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炎上謝罪代行人は、善人ランキング世界で“許される空気”を作る  作者: 有馬 凪


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第三話 日本で最も嫌われてはいけない少女

地下駐車場の空気は少し冷たかった。


コンクリートの壁。


白い照明。


換気扇の低い音。


外の報道陣の熱気だけが遠くで唸っているみたいに聞こえる。


「うわー……」


レイがスマホを見ながら顔をしかめた。


「もう切り抜き6万いってる」


「早いですね」


「てか増える速度キモ。株価?」


「だったら暴落してるけどな」


エレベーターの前には警備員が二人立っていた。


俺たちを見ると、小さく頭を下げる。


その動きが妙に硬かった。


たぶん彼らも天音ヒカリを守っているというより、天音ヒカリの炎上に巻き込まれないようにしている。


相模原がカードキーをかざした。


電子音。


扉が開く。


「有馬」


「はい」


「今回、お前は『正論』を捨てろ」


エレベーターに乗り込みながら相模原が言った。


「正論?」


「世間はもう『天音ヒカリが悪いかどうか』には興味がない」


扉が閉まる。


密室になる。


白い照明が相模原の顔を均等に照らしていた。


こういう人間は影ができても怖いし、影がなくても怖い。


「じゃあ、何に興味あるんですか」


「『どうやって罰を受けるか』だ」


その言い方は嫌だった。


でも、たぶん正しい。


炎上っていうのは裁判じゃない。


祭りだ。


みんな最初から『燃やすこと』に参加している。


だから途中で真実が出てきても止まれない。


止まったら自分が間違っていたことになる。


人は正義側に立ったまま帰りたい。


相模原はそれをよく分かっている。


分かりすぎている。


「有馬くん」


レイが横から覗き込む。


「顔死んでる」


「元からです」


「草」


エレベーターが止まる。


最上階。


扉が開いた瞬間、空気が変わった。


静かだった。


ホテルみたいに静かすぎる。


廊下には高そうな絵が飾られている。


でも、その奥でスタッフたちが全員スマホを見ていた。


誰も笑っていない。


誰もが『次に何が起きるか』を待っている顔だった。


誰かが倒れたら助けるためじゃない。


誰かが倒れる瞬間を見逃さないための顔。


「空気終わってんなー」


レイが小声で言う。


同感だった。


息を吸うだけで窒息しそうになる。


「こちらです」


スタッフに案内される。


廊下を進む。


その途中、壁のモニターが見えた。


無音のニュース番組。


画面の右上には、


《善人スコア暴落》


の文字。


しかも画面には天音ヒカリの昔の映像が延々流れていた。


笑顔。


募金活動。


子供との握手。


高齢者施設で歌っている映像。


少し前まで「優しさ」として流れていたものが、今は全部「裏切りの前振り」として消費されている。


同じ映像なのに、見る側の空気が変わるだけで意味が変わる。


「きっついわ」


レイが呟く。


「人が死ぬ前の特集番組みたい」


誰も否定できなかった。


案内された部屋の前でスタッフが立ち止まる。


「……精神的にかなり不安定ですので」


「了解してます」


相模原が淡々と答える。


声に心配はなかった。


ただ、状態確認が終わっただけの声だった。


スタッフがドアを開けた。


部屋は広かった。


ホテルみたいな部屋だった。


でも、カーテンは閉じたまま。


机には飲みかけの水。


開封されたままの栄養ゼリー。


触られていない弁当。


冷めた味噌汁の表面に薄い膜が張っている。


こういう時、人間は意外と分かりやすく壊れる。


食べない。


飲まない。


眠らない。


でもスマホだけは見る。


机の上にはスマホが伏せて置かれていた。


通知が来るたびに少し震えている。


その奥。


ソファに少女が座っていた。


「……」


天音ヒカリ。


画面で見るよりずっと細かった。


黒髪は少し乱れている。


肌も白い。


それでも背筋だけは不自然なくらい伸びていた。


倒れそうなのにまだ姿勢だけで誰かを安心させようとしている。


でも、一番印象に残ったのはそこじゃなかった。


目だ。


疲れているのに、


まだ『人に嫌われないようにしている目』だった。


俺は少しだけ息が詰まった。


この人、たぶん本当に善人なんだ。


だから壊れる。


善人は悪意に弱いんじゃない。


失望に弱い。


「はじめまして」


ヒカリが立ち上がる。


少しふらついた。


でも、すぐに笑顔を作った。


深く頭を下げる。


「天音ヒカリです」


その声は何度も仕事で使ってきた声だった。


誰にでも届くように整えられた声。


でも今はその整え方が痛々しかった。


「この度は、ご迷惑をおかけしてしまい、本当に――」


「謝罪は後でいいです」


相模原が遮った。


ヒカリの肩が小さく跳ねる。


「……すみません」


反射だった。


怒られる前に謝る人間の反射。


俺はそれを見て、少し嫌な気分になった。


相模原は気にしていない。


むしろ、その反応まで記録しているように見えた。


「まず状況確認をします」


「はい」


ヒカリは頷く。


その時。


スマホが震えた。


部屋の全員が反応する。


スタッフ。


レイ。


相模原。


そしてヒカリ。


通知音ってどうしてこんなに人を不安にさせるんだろう。


音が鳴っただけで人間の顔が少しずつ防御の形になる。


レイが画面を見る。


「あ」


「どうした」


「ガソリン」


最悪だった。


レイがスマホ画面をこちらへ向ける。


新しい切り抜き動画。


『【拡散希望】天音ヒカリ、過去にも暴言か』


再生。


ノイズ混じりの古い配信。


画質が粗い。


画面の端にまだ今より幼い天音ヒカリが映っている。


コメント欄が流れている。


笑い声。


誰かの名前。


そして、聞こえる声。


『……消えればいいのに』


部屋の空気が止まった。


ヒカリの顔から血の気が引く。


「違っ……」


初めて、ヒカリの表情が崩れた。


さっきまで作っていた笑顔も、丁寧な声も、全部剥がれた。


「それ、違うんです……!」


震えた声だった。


でも、ただ怖がっている声じゃなかった。


何かを守ろうとしている声だった。


「天音さん」


相模原が静かに呼ぶ。


「これはあなたの声ですか」


ヒカリは答えなかった。


答えられなかった、に近い。


唇が少し動く。


でも言葉が出ない。


その沈黙だけでスタッフの顔色が変わる。


レイが小さく舌打ちした。


「最悪。今の間も切り抜かれたら終わるやつ」


「ここにカメラはありません」


「空気の話」


レイの言う通りだった。


ヒカリの沈黙にはもう意味がついてしまっている。


否定しない。


つまり本当。


そういうふうに消費される。


俺はもう一度、動画を見る。


古い配信。


粗い音声。


ヒカリの声。


『……消えればいいのに』


でも何かがおかしい。


言葉の前後が切られている。


会話の流れがない。


誰に向けた言葉なのか分からない。


それなのにタイトルだけが先に答えを決めている。


過去にも暴言か。


「……誰に言ったんですか」


俺が聞くと、ヒカリの視線が揺れた。


一瞬だけ、カメラのない場所を探すような目をした。


それから、小さく首を横に振る。


「……言えません」


その言葉で確信した。


誰かが、意図的にヒカリを燃やしている。


そしてヒカリはまだ誰かを庇っている。


相模原が笑った。


また、嫌な笑い方だった。


「面白くなってきたな」


その瞬間。


俺は、この案件がただの謝罪代行では終わらないことを理解した。


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