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炎上謝罪代行人は、善人ランキング世界で“許される空気”を作る  作者: 有馬 凪


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15/16

第十五話 記録に残らない会話

エレベーターの数字が下がっていく。


17。


16。


15。


ヒカリは小さく息を吸った。


「今度は見ないふりをしません」


その声は震えていた。


でも、俺は何も言わなかった。


その言葉が本当かどうかは、これから分かる。


そしてたぶん。


本当だとしても人は傷つく。


地下駐車場に着くと、空気が少し冷たかった。


外の報道陣はまだいる。


いや。


増えていた。


ガラス扉の向こうで、スマホとカメラが群れみたいに揺れている。


誰かが叫ぶ声が聞こえた。


「天音さん!」


「今のお気持ちは!」


「ミオさんに一言!」


ヒカリの肩が小さく跳ねる。


俺は彼女の前に立った。


「見ないでください」


「……はい」


「返事もしない」


「はい」


「謝らない」


「……はい」


最後だけ、少し遅れた。


謝るなと言われることにまだ慣れていないらしい。


レイは少し後ろからついてきていた。


「私も行く?」


「来ないでください」


「即答ひど」


「あなたがいると話が軽くなりすぎる」


「それ長所じゃん」


「今日は短所です」


レイは唇を尖らせた。


でもそれ以上は言わなかった。


珍しく分かっている顔だった。


相模原はエレベーターの前で立ち止まった。


「有馬」


「はい」


「改めて確認する」


声は柔らかい。


でも圧がある。


「謝罪しない。弁明しない。約束しない。相手の言葉を否定しない」


「はい」


「記録は残さないが、記憶は残る」


その言い方が嫌だった。


でも正しい。


記録に残らない会話は安全じゃない。


むしろ逆だ。


人間の中にだけ残る言葉は後でいくらでも形を変える。


「あとは」


相模原が少しだけ間を置く。


「救おうとするな」


ヒカリが顔を上げた。


「……」


「あなたもです」


相模原はヒカリを見る。


「青葉ミオさんを救おうとしないでください」


「でも」


「救われる側にされることを嫌う人間もいます」


ヒカリは黙った。


その言葉は思っていたより深く刺さったようだった。


たぶんヒカリは今まで誰かを救うことを悪いことだと思ったことがない。


救う。


助ける。


支える。


寄り添う。


全部、綺麗な言葉だ。


でも綺麗な言葉ほど、勝手に相手の位置を決めることがある。


救う側。


救われる側。


その時点でもう少しだけ上下ができる。


「分かりました」


ヒカリは小さく言った。


でも分かっている顔ではなかった。


分かろうとしている顔だった。


それで十分なのかもしれない。


ミオが指定した場所は駐車場の奥にある控室だった。


報道陣を避けるために、建物の管理会社が使っている小さな部屋を借りたらしい。


扉の前には警備員が一人立っていた。


中から声は聞こえない。


俺は一度、ヒカリを見る。


「大丈夫ですか」


聞いた後で少し失敗したと思った。


ヒカリみたいな人間は、そう聞かれると大丈夫じゃなくても頷く。


案の定、ヒカリは小さく頷いた。


「大丈夫です」


全然大丈夫じゃない声だった。


俺は言い直した。


「大丈夫じゃなくても入ります」


ヒカリは少しだけ驚いた顔をした。


それから、小さく笑った。


愛想笑いではなかった。


本当に少しだけ、変なことを言われた時の笑い方だった。


「はい」


警備員が扉を開ける。


部屋の中は狭かった。


白い蛍光灯。


折りたたみ机。


パイプ椅子が三つ。


壁際には掃除用具が立てかけられている。


高級マンションの地下なのに、その部屋だけ学校の準備室みたいだった。


ミオは奥の椅子に座っていた。


配信で見た時より、ずっと小さく見えた。


髪は肩のあたりで乱れている。


パーカーの袖口を握っている。


目の下に薄いクマがある。


画面越しでは怒っているように見えた。


でも今は、怒りより疲れの方が濃かった。


ヒカリが足を止める。


ミオもこちらを見る。


数秒。


誰も喋らない。


俺はその沈黙の中に、教室の音を想像した。


机を引く音。


女子の笑い声。


黒板を消す音。


誰かが一人だけ余る空気。


ここは地下の控室なのに、なぜか高校の教室みたいだった。


「……久しぶり」


先に言ったのはミオだった。


声は低かった。


ヒカリは小さく頭を下げる。


「久しぶり、です」


その敬語にミオの眉が少し動いた。


「同級生に敬語?」


「あ……ごめ」


ヒカリは途中で止まる。


謝りかけたのを飲み込んだ。


偉い、と思ってしまった。


こんな場所で使う感想ではないけど。


ミオはそれに気づいたらしい。


少しだけ笑った。


「謝るのやめろって言われてるんだ」


ヒカリの顔が強張る。


「……はい」


「いいね。プロに教えてもらえて」


その言葉には棘があった。


でも刃物みたいな鋭さではない。


長く握りしめていた針みたいな痛さだった。


俺は椅子を引いた。


「座りましょう」


ミオが俺を見る。


「あなたが有馬さん?」


「はい」


「火消しの人」


「ごめんなさい屋です」


「ふざけた名前」


「俺もそう思います」


ミオは少しだけ口元を動かした。


笑ったのかどうかは分からない。


三人で座る。


机を挟んで、ミオとヒカリが向かい合う。


俺は少し横。


どちらの味方にも見えすぎない位置。


そういう配置を自然に考えている自分が少し嫌だった。


「録音は?」


ミオが聞く。


「していません」


俺はスマホを机の上に置いた。


電源も切る。


ヒカリも同じようにスマホを置いた。


ミオは俺たちのスマホを確認してから、自分のスマホも机に置いた。


電源は切らない。


画面だけ伏せた。


「切らないんですか」


俺が聞くと、ミオは俺を見た。


「怖いので」


正直だった。


「何かあった時、すぐ録れるように?」


「はい」


ヒカリの肩が少しだけ揺れた。


でも何も言わなかった。


「始めてください」


俺が言うと、ミオは笑った。


「司会みたい」


「似たようなものです」


「謝罪マナー講師?」


「最近よく言われます」


ミオは今度は少しだけ笑った。


でもすぐに顔を戻す。


「……聞きたいことは一つだけです」


ヒカリがまっすぐミオを見る。


目は揺れていた。


でも逃げていなかった。


「はい」


「私が一人だったこと、いつから知ってましたか」


ヒカリの唇が少し動く。


言葉を探している。


怒られない言葉ではなく、嘘にならない言葉を。


「一年の、六月くらいから」


ミオは少しだけ目を伏せた。


「早いね」


「はい」


「じゃあ、ずっと?」


ヒカリは頷く。


「ずっと見えていました」


ミオの指がパーカーの袖を強く握る。


「そっか」


それだけだった。


怒鳴らない。


泣かない。


ただ、そっか、と言った。


その方が怖かった。


「見えてたなら」


ミオは続ける。


「なんで、みんなの前で一度も私に話しかけなかったの」


ヒカリは息を吸った。


吐く。


また吸う。


「最初に話しかけた時、悪くなったからです」


「体育のペア?」


「はい」


ミオは目を細めた。


「覚えてるんだ」


「覚えています」


「私はあの日から地獄だった」


ヒカリの顔が歪む。


でも謝らない。


言葉を飲み込む。


「知っています」


ミオの表情が初めてはっきり動いた。


「知ってた?」


「後から」


「後からっていつ」


「その日の放課後、机のプリントを見ました」


ミオが少しだけ笑った。


「見たんだ」


「はい」


「じゃあ、なんで次の日から避けたの」


ヒカリは答えられなかった。


喉が動く。


目が揺れる。


俺は口を出しそうになって、止めた。


これはヒカリの返事だ。


俺が言葉を整えたら、また誰かの空気になる。


「怖かったからです」


ヒカリが言った。


声は震えていた。


「私が話しかけると、ミオさんがまた笑われると思いました」


ミオは黙っている。


「先生に言っても、悪くなりました」


「白石先生?」


「はい」


「先生に言ったのヒカリさんだったんだ」


その声が冷たくなる。


ヒカリが息を呑む。


「……はい」


「私、先生に呼ばれた日、死ぬほど嫌だった」


「はい」


「先生、私に言ったよ。『みんな心配している』って」


ミオは笑った。


嫌な笑い方じゃない。


でも、苦い。


「誰も心配なんかしてなかった」


ヒカリは俯きそうになった。


でも、ぎりぎりで顔を上げたままにした。


「はい」


「はい、じゃないよ」


ミオの声が少し強くなる。


「なんで私が、みんなに心配される可哀想な子にされなきゃいけなかったの」


ヒカリは何も言えない。


「私、ただ普通にしていたかっただけだよ」


部屋が静かになる。


蛍光灯の音だけが聞こえる。


「ヒカリさんってさ」


ミオは言った。


「優しかったよね」


ヒカリの表情が止まる。


「誰にでも優しかった。先生にも、クラスの子にも、後輩にも」


ミオは机の上を見ている。


「でも私には優しくなかった」


ヒカリは小さく息を吸う。


「……優しくしたら、もっと」


「分かってる」


ミオが遮った。


ヒカリが黙る。


「今なら、少し分かる。ヒカリさんが私に話しかけたら、たぶんもっと面倒になってた」


「……」


「でもさ」


ミオの声が少し震えた。


「分かることと、許せることって違うじゃん」


ヒカリの目に涙が溜まる。


でも、まだ泣かない。


「はい」


「私は、ヒカリさんが何もしなかった理由を理解できるかもしれない。でも、あの時の私は、それで壊れたんだよ」


「はい」


「だから、今さら正しい理由を説明されても困る」


ヒカリは何も言わない。


俺も何も言わない。


こういう時、人はすぐ答えを探したがる。


でも、たぶん答えなんてない。


あるのは、理由と傷が別の場所にあるということだけだ。


「……私は」


ヒカリが言った。


「ミオさんに許してほしいわけじゃありません」


ミオが顔を上げる。


「さっきも言いましたけど、私はミオさんが一人だったことを見ていました」


「うん」


「でも、助けられませんでした」


「うん」


「その理由はあります。でも、それでミオさんが傷ついたことは消えません」


ミオは黙っている。


「私はそれを、今まで自分の中で仕方なかったことにしていました」


ヒカリの声が少し震える。


「でも、たぶんそれが一番、ダメだったんだと思います」


ミオの目が揺れた。


「仕方なかったことにされるの嫌だった」


「はい」


「私のこと、運が悪かった子みたいにしないでほしかった」


「はい」


「ヒカリさんのせいだけじゃないのは分かってる」


ミオは言った。


「でも、ヒカリさんは無関係じゃない」


ヒカリは頷いた。


「はい」


「それを言ってほしかった」


「はい」


また沈黙。


今度の沈黙はさっきより少しだけ違った。


刺すための沈黙じゃない。


言葉が落ちる場所を探す沈黙だった。


ミオは机の上のスマホを見た。


画面は伏せたままだ。


「外、すごいことになってるよね」


「はい」


「私も叩かれてる」


ヒカリの顔が歪む。


「それは」


「謝らないで」


ヒカリは止まる。


ミオは少し笑った。


「今の、謝ろうとしたでしょ」


「……はい」


「分かりやすいね」


「すみま……」


また止まる。


ミオが少しだけ笑った。


今度は本当に少しだけ笑ったように見えた。


「いいよ、もう」


その言葉にヒカリの顔が揺れる。


「許すって意味じゃない」


「はい」


「今ここで謝られても、私が困る」


「……はい」


ミオは息を吐いた。


「私も配信で言ったのはよくなかった」


ヒカリが顔を上げる。


「でも言わないと一生なかったことになると思った」


「はい」


「私も自分のことを燃料にした」


ミオの声が小さくなる。


「コメント欄が伸びるのちょっと怖かった。でも、ちょっと安心もした」


その言葉に、俺はミオを見た。


ミオは自分の手元を見ていた。


「やっと見てもらえたって思った」


部屋が静かになる。


ヒカリは何も言わなかった。


たぶん言えなかった。


ミオは続ける。


「最低だよね」


「……」


「ヒカリさんを燃やして、私はやっと見つかった」


その言葉は痛かった。


でもこの作品の中では避けて通れない言葉だった。


誰かを燃やすことで自分が見える。


炎上は加害だけじゃない。


たまに存在確認にもなる。


だから厄介なんだ。


「最低じゃないです」


ヒカリが言った。


ミオの顔が少し強張る。


「そういうのやめて」


「……」


「すぐ綺麗にしないで」


ヒカリは黙る。


ミオは続けた。


「最低なところもあるって言わせてよ」


ヒカリは少しだけ息を呑んだ。


それから小さく頷く。


「……はい」


ミオはそれを見て少しだけ表情を緩めた。


「初めてちゃんと聞いた気がする」


その時だった。


机の上のミオのスマホが震えた。


一度。


また一度。


何度も。


ミオは画面を見ない。


でも、通知は止まらない。


俺は嫌な予感がした。


「見ますか」


俺が聞くと、ミオは首を横に振った。


「見たくない」


その声があまりにも普通だった。


見たくない。


その一言だけで、さっきまで配信画面の向こうにいた告発者が急に目の前の人間に戻った気がした。


ヒカリが小さく言う。


「見なくていいと思います」


ミオはヒカリを見る。


「そういうところ」


「え?」


「そういう正しそうなことをすぐ言うところ」


ヒカリの顔が固まる。


ミオは続けた。


「嫌いだった」


沈黙。


ヒカリは何も言えなかった。


ミオは机を見たまま言う。


「でも今のは、ちょっと助かった」


ヒカリの表情が少しだけ崩れた。


泣きそうになる。


でも泣かない。


ミオはスマホを手に取った。


電源を切る。


通知の震えが止まった。


部屋が急に静かになる。


「……静か」


ミオが言った。


その声には少しだけ驚きがあった。


たぶん、久しぶりの静けさだった。


俺は時計を見た。


長く話しすぎている。


記録に残らない会話は長くなるほど危険だ。


でも、今ここで切るのも違う気がした。


「そろそろ一度終わりましょう」


俺が言う。


二人がこちらを見る。


「この後、双方で要点だけ確認します。外には出さない。出すなら、二人の同意が必要です」


ミオは頷いた。


ヒカリも頷く。


「最後に」


ミオが言った。


ヒカリを見る。


「私はまだ許してない」


「はい」


「たぶん、しばらく許せない」


「はい」


「でも」


ミオは少しだけ言葉を探した。


「見えてたって言われたのは、嫌だったけど、少しだけ良かった」


ヒカリの目が揺れる。


「……はい」


「それだけ」


ミオは立ち上がる。


ヒカリも立ち上がる。


二人は握手しない。


頭も下げない。


抱き合ったりもしない。


そんな綺麗な場面ではなかった。


ただ、少しだけ向かい合っていた。


それだけだった。


部屋を出る前にミオがこちらを見た。


「有馬さん」


「はい」


「ごめんなさい屋って、本当にふざけた名前ですね」


「俺もそう思います」


ミオは少しだけ笑った。


それから部屋を出て行った。


扉が閉まる。


ヒカリはその場に立ったままだった。


俺は声をかけなかった。


何か言えば、たぶん全部安っぽくなる。


しばらくしてヒカリが小さく言った。


「許されませんでした」


「はい」


「でも」


ヒカリは扉を見ていた。


「話せました」


その声は少しだけ疲れていて。


少しだけ軽かった。


俺は頷いた。


「それで十分かは分かりません」


「はい」


「でも、ゼロではないと思います」


ヒカリは小さく頷いた。


その時、俺のスマホが震えた。


電源を入れ直したばかりの端末に、通知が一気に流れ込んできた。


相模原からのメッセージ。


『戻れ。外が動いた』


嫌な予感がした。


部屋を出る。


廊下の向こうで、レイが待っていた。


顔が少し強張っている。


「何があったんですか」


俺が聞くと、レイはスマホを見せた。


トレンド。


《ミオ逃亡》


《ヒカリ密会》


《ごめんなさい屋介入》


《記録なし会話》


《口裏合わせ疑惑》


俺は画面を見つめた。


もう始まっている。


記録に残らない会話は、外から見ると口裏合わせになる。


分かっていた。


分かっていたはずだった。


それでも、少しだけ甘かった。


ヒカリが画面を見る。


顔色が白くなる。


でも、崩れなかった。


「……有馬さん」


「はい」


「話したこと、後悔してません」


その声は震えていた。


でも、はっきりしていた。


俺は画面を見た。


炎上はまた次の形に変わっている。


相模原の言葉が頭をよぎる。


物語はもう次の形に変わった。


俺は小さく息を吐いた。


「分かりました」


「はい」


「じゃあ次は、その後悔してない会話をどう守るか考えます」


ヒカリは少しだけ目を見開いた。


レイが横で笑った。


「火消し屋、残業確定だね」


「ごめんなさい屋です」


「名前変えなよ」


俺は画面を閉じた。


廊下の向こうでは、まだ外の報道陣の声が聞こえていた。


誰かがまた叫んでいる。


真実を求めているような声で。


でもたぶん、本当に欲しいのは真実じゃない。


次に燃えるものだ。


ヒカリはその声を聞きながら、まっすぐ前を見ていた。


もう善人スコア97の少女ではない。


善人スコア68の許されていない少女。


それでも今は、昨日より少しだけ自分の足で立っていた。


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