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炎上謝罪代行人は、善人ランキング世界で“許される空気”を作る  作者: 有馬 凪


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12/16

第十二話 「配信されなかった映像」

善人スコア69.9。


その数字が画面に表示された瞬間、部屋の空気が変わった。


音はしない。


警報も鳴らない。


誰かが叫ぶわけでもない。


ただ、小数点が一つ動いただけ。


それなのに。


天音ヒカリはさっきまでとは違う人間になった。


少なくとも、この社会では。


「……60台」


スタッフの一人が呟いた。


その声には恐怖があった。


70台はまだ戻れるかもしれない場所だった。


60台は違う。


炎上した人間。


疑っていい人間。


距離を取ってもいい人間。


仕事上、関わらない方が安全な人間。


そういうラベルが本人の意思とは関係なく貼られる。


ヒカリは画面を見ていた。


善人スコア69.9。


自分の人生を表す数字。


ずっと守ってきたもの。


誰かに嫌われないように。


空気を悪くしないように。


怒られる前に謝って。


笑って。


譲って。


我慢して。


そうやって積み上げてきたものが、今、画面の上であっさり崩れていた。


「天音さん」


相模原が言った。


「ここからは対応を変えます」


ヒカリはゆっくり顔を上げる。


「対応……」


「あなたはもう『完璧な善人』ではありません」


相模原は淡々としていた。


「だから、完璧な善人として戻るルートは捨てます」


スタッフがざわつく。


「ちょっと待ってください。ブランドイメージが――」


「もう壊れています」


相模原は即答した。


「壊れたブランドを壊れていないことにする方が燃える」


スタッフは黙った。


レイが小さく笑う。


「言い方よ」


「正確です」


「いつも正確なのが最悪なんだよね」


相模原は無視した。


「これから必要なのは『傷のある善人』への転換です」


「傷のある善人……?」


ヒカリが繰り返す。


「はい」


相模原はタブレットを操作する。


「完璧ではない。間違えた。見ていたのに動けなかった。だから今後は同じことを繰り返さない」


画面に謝罪設計案が並んでいく。


《完璧な善人から、未熟な善人へ》


《失敗を認める》


《被害者への継続的な対話》


《いじめ防止プロジェクト参加》


《長期休養》


《復帰時期未定》


「最悪ですね」


俺は言った。


相模原がこちらを見る。


「何が」


「もう次の商品にしてる」


「生き残るためです」


「本人がまだ追いついてない」


「世間は待ちません」


正しい。


でも、嫌だった。


ヒカリは自分のスコアが六十台に落ちたばかりだ。


ミオに返事をしたばかりだ。


過去を掘り返されたばかりだ。


それなのに、この人はもう次の売り方を考えている。


人間が壊れる速度より炎上対策の方が速い。


「……私は」


ヒカリが小さく言った。


全員がそちらを見る。


「私は休んだ方がいいんですか」


「はい」


相模原は答える。


「最低でも二週間。可能なら一ヶ月。表には出ない方がいい」


「配信も」


「停止」


「仕事も」


「停止」


「ミオさんには」


「直接連絡はしない」


ヒカリの表情が少し動いた。


「でも」


「今連絡すれば、圧力に見えます」


相模原は淡々と言う。


「謝罪も、対話も、善意も、タイミングを間違えれば攻撃になります」


ヒカリは何も言えなかった。


その通りだからだ。


善意は時々、人を刺す。


たぶん今のヒカリにはその言葉が一番痛い。


レイがスマホを見ている。


「コメント割れてる」


「割合は」


「ざっくり、怒り五割、困惑二割、擁護一割、面白がってるの二割」


「擁護が出たか」


相模原が少しだけ目を細める。


「早いですね」


「『逃げなかったのは評価する』とか『謝らなかったの逆に本気っぽい』とか」


レイがスクロールする。


「あと『ミオも配信でやるのは違う』って意見も出てきた」


「始まったな」


相模原が言う。


俺は嫌な予感がした。


「何がですか」


「反転です」


相模原はタブレットを見る。


「炎上は一方向に進み続けるとは限らない。熱量が大きすぎると、必ず逆流が起きる」


「ミオさんが叩かれるってことですか」


「可能性は高い」


ヒカリの顔色が変わった。


「それはダメです」


即答だった。


その声だけはさっきよりはっきりしていた。


「ミオさんが叩かれるのは違います」


「ですが、もう始まっています」


相模原は画面を見せる。


『被害者なら何してもいいの?』


『配信で晒すのは違くない?』


『ヒカリを追い詰めすぎ』


『ミオも承認欲求では?』


『結局どっちもどっち』


ヒカリが息を呑む。


「やめて……」


その声は、ほとんど祈りだった。


「相模原さん、止められないんですか」


「止められません」


「でも、ミオさんは」


「天音さん」


相模原の声が少しだけ低くなる。


「今度はあなたが彼女を守る側になりたいんですか」


ヒカリは黙った。


図星だった。


「それは危険です」


相模原は続ける。


「あなたが今ミオさんを守ろうとすれば、世間はこう受け取ります」


相模原は少し間を置いた。


「『また善人ぶっている』」


ヒカリの肩が震えた。


「……」


「あなたの善意は今一番信用されていない」


残酷な言葉だった。


でも、たぶん正しい。


善人スコア69.9。


一度疑われた善意は同じ形のままでは届かない。


優しさ。


気遣い。


謝罪。


保護。


全部、別の意味をつけられる。


「じゃあ」


ヒカリは小さく言う。


「私はまた、何もしない方がいいんですか」


部屋が静かになる。


その問いは誰にも簡単に答えられなかった。


何かをすれば、燃える。


何もしなければまた誰かが傷つく。


正解なんてない。


いや。


たぶん昔もなかった。


高校の教室でも。


今のコメント欄でも。


「有馬」


相模原が俺を見る。


「お前はどう考える」


試されている。


そう分かった。


この人は、俺がさっき相模原の設計を崩したことをまだ許していない。


いや。


怒っているというより観察している。


俺がどこまで壊れるかを。


「……今すぐミオさんを守る発言はできません」


俺は言った。


ヒカリの表情が少し沈む。


「それは相模原さんと同じ意見です」


「でしょうね」


「でも、ミオさんが叩かれる流れを放置するのも危ない」


相模原が少しだけ興味を示す。


「理由は」


「ヒカリさんがまた『見ていたのに動かなかった人』になるからです」


ヒカリがこちらを見る。


「今度はリアルタイムで」


部屋が静かになる。


レイが「あー」と呟いた。


「地獄の再放送じゃん」


その通りだった。


過去の教室でヒカリは見ていた。


動けなかった。


今、配信のコメント欄でミオが叩かれ始めている。


ヒカリはそれを見ている。


また動けない。


このままでは同じことになる。


「じゃあどうする」


相模原が聞く。


俺はタブレットを見る。


コメント分析。


怒り。


失望。


困惑。


迷い。


反転攻撃。


流れが速すぎる。


でも、全部が同じ方向を向いているわけじゃない。


まだ割れている。


割れているなら入れる隙間がある。


「ヒカリさんからは言わない」


俺は言った。


「事務所名義でも弱い。圧力に見える」


「では」


「ごめんなさい屋から出します」


レイがこちらを見る。


「うち?」


「はい」


相模原の目が細くなる。


「内容は」


「声明じゃない。注意喚起です」


俺は文字を打ち始める。


《現在、天音ヒカリ氏に関する件で複数の個人に対する過度な詮索・攻撃が確認されています。》


《本件に関わるいかなる人物に対しても誹謗中傷、個人情報の特定、二次的な加害につながる行為はお控えください。》


《誰かを責めるためではなく、これ以上傷つく人を増やさないためのお願いです。》


レイが画面を覗く。


「無難」


「無難でいいです」


「ヒカリを守ってるようにもミオを守ってるようにも読める」


「そういう文です」


相模原が口を開く。


「弱いな」


「弱いです」


俺は認める。


「でも、今強い言葉を出すと燃えます」


「誰にも刺さらない」


「誰かに刺すための言葉じゃないです」


相模原を見る。


「今必要なのは刺さった人間を増やさない言葉です」


一瞬。


相模原の表情が止まった。


本当に一瞬だけ。


「……なるほど」


その声はいつもより少し低かった。


褒められたわけではない。


でも、否定もされなかった。


「出せ」


「はい」


スタッフが慌てて確認する。


「本当に出すんですか?ごめんなさい屋名義で?」


「出す」


相模原が言う。


「責任は私が取る」


レイが小さく笑った。


「代表っぽい」


「代表です」


「忘れてた」


相模原は無視した。


声明が投稿される。


数秒。


数十秒。


コメントが反応し始める。


『ごめんなさい屋って何?』


『謝罪代行業者?』


『火消し業者出てきたw』


『でもこれは正論』


『ミオ叩きは違うよな』


『ヒカリ側の工作?』


『これ以上個人攻撃するなって話でしょ』


『ごめんなさい屋、名前ふざけてるけどまともなこと言ってる』


レイが笑う。


「名前ふざけてるって」


「事実です」


俺は言った。


ヒカリは画面を見ていた。


「……少し、止まりましたか」


「完全には止まりません」


俺は言う。


「でも、ミオさんを叩くことに迷いは出ます」


「迷い……」


「炎上で一番大事なのは迷わせることです」


叩いていい。


晒していい。


責めていい。


そういう空気が一番強い。


でも、そこに少しでも迷いが生まれれば全員が同じ速度で走れなくなる。


それは鎮火じゃない。


ただ、火の進む向きを少し変えるだけだ。


「……ありがとうございます」


ヒカリが言った。


俺はすぐに返事ができなかった。


感謝されるようなことをしたのか自分でも分からなかった。


俺たちは火を消しているんじゃない。


火の向きを変えているだけだ。


誰かに向いていた火を、少しずらす。


その先に、また誰かがいるかもしれないのに。


「礼を言うのは早い」


相模原が言った。


「ここから第二波が来る」


「第二波?」


ヒカリが聞く。


相模原はタブレットを見せる。


「あなたの善人スコアが六十台に落ちたことで各社が動き始めます」


その瞬間、スタッフの端末が鳴った。


一つ。


また一つ。


また一つ。


通知音が重なる。


メール。


電話。


チャット。


全部が同時に動き始める。


スタッフの顔色が変わった。


「……教育番組、出演見合わせ」


「化粧品CM、一時差し替え検討」


「慈善団体イベント、登壇保留」


「公共広告、確認中」


次々に報告が上がる。


ヒカリはそれを黙って聞いていた。


一つずつ、自分から仕事が剥がれていく音。


これまで積み上げた善人の証明が順番に消えていく。


でも。


不思議なことにヒカリはさっきより崩れなかった。


顔は白い。


手も震えている。


それでも、背筋だけは伸びていた。


「……全部」


ヒカリが言った。


「私がいい人だったから来ていた仕事なんですね」


誰も答えなかった。


答えられる人間がいなかった。


ヒカリは小さく笑った。


今度は愛想笑いじゃなかった。


もっと寂しい笑い方だった。


「じゃあ、いい人じゃなくなったらなくなりますよね」


その言葉に、レイが少し顔を歪めた。


「ヒカリ」


呼び捨てだった。


本人も気づいていないみたいだった。


ヒカリはレイを見る。


「はい」


「それ、自分で言うのキツくない?」


ヒカリは少しだけ考えた。


それから言った。


「でも、本当なので」


レイは黙った。


たぶん、言い返せなかったんだと思う。


俺も同じだった。


その時、相模原のタブレットに新しい通知が入った。


相模原が画面を見る。


少しだけ目を細める。


「……面倒なものが来た」


「何ですか」


俺が聞く。


相模原はタブレットをこちらへ向けた。


画面には、一本の動画。


投稿者名。


《青葉ミオの高校時代を知る者》


タイトル。


『天音ヒカリだけが悪いわけじゃない』


レイが顔をしかめる。


「うわ」


俺も同じ気持ちだった。


一見、ヒカリを擁護する動画に見える。


でも。


こういう時の擁護はだいたい誰か別の人間を燃やす。


動画を再生する。


暗い画面。


加工された声。


『正直、ミオさんにも問題はありました』


ヒカリの表情が変わった。


「やめて……」


声が漏れる。


動画の声は続ける。


『クラスで浮いていたのは事実です。でも、それには理由があります』


レイが低く呟いた。


「最悪」


相模原は無表情だった。


俺は画面を見ながら、嫌な予感がした。


炎上は天音ヒカリ一人を燃やして終わらない。


ミオを燃やし。


同級生を燃やし。


教師を燃やし。


学校を燃やし。


その場にいた全員を順番に燃やしていく。


誰もが自分は正しい側だと思いながら。


動画の声が言った。


『ミオさんは当時、クラスの男子に――』


その瞬間。


ヒカリが立ち上がった。


「止めてください」


部屋の全員が彼女を見る。


ヒカリの声は震えていた。


でも、はっきりしていた。


「それ以上は出しちゃダメです」


相模原が静かに言う。


「理由は」


ヒカリは画面を見ていた。


顔色は真っ白だった。


それでも言った。


「それは私の話じゃないからです」


部屋が静かになる。


「ミオさんが自分で話していないことです」


ヒカリは続けた。


「私を助けるためにそれを使っちゃダメです」


誰も喋らなかった。


レイが小さく呟く。


「……善人スコア69のくせに」


ヒカリが少しだけレイを見る。


レイは笑っていた。


でも、いつもの軽い笑い方じゃなかった。


「まだ善人みたいなこと言うじゃん」


ヒカリは何も言わなかった。


ただ、少しだけ困ったように笑った。


その笑い方を見て、俺は思った。


善人スコアは落ちた。


でも、この人の善意が消えたわけじゃない。


ただ。


その善意がもう誰にも信用されなくなっただけだ。


相模原がゆっくり口を開く。


「分かりました」


意外だった。


ヒカリも驚いた顔をする。


「その動画は止めます」


「止められるんですか」


「削除要請と通報。拡散元への警告。こちらからも圧をかける」


相模原は淡々と言った。


「ただし、完全には止まりません」


「それでも」


ヒカリは言った。


「お願いします」


相模原は頷く。


そして、俺を見た。


「有馬」


「はい」


「次の仕事だ」


嫌な予感がした。


「天音ヒカリを救うだけでは足りなくなった」


相模原の声は静かだった。


でも、どこか楽しそうだった。


「今度は、クラス全員の炎上を設計する」


「……は?」


レイが素で声を出した。


俺も同じ気持ちだった。


相模原は平然と言う。


「火はもう広がる。なら、無秩序に燃やすより、燃える順番を決めた方がいい」


ヒカリが小さく息を呑む。


俺は相模原を見た。


この人は本気だ。


本気で、人間の過去を、炎上の導線として見ている。


「相模原さん」


俺は言った。


「それ、最悪ですよ」


相模原は静かに笑った。


「そうだ」


そして、いつもの柔らかい声で言った。


「だから私たちの仕事になる」


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