第十三話 燃える順番
「今度はクラス全員の炎上を設計する」
相模原は平然と言った。
部屋の空気が止まる。
レイがポテチの袋を握ったまま固まっていた。
スタッフたちも誰も動かない。
ヒカリだけがゆっくり相模原を見た。
「……どういう意味ですか」
声が震えていた。
でも、逃げる声じゃなかった。
「そのままの意味です」
相模原はタブレットを操作する。
「すでに火は広がっています。天音ヒカリ、青葉ミオ、匿名同級生、学校、教師。次は当時のクラスメイト全員が掘られる」
画面に関連ワードが並ぶ。
《天音ヒカリ 高校》
《青葉ミオ 卒アル》
《担任 名前》
《クラスメイト 誰》
《いじめ 主犯》
「人は必ず探します」
相模原は淡々と続けた。
「誰が悪かったのか。誰が見ていたのか。誰が笑ったのか。誰が止めなかったのか」
「だから燃やすんですか?」
ヒカリが聞いた。
相模原は首を横に振る。
「違います」
少しだけ間を置く。
「燃える場所を決めるんです」
その言い方が嫌だった。
火事を消す人間じゃない。
火事の地図を作る人間の言い方だった。
「放っておけば、世間は一番弱い個人を見つけて燃やします」
相模原は画面をスクロールする。
「当時の担任。部活顧問。卒アルを投稿した生徒。ミオさんと席が近かった生徒。天音さんと仲が良かった生徒。全員候補です」
レイが顔をしかめる。
「候補って言い方やめなよ」
「対象と言い換えますか」
「余計悪いわ」
相模原は表情を変えない。
「今必要なのは、火の行き先を個人から構造に変えることです」
「構造?」
俺が聞く。
「学校です」
画面に古い学校のホームページが映る。
校章。
制服紹介。
進学実績。
『心の教育を大切に』という古いスローガン。
その言葉だけが異様に白々しく見えた。
「個人ではなく、当時の学校対応へ焦点を移す」
相模原は言った。
「担任がどう処理したか。学校がどこまで把握していたか。相談窓口は機能していたか。記録は残っているか」
「それならまだ分かりますけど」
レイが言う。
「でもそれ結局、学校燃えるじゃん」
「燃えます」
相模原は即答した。
「ただし、個人の卒アルが拡散されるよりはマシです」
誰もすぐには言い返せなかった。
それはたぶん正しい。
正しいから嫌だった。
「……私のせいで」
ヒカリが小さく言った。
「学校まで」
「あなた一人のせいではありません」
相模原が言う。
「ですが、あなたが火種の中心になっているのは事実です」
ヒカリの顔が少し歪む。
相模原の言葉はいつもそうだ。
間違ってはいない。
でも、人間が聞くには冷たすぎる。
俺はタブレットを見た。
コメント欄はもう次の獲物を探し始めている。
《卒アル上げた奴誰?》
《ミオを孤立させた主犯出せ》
《担任何してたの?》
《学校名特定まだ?》
《クラスメイト全員同罪》
「……早いですね」
俺が言うと、相模原が頷く。
「炎上は空白を嫌います」
「空白?」
「悪者が一人だと物足りない。だから周辺人物を探す」
相模原は静かに言った。
「人は正義感を持て余すと、次の敵を欲しがる」
その言葉にレイが小さく「きっつ」と呟いた。
でも、否定はしなかった。
たぶん、レイは知っている。
何度も燃えた側として。
何度も燃やした側として。
「じゃあ、学校に押しつけるんですか」
ヒカリが言った。
「私たちが悪くないって言うために」
「押しつけではありません」
相模原は言う。
「論点整理です」
「同じに聞こえます」
ヒカリの声に少しだけ怒りが混じっていた。
レイが目を丸くする。
俺も少し驚いた。
ヒカリが相模原に反論した。
それだけなのに、部屋の温度が変わった気がした。
相模原はヒカリを見る。
「天音さん」
「はい」
「あなたは今、全員を守ろうとしている」
「……」
「ですが、それは不可能です」
ヒカリは唇を噛む。
「誰も傷つけずにこの火を消すことはできません」
部屋が静かになる。
「だから傷を最小化する」
相模原は続ける。
「そのために、誰がどの順番で燃えるかを考える」
「それを」
ヒカリは言った。
「私が選ぶんですか」
相模原は答えない。
沈黙が答えだった。
ヒカリは目を伏せた。
善人スコア69の少女。
もう完璧な善人ではない。
それなのに今、誰を傷つけるかを選ばされている。
「……最悪ですね」
ヒカリが小さく言った。
レイが苦笑する。
「うん。最悪」
「でも、選ばないともっと最悪になる」
俺は言った。
自分で言って嫌になった。
相模原の言葉みたいだったからだ。
ヒカリが俺を見る。
「有馬さんもそう思いますか」
俺はすぐに答えられなかった。
思う。
でも、そう言いたくない。
「……今、火はもう広がっています」
俺は言った。
「このままだと、ミオさんも、同級生も、先生も、学校も、全部バラバラに燃える」
「はい」
「だから、火を一つの方向に集める必要はあります」
「学校へ?」
「個人じゃなくて仕組みへ」
ヒカリは黙る。
俺は続けた。
「でも、それをヒカリさんの保身に見せたら終わりです」
相模原が少しだけ目を細める。
「どうする」
「ヒカリさんは何も言わない」
「また?」
ヒカリが小さく聞く。
その声に痛みがあった。
また、何もしないのか。
そう聞こえた。
俺は首を横に振る。
「違います。今度は黙る理由を作ります」
「理由?」
「ヒカリさんが話すと、全部ヒカリさんの物語になる。ミオさんの話も、学校の話も、全部『天音ヒカリ炎上』の一部になる」
ヒカリが息を止める。
「だから、ヒカリさんは前に出ない」
「でも」
「代わりに、第三者調査を求める」
部屋が静かになる。
「本人の弁明じゃなくて、当時の記録を確認する流れにする。学校、事務所、ごめんなさい屋、全部含めて」
相模原がタブレットを置いた。
「悪くない」
レイがこちらを見る。
「お、褒められた」
「やめてください」
相模原に褒められるのはやっぱり嫌だった。
「ただし」
相模原は続ける。
「第三者調査を入れると、天音さんに不利な事実も出る」
ヒカリは頷いた。
「分かっています」
「本当に?」
「はい」
少しだけ、声が強かった。
「私はもう『何もなかった』とは言えません」
その言葉に俺はヒカリを見る。
ヒカリは震えていた。
でも、逃げていなかった。
「ミオさんが一人だったことを、私は知っていました」
部屋の空気が少しだけ重くなる。
「私が声をかけたら悪化すると思った。それも本当です。でも、結果的に何もしなかったことも本当です」
ヒカリは顔を上げる。
「だったら調べてもらった方がいいです」
「自分がもっと叩かれるかもしれませんよ」
俺が言う。
「はい」
即答だった。
「でも、誰か一人を悪者にして終わるよりはいいです」
レイが小さく笑った。
「善人スコア69の発言じゃないね」
ヒカリは少しだけ困った顔をした。
「もう、その点数よく分からなくなってきました」
その言葉は小さかった。
でも、妙に印象に残った。
善人スコア六十九。
社会から見れば、彼女はもう信用の低い人間だ。
でも今のヒカリの方がスコア97だった頃より、ずっと人間らしく見えた。
相模原が立ち上がる。
「方針を決めます」
その一言でスタッフ全員の顔が引き締まる。
「まず、ミオさんへの二次加害を止める声明を継続。卒アル、個人情報、過去の暴露動画は通報と削除要請」
「はい」
スタッフが動き始める。
「次に、学校への確認要請。事務所名義で正式に出す。内容は『当時の対応について、関係者への二次被害に配慮しながら事実確認を求める』」
「ヒカリさん本人のコメントは?」
スタッフが聞く。
相模原は少しだけ考えた。
「出さない」
ヒカリが小さく息を呑む。
でも何も言わなかった。
「ただし、一文だけ出す」
「一文?」
俺が聞く。
相模原はヒカリを見る。
「天音さん自身の言葉で」
ヒカリは少し緊張した顔をした。
「何を……」
相模原は答えた。
「『私のために誰かを傷つけないでください』」
部屋が静かになる。
レイが「あー」と小さく言った。
「強いね」
「強すぎます」
俺は言った。
「善人ぶっていると取られます」
「取られるでしょうね」
「じゃあ」
「でも、今この言葉を出せるのは天音さんだけです」
相模原は静かに言った。
「燃えます。しかし、ミオさんや周辺人物への火を少しだけ鈍らせる可能性がある」
俺は言葉に詰まった。
さっき俺が言ったことと同じだ。
燃え方を選ぶ。
相模原はそれをもっと冷酷に使っている。
ヒカリはしばらく黙っていた。
それから、小さく頷く。
「言います」
「いいんですか」
俺が聞く。
ヒカリは俺を見る。
「また善人ぶってるって言われますよね」
「たぶん」
「それでも」
ヒカリは言った。
「言わないよりはいいです」
その声に、前ほどの怯えはなかった。
嫌われないための言葉じゃない。
嫌われても、誰かをこれ以上傷つけないための言葉。
たった一文。
それでも、今のヒカリにはかなり重い。
スタッフが文章を用意する。
相模原が確認する。
俺も見る。
《私のために誰かを傷つけないでください。》
それだけ。
短い。
説明もない。
謝罪もない。
弁明もない。
だからこそ、逃げ場がなかった。
ヒカリが自分のアカウントで投稿する。
数秒後。
コメントが爆発する。
『善人ぶるな』
『お前が言うな』
『ミオさんに謝れ』
『でもこれはそう』
『二次加害やめろ』
『自分のためだろ』
『誰かを傷つけないでください、か』
『綺麗事』
『綺麗事でも言わないよりマシ』
割れている。
また、空気が割れた。
レイが画面を見ながら呟く。
「うわ、ぐちゃぐちゃ」
「それでいいです」
俺は言った。
「一方向に走るよりはマシです」
相模原が頷く。
「炎上で最も危険なのは全員の気持ちが揃うことです」
その言葉は嫌なくらい腑に落ちた。
全員が同じ方向を向いた時、人は一番残酷になる。
「……ありがとう、ございます」
ヒカリが言った。
俺はまた返事に困った。
感謝されるような仕事なのか分からなかった。
その時だった。
スタッフの一人が声を上げた。
「学校側が反応しました」
部屋の全員がそちらを見る。
「早いな」
レイが言う。
スタッフが画面を読み上げる。
「公式コメントです」
大型モニターに学校の声明が映る。
《当校における過去の事案について、現在事実確認を進めております。》
《なお、現時点で在校生・卒業生・教職員への個別取材、誹謗中傷、個人情報の拡散はお控えください。》
「普通ですね」
俺が言うと、相模原が首を横に振った。
「続きがある」
スタッフが顔をこわばらせる。
画面の下に追記が出る。
《当時、本件に関する相談記録は確認されておりません。》
ヒカリの表情が止まった。
「……え?」
小さな声。
でも、その声の意味はすぐに分かった。
ヒカリは言っていた。
先生に相談した、と。
その後、もっと悪くなった、と。
でも学校は相談記録はないと言っている。
レイが低く呟く。
「うわ、来た」
コメント欄がまた動き始める。
『ヒカリ嘘ついた?』
『相談したって言ってたのに?』
『記録なし』
『学校が隠してる?』
『どっち?』
『また燃料』
ヒカリは画面を見つめていた。
顔色がどんどん白くなる。
「……私」
声が震える。
「相談しました」
誰もすぐには答えなかった。
「ちゃんと、先生に言いました」
ヒカリは続ける。
「職員室の前で。放課後で。先生は、分かったって」
その記憶だけはハッキリしているらしい。
声に迷いがなかった。
でも、記録はない。
相模原が静かに言った。
「面白くなってきましたね」
俺は相模原を見る。
今度ばかりは少し本気で腹が立った。
「相模原さん」
「何か」
「今の、面白がるところじゃないです」
相模原は俺を見た。
数秒。
沈黙。
そして、少しだけ笑った。
「失礼」
謝った。
でも反省はしていなかった。
ヒカリは画面を見たまま小さく言う。
「先生、忘れたんでしょうか」
誰も答えない。
レイがスマホを見ながら顔をしかめた。
「いや、もっと嫌な可能性ある」
「何ですか」
「先生、覚えてるけど記録に残してない」
部屋が静かになる。
相模原が頷く。
「あるいは、記録を残さない形で処理した」
「処理って」
ヒカリが呟く。
その言葉が彼女に刺さったのが分かった。
自分が必死に相談したことが、誰かにとってはただの処理だったかもしれない。
俺はタブレットを見る。
炎上の中心がまた変わっていた。
天音ヒカリ。
青葉ミオ。
高校。
そして。
《担任》
検索候補に、その二文字が上がってくる。
火は次の場所を見つけた。
「止めますか」
俺が聞く。
相模原は首を横に振った。
「止まりません」
「じゃあ」
「掘ります」
相模原は言った。
「こちらが先に、当時の担任を調べる」
ヒカリが顔を上げる。
「先生を燃やすんですか」
「違います」
相模原は言った。
「燃える前に、事実を確認する」
レイが小さく笑う。
「言い方変えただけじゃん」
「言い方は重要です」
相模原は平然としている。
俺はヒカリを見た。
ヒカリは迷っていた。
先生を守りたいのか。
ミオを守りたいのか。
自分を守りたいのか。
全部なのか。
たぶん、全部だった。
そして全部は守れない。
「天音さん」
俺は言った。
「当時の先生の名前、分かりますか」
ヒカリは少しだけ目を伏せる。
それから、小さく頷いた。
「……はい」
部屋の空気が重くなる。
ヒカリは唇を噛んだ。
「でも」
「はい」
「あの先生も悪い人じゃなかったんです」
その言葉を聞いた瞬間。
俺は嫌な予感がした。
悪い人じゃなかった。
この物語で、その言葉ほど信用できないものはない。
ヒカリは続けた。
「ただ、すごく忙しそうで」
レイが目を閉じる。
「あー……」
相模原が少しだけ笑う。
俺はタブレットを開いた。
炎上は悪人を探す。
でも現実にいるのはだいたい悪人ではない。
忙しい人。
見なかった人。
記録しなかった人。
空気を優先した人。
その場を丸く収めた人。
そういう人間ばかりだ。
だから、たぶん燃える。
悪人じゃないからこそ。
「担任の名前は」
俺が聞く。
ヒカリは小さく息を吸った。
そして、言った。
「白石先生です」
その名前が部屋に落ちた瞬間。
相模原のタブレットが震えた。
通知。
新着動画。
投稿者名。
《元教師・白石》
タイトル。
『天音ヒカリさんの件について、当時担任として話します』
レイが乾いた声で笑った。
「はい、本人登場」
俺は画面を見た。
嫌な予感しかしなかった。
相模原だけが静かに笑っていた。
「役者が揃ってきましたね」
その言葉に、誰も笑わなかった。




