


彼女は泣いていなかった。


ただ、顔だけが真っ白だった。


「……違います」


ヒカリが小さく言った。


でもさっきより弱い。


「私、そんなつもりじゃ……」


そこで止まった。


その言葉が一番まずいと自分でも分かったんだろう。


そんなつもりじゃなかった。


炎上中にそれほど燃えやすい言葉はない。


相模原が口を開く。


「天音さん」


「……はい」


「今の配信に対して、その言葉は絶対に言わないでください」


「分かってます」


即答だった。


分かっている。


でも、分かっていても心が追いついていない。


『一度だけ、声をかけてほしかった』


配信の女が言った。


『助けてほしかったわけじゃありません。友達になってほしかったわけでもありません。ただ、ヒカリさんが私を普通に扱ってくれたら、それだけでよかった』


コメント欄がさらに流れる。


《泣いた》

《これは無理》

《ヒカリ見てる?》

《謝れ》

《謝罪はよ》

《善人スコア詐欺》


レイが画面を見ながら眉をひそめた。


「なんか、もう裁判終わってない?」


「終わってます」


相模原が答える。


「世間の中では」


「早すぎでしょ」


「早さが正義ですから」


相模原はタブレットを見た。


「善人スコアは?」


俺は画面を確認する。


76.9。


75.4。


74.2。


数字が落ちていく。


何かが壊れる音なんてしない。


ただ、小数点が動くだけだった。


『天音ヒカリさん』


配信の女がカメラを見た。


初めてまっすぐ名前を呼んだ。


ヒカリの肩が跳ねる。


『あなたはたぶん、覚えていないと思います』


「……覚えてます」


ヒカリが呟いた。


誰にも届かないくらい小さな声だった。


でも、たしかに言った。


『でも、私は覚えています』


配信の中の女が言う。


『私が学校に行けなくなった日、あなたは廊下で私を見ました』


ヒカリの呼吸が止まる。


『目が合いました』


画面の中の女は笑った。


笑ったのに、まったく嬉しそうじゃなかった。


『でもあなたは何も言いませんでした』


部屋の空気が重くなる。


俺はヒカリを見た。


ヒカリはもう画面を見ていなかった。


たぶん見なくても分かっている。


その場面を。


廊下。


制服。


目が合った瞬間。


何も言えなかった自分。


『その時、私は思いました』


女は静かに言った。


『ああ、私は本当に見えていないんだなって』


コメント欄が流れる。


速すぎて読めない。


でも、いくつかの言葉だけが目に残る。


《壊したのは事実》


《見殺し》


《善人って何?》


《ヒカリ、謝れ》


ヒカリの唇が震えた。


「……違う」


声が漏れる。


今度は少しだけ強かった。


俺は驚いてヒカリを見る。


ヒカリは顔を上げていた。


目に涙が溜まっている。


でも、泣いていない。


「違うんです」


さっきと同じ言葉。


でも、意味が違った。


自分を守るためじゃない。


何かを、どうしても間違えられたくない人間の声だった。


「私、見えてないなんて思ってない」


ヒカリが言う。


「ずっと、見えてました」


その言葉に部屋の空気が少し変わった。


レイがスマホから顔を上げる。


相模原も初めて少しだけヒカリを見る。


「見えてたから」


ヒカリは続けた。


「何もできなかったんです」


静かだった。


テレビの音も、スマホのコメント通知も、全部遠くなった気がした。


それは、謝罪用の言葉じゃなかった。


世間に見せるための言葉でもない。


たぶん、ずっと誰にも言えなかった言葉だった。


「……どういう意味ですか」


俺が聞く。


ヒカリは俺を見た。


泣きそうな顔で、でも笑わなかった。


愛想笑いをしてなかった。


「私が声をかけたら」


ヒカリは言った。


「もっとひどくなると思ったんです」


その瞬間。


相模原がほんの少しだけ目を細めた。


レイが「……あ」と呟く。


俺も理解した。


これは、ただの見て見ぬふりじゃない。


でも、無関係でもない。


一番厄介なやつだ。


善意と臆病さが同じ形をしている話。


ヒカリは小さく息を吸った。


そして、震える声で続けた。


「私が優しくするとその子がもっと嫌われる空気だったんです」


部屋の空気が、完全に止まった。


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