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炎上謝罪代行人は、善人ランキング世界で“許される空気”を作る  作者: 有馬 凪


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14/16

第十四話 悪い人じゃなかった先生

《天音ヒカリさんの件について、当時担任として話します》


元教師・白石。


その名前が画面に表示された瞬間、ヒカリの顔色が変わった。


恐怖だけじゃない。


困惑。


罪悪感。


それから少しだけ、懐かしさみたいなもの。


「……白石先生」


ヒカリが小さく呟いた。


レイがスマホを持ち直す。


「見る?」


誰もすぐには答えなかった。


見るしかない。


でも、見たくなかった。


こういう時に出てくる大人の言葉はだいたい綺麗だからだ。


綺麗で。


丁寧で。


少しずつ誰かを傷つける。


「再生しろ」


相模原が言った。


レイが画面をタップする。


動画が始まる。


映っていたのは50代くらいの男だった。


髪に白いものが混じっている。


顔は疲れていた。


でも、どこか見覚えのある優しそうな雰囲気があった。


学校に1人はいる。


怒鳴らない。


相談に乗ってくれそう。


でも、何かが起きた時に本当に助けてくれるかは分からない。


そういう大人。


『白石です』


男は深く頭を下げた。


『現在話題になっている天音ヒカリさん、青葉ミオさんの件について、当時の担任としてお話しします』


コメント欄が走る。


《本人きた》


《担任か》


《逃げるなよ》


《記録ないってどういうこと?》


《学校側?》


《ヒカリ側?》


《ミオさんを傷つけるな》


ヒカリは画面を見つめていた。


膝の上で両手を握っている。


「……先生、変わってない」


小さな声だった。


俺はその声を聞いて、少し嫌な気分になった。


人は悪い記憶の中にいる相手でも、完全には嫌いになれないことがある。


それが一番面倒だ。


『まず、青葉さんがクラスで孤立していたことは、私も把握していました』


部屋の空気が少し変わる。


ミオの名前が初めて出た。


『そして、天音さんから相談を受けたことも覚えています』


ヒカリが息を呑む。


「……覚えてる」


声が震えていた。


『ただし』


白石は少し目を伏せた。


『正式な相談記録としては残していません』


コメント欄が荒れる。


《は?》


《学校嘘ついた?》


《記録ないだけかよ》


《職務怠慢》


《記録残せよ》


《これ担任アウトでは》


白石は続ける。


『当時、私はそれを『いじめ』として処理しませんでした』


処理。


またその言葉だった。


ヒカリの肩が小さく震える。


『青葉さんに対して、直接的な暴力や物の隠匿、明確な暴言が継続していたという確認が取れなかったためです』


レイが低く呟く。


「出た」


「何が」


「いじめ認定できませんでした構文」


俺は黙って画面を見る。


白石の声は丁寧だった。


自分を守りたい人間の声には聞こえなかった。


少なくとも、嘘をついて逃げているようには見えない。


でも、それが余計に嫌だった。


『私はクラス内の人間関係の問題として、青葉さん本人と数名の生徒に声をかけました』


「それで悪化した」


俺が言うと、ヒカリが小さく頷いた。


「はい」


『その対応が結果的に青葉さんを追い詰めた可能性は、今になって強く感じています』


コメント欄。


《今さら?》


《可能性じゃなくて事実だろ》


《担任も加害者》


《でも認めてるだけマシ》


《先生だけ責めるのも違う》


《学校っていつもこれ》


相模原がタブレットを見ている。


「世論が割れています」


「またですか」


「ええ。いい傾向です」


相模原は平然と言った。


「割れている間は1人に火が集中しない」


その通りだった。


でも、俺たちはもうずっとそういうことをしている。


誰か1人が燃え尽きないように、火を散らしている。


火を消すんじゃない。


散らす。


そうすれば、全部が少しずつ焦げるだけで済む。


本当にそれでいいのかは分からない。


『天音さんについても話します』


白石が言った。


ヒカリの体が少し固まる。


『天音さんは当時から目立つ生徒でした。成績も良く、周囲への気配りもでき、教員からの信頼も厚かった』


コメントが流れる。


《優等生タイプか》


《先生のお気に入り》


《出た正しい側》


《ヒカリ擁護くる?》


白石は少し間を置いた。


『ですが、私は彼女に頼りすぎていました』


ヒカリが画面を見つめる。


『クラスの空気を整える役割を無意識に彼女へ押しつけていたのだと思います』


部屋が静かになる。


相模原が少しだけ目を細めた。


レイも黙っている。


白石は続けた。


『青葉さんのことについて相談を受けた時も、私は天音さんに言いました』


一瞬、ヒカリの顔が強張った。


たぶん、その言葉を覚えている。


『君がうまく間に入ってあげてくれないか、と』


ヒカリの指が白くなる。


俺は思わずヒカリを見る。


ヒカリは画面を見たまま、動かない。


でも、呼吸だけが少し乱れていた。


『私は当時、それを良いことだと思っていました。生徒同士で解決できるなら、それが一番だと』


白石の声が少し震える。


『ですが今思えば、それは大人が引き受けるべき問題を、生徒に渡していただけでした』


コメント欄がまた変わる。


《これは担任アウト》


《ヒカリも被害者?》


《いやでも何もしなかったのは事実》


《先生が悪いだろ》


《全部先生のせいにするな》


《クラスの空気ってやつか》


ヒカリは何も言わなかった。


ただ、唇だけが少し震えている。


「……私」


小さな声。


「それ、ずっと覚えてます」


誰も返事をしなかった。


ヒカリは続ける。


「先生にそう言われたから、私が何とかしなきゃって思って」


声が少しずつ小さくなる。


「でも、私が動くとミオさんが余計に目立って」


レイが画面を見ながら言う。


「地獄じゃん」


その言葉は軽かった。


でも、今回は誰も笑わなかった。


白石はカメラの向こうで頭を下げた。


『青葉さん、天音さん、そして当時のクラスの皆さんに、私は適切な対応ができませんでした』


深い謝罪。


丁寧な言葉。


でも、コメント欄はもう別の方向に走っていた。


《担任が謝った》


《ヒカリは先生に押しつけられた側?》


《でもミオは壊れた》


《じゃあ誰が悪いの?》


《全員じゃね》


《学校システムの問題》


《急に社会問題化して草》


《草じゃない》


相模原が静かに言う。


「空気が変わりましたね」


「どう変わりました」


「天音ヒカリ1人の物語ではなくなった」


俺は画面を見る。


確かにそうだった。


炎上のタイトルが変わり始めている。


《天音ヒカリいじめ疑惑》


から、


《学校のいじめ対応問題》


へ。


《善人スコア制度の闇》


へ。


《優等生に押しつけられるクラス運営》


へ。


火は広がっている。


でも、中心はずれている。


ヒカリは助かるかもしれない。


その代わり、別のものが燃え始める。


「……これでいいんですか」


ヒカリが小さく聞いた。


誰に向けた言葉か分からなかった。


俺か。


相模原か。


それとも自分か。


相模原が答える。


「いいかどうかではありません」


「……」


「これが現実です」


その言葉に、ヒカリは少しだけ眉を寄せた。


「現実って」


声が小さく震える。


「誰かが傷つくことの言い訳にすごく便利ですね」


部屋が静かになった。


レイが目を丸くする。


俺も驚いた。


ヒカリが相模原にそう言った。


相模原はしばらく黙っていた。


それから、少しだけ笑う。


いつもの笑い方ではなかった。


「ええ」


相模原は言った。


「だから皆、よく使います」


ヒカリは言葉を失った。


たぶん、否定してほしかったんだと思う。


でも相模原は否定しない。


この人は綺麗な逃げ道を作らない。


「善人スコア」


相模原が言った。


俺はタブレットを見る。


69.9。


69.6。


69.2。


落ちている。


でも、速度は遅くなっていた。


コメント分析。


怒り、42パーセント。


失望、19パーセント。


嘲笑、9パーセント。


困惑、14パーセント。


迷い、11パーセント。


その他、5パーセント。


「迷いが増えてます」


俺が言うと、相模原が頷いた。


「いい」


「いいんですか」


「炎上は、迷わせれば鈍る」


相模原は言った。


「正義感は迷いに弱い」


俺はタブレットを見つめた。


正義感は迷いに弱い。


それはたぶん、この仕事の本質だった。


人を許させるのではない。


人を迷わせる。


本当に叩いていいのか。


自分は本当に正しい側なのか。


相手は本当に悪人なのか。


ほんの少しでも迷えば、指は止まる。


全部の指は止まらない。


でも、何本かは止まる。


それだけで、炎上の速度は変わる。


「有馬くん」


レイが画面を見ながら言った。


「でもこれ、ヤバい方向にも行ってる」


「何ですか」


「白石先生への攻撃、増えてる」


画面を見る。


《白石教師辞めろ》


《もう辞めてる?》


《退職金返せ》


《住所特定まだ?》


《家族いる?》


《こいつが全部悪い》


「……早いな」


俺は思わず呟いた。


人は本当に早い。


罪の形が見えた瞬間、すぐに石を持つ。


その石が誰の手から誰へ渡ったものなのかなんて考えない。


「止めないと」


ヒカリが言った。


「先生への攻撃も止めないと」


「あなたが言うとまた燃えます」


相模原が即答する。


「じゃあ、誰が言えばいいんですか」


ヒカリの声が少し強くなる。


「誰かが言わないと、また同じことになります」


また。


その言葉が部屋に残った。


また見ているだけになる。


また何もしないことになる。


また誰かが1人で叩かれる側になる。


俺はタブレットを見た。


白石への攻撃は増えている。


でも同時に、学校全体への批判も増えている。


個人攻撃と構造批判が混ざっている。


このままではより分かりやすい方へ流れる。


つまり、白石個人だ。


「白石先生自身に言わせるしかない」


俺は言った。


相模原がこちらを見る。


「何を」


「個人攻撃をやめてほしい、と」


レイが顔をしかめる。


「それ、本人が言うと逆効果じゃない?」


「言い方次第です」


俺は画面を見る。


白石の動画はまだ続いている。


彼はコメント欄を見ているようだった。


自分への攻撃が増えているのをたぶん分かっている。


顔色が悪い。


『私への批判は当然だと思っています』


白石が言った。


まるでこちらの話を聞いていたみたいだった。


『ただ、当時の生徒たちや、現在の学校関係者への攻撃はお控えください』


レイが「あ」と言った。


「自分で言った」


白石は頭を下げる。


『すべては私の対応の未熟さにあります』


コメント欄が反応する。


《自分に集めた》


《逃げるな》


《生徒守ってるのか》


《今さら先生ぶるな》


《でもこれは言うべき》


《白石だけ燃やせばよくね》


ヒカリの顔が歪む。


「違う」


小さな声。


「全部先生のせいじゃない」


その言葉は今この場では誰にも届かない。


でも、俺には聞こえた。


ヒカリは何度も同じ場所に戻っている。


誰か1人のせいにすれば楽になる。


でも、それをすると誰かが壊れる。


だから止めたい。


でも止めようとすると、自分も燃える。


「有馬」


相模原が言った。


「ここからどうする」


また試している。


俺は少し考える。


白石が自分に火を集めようとしている。


ヒカリはそれを止めたい。


ミオはまだ配信を切っていない。


コメント欄は次の敵を探している。


全員が自分の正しさで誰かを傷つけている。


「3人を同時に黙らせます」


俺は言った。


レイが「は?」と声を出す。


相模原は目を細めた。


「どうやって」


「黙る理由を作る」


「またそれか」


レイが言う。


俺は頷いた。


「今、誰かが話すたびに燃える。ヒカリさんが話しても、ミオさんが話しても、白石先生が話しても、それぞれの言葉が次の火種になる」


「じゃあ完全沈黙?」


「ただ黙ると逃げたと言われる」


「で?」


俺はタブレットに文面を打つ。


「3者で共同の停止宣言を出す」


部屋が静かになる。


「天音ヒカリ、青葉ミオ、白石先生。3人とも、これ以上の配信・投稿・個別発言を一時停止する」


相模原が言う。


「誰がまとめる」


「ごめんなさい屋です」


「理由は」


「二次加害防止と、第三者調査への移行」


俺は文面を打ちながら続ける。


「個人の記憶と配信で裁く段階から、記録確認へ移す」


レイが腕を組む。


「ミオが乗るかな」


「乗らない可能性もあります」


「じゃあダメじゃん」


「でも、提案した事実は残る」


相模原が少し笑った。


「なるほど」


俺は嫌な気分になる。


また、この人に分かってもらえている。


「ミオさんが拒否しても、ヒカリさん側が黙る理由になる。白石先生にも逃げ道ができる。世間に対しては、『当事者がこれ以上燃料を出さない方向に進んでいる』と見せられる」


「見せる、ね」


レイが苦笑する。


「やっぱ火消し屋だわ」


「ごめんなさい屋です」


「名前がふざけてる」


「俺もそう思います」


ヒカリがこちらを見た。


「ミオさんが拒否したら、どうなるんですか」


「その時はミオさんが話し続ける選択をしたことになります」


ヒカリの表情が曇る。


「責められませんか」


「責められます」


正直に言う。


「だから、拒否しにくい文にします」


「拒否しにくい文……」


ヒカリが少しだけ嫌そうな顔をした。


分かる。


俺も嫌だ。


でも必要だった。


「押しつけにならないようにする。謝罪を求めない。沈黙を強制しない。けれど、これ以上コメント欄に当事者が立ち続ける危険性を共有する」


相模原が頷く。


「作れ」


俺は文面を整える。


《現在、天音ヒカリ氏、青葉ミオ氏、白石氏に関する発信が急速に拡散し、関係者個人への攻撃、特定行為、二次的な加害が確認されています。》


《これ以上、個人の記憶や感情がリアルタイムで消費され続けることは、すべての当事者にとって望ましい状態ではありません。》


《本件については、第三者を交えた事実確認へ移行するため、当事者3名には一定期間、個別の発信を控えることを提案しています。》


《これは誰かの発言を封じるためではなく、これ以上誰かを燃やすために言葉を使わせないための提案です。》


レイが画面を覗く。


「重」


「軽くする内容じゃないです」


「まあね」


相模原が文面を見る。


「最後の1文が甘い」


「どこですか」


「『提案です』では弱い」


「強制に見えると燃えます」


「だから、弱く見せながら強くする」


相模原は1文を足した。


《各当事者の意思を尊重しつつ、これ以上の発信が新たな被害を生む可能性について、慎重な判断をお願いしています。》


レイがうげえという顔をした。


「大人の文章だ」


「そういう仕事です」


ヒカリは文面を見ていた。


「……これで、ミオさんは責められませんか」


「責める人はいます」


俺は言った。


「でも、責めるための勢いは少し弱まります」


「少し」


「はい」


ヒカリは小さく頷いた。


「少しでもいいです」


その言い方が、妙に切実だった。


きっとこの人は、ずっと少しを積み上げてきた。


少し笑う。


少し謝る。


少し譲る。


少し我慢する。


それで何とかなると思ってきた。


でも、何ともならない時もある。


それでも今は少ししかできない。


声明を出す。


同時に、ミオのアカウントへ連絡。


白石の配信にも連絡。


学校側にも通知。


数分間、部屋の中は端末の操作音だけになった。


ヒカリは座ったまま、ずっと画面を見ていた。


その間にも善人スコアは動いている。


69.2。


69.0。


68.8。


まだ落ちている。


でも、速度は遅い。


「ミオさんから反応」


スタッフが言った。


部屋の空気が固まる。


「何て」


俺が聞く。


スタッフは画面を読む。


「『条件があります』」


レイが眉を上げる。


「条件?」


スタッフが続ける。


「『天音さんと2人で話したい。配信でも動画でもなく、記録に残らない形で』」


ヒカリが顔を上げる。


「……2人で」


相模原の表情が変わる。


「危険ですね」


「危険?」


「記録に残らない会話は後からどちらの記憶にも変わる」


冷たい言い方だった。


でも正しい。


2人だけの会話は救いにもなる。


同時に、次の火種にもなる。


「それでも」


ヒカリが言った。


「話したいです」


相模原は即座に首を横に振る。


「許可できません」


「どうしてですか」


「あなたは今、善人スコア68台の炎上当事者です。何を言っても、何を言われても、その場で処理できる状態ではない」


「でも」


「さらに、記録が残らない。第三者もいない。危険すぎる」


ヒカリは唇を噛む。


「じゃあ、また話せないんですか」


「今は話さない方がいい」


「今じゃないと、また遅くなるかもしれません」


相模原は黙る。


ヒカリの声は震えていた。


でも、引かなかった。


「高校の時も、今じゃない、今はやめた方がいい、って思ってました」


部屋が静かになる。


「そしたら、何も言えないまま終わりました」


誰もすぐには喋らなかった。


ヒカリは続ける。


「今も怖いです。失敗するかもしれません。でも、また何もしない理由を探すのは、もう嫌です」


その言葉に、レイが小さく笑った。


「68点、成長早いね」


ヒカリは少しだけ困った顔をする。


「褒められてますか?」


「たぶん」


レイは言った。


「知らんけど」


俺は相模原を見る。


相模原は黙って考えていた。


珍しかった。


この人がすぐに答えを出さない。


「……条件を変えます」


相模原が言った。


「2人だけは不可」


ヒカリの表情が沈む。


「ですが、記録に残さない形も一部認めます」


「どういうことですか」


「同席者1名」


相模原は俺を見る。


嫌な予感がした。


「有馬が同席します」


「俺ですか」


「お前が始めたことだ」


正論だった。


最悪の正論。


「音声記録は残さない。ただし、終了後に双方の同意した要点だけを文書化する」


「ミオさんが嫌がったら」


「その時は中止です」


ヒカリは少し考えた。


それから、俺を見る。


「有馬さん」


「はい」


「お願いできますか」


断れなかった。


仕事だからじゃない。


たぶん、ここで断ると俺もまた何もしなかった側になる。


「……分かりました」


レイが小さく言った。


「有馬くん、顔死んでる」


「元からです」


「草」


でもレイは笑っていなかった。


スタッフがミオ側に返信する。


数分。


返事が来る。


『有馬さん同席なら構いません』


俺は眉をひそめる。


「何で俺の名前知ってるんですか」


相模原が言った。


「先ほどの通話で名乗っていましたからね」


「ああ」


嫌な記憶力だ。


ヒカリは小さく息を吐いた。


緊張している。


でも、逃げる顔ではなかった。


「日時は」


スタッフが聞く。


ミオから次の返信。


『今日。今すぐ』


部屋の空気が固まる。


レイが「うわ」と呟いた。


相模原は静かに笑った。


「いいでしょう」


「いいんですか」


俺が聞く。


「遅らせるほど、外野が物語を作る」


相模原は言った。


「当事者が話すなら、外野より早い方がいい」


また正しい。


本当に嫌になる。


ヒカリは立ち上がった。


少しふらついたが、今度は座り込まなかった。


「行きます」


声は小さかった。


でも、はっきりしていた。


善人スコア68.8。


もう完璧な善人ではない少女が過去に置いてきた相手に会いに行く。


俺はタブレットを閉じた。


この先に正解があるとは思えなかった。


たぶん、ない。


ただ。


今度は見えている。


見えているなら、動くしかない。


ヒカリは部屋のドアへ向かう。


その背中を見ながら、相模原が言った。


「有馬」


「はい」


「会話で一番危険なのは謝ることです」


「……分かってます」


「謝罪は、時に相手から言葉を奪う」


俺は頷いた。


「覚えておきます」


相模原は少し笑った。


「いい返事だ」


その笑い方はやっぱり嫌だった。


俺たちは部屋を出る。


廊下は静かだった。


遠くで、スタッフたちの電話の声だけが聞こえる。


ヒカリは歩きながら、小さく言った。


「有馬さん」


「はい」


「私、謝らない方がいいんですよね」


「最初は」


「でも、謝りたいです」


「でしょうね」


ヒカリが少しだけこちらを見る。


「分かるんですか」


「はい」


俺は言った。


「あなた、謝ることでしか、自分の居場所を作れなかった人に見えるので」


ヒカリは何も言わなかった。


でも、少しだけ泣きそうな顔をした。


今度は泣くことを我慢している顔じゃなかった。


ただ、言葉が当たった顔だった。


エレベーターの扉が開く。


俺たちは乗り込む。


地下へ。


ミオが待つ場所へ。


炎上の外側ではなく、まだ燃える前の教室みたいな場所へ。


エレベーターの数字が下がっていく。


17。


16。


15。


ヒカリは小さく息を吸った。


「今度は見ないふりをしません」


その声は震えていた。


でも、俺は何も言わなかった。


その言葉が本当かどうかはこれから分かる。


そしてたぶん。


本当だとしても人は傷つく。


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