第二章~なんか変な奴~
第二章~なんか変な奴~
日の出前。街馬車は既に営業していた。二人は早速乗り込み、南の馬車操車場へと移動した。
宿を出発する前に、アニーに挨拶を、と考えてた二人だが、彼女は既に出立した、とのことだった。縁があればいつかどこかで会えるだろう、とアルフは言い、ラミアもそうだね、と返す。
操車場では、パルス方面もデニアス方面もかなりごった返しており、とても近寄れる雰囲気では無かった。係の人にアクエイス方面の馬車を尋ねると、少し離れた場所にある停留所を案内された。
チケットは操車場の受付で販売されていた。ラミアは街道周辺の見所は無いかと受付で尋ねると、丁度そのようなガイドブックがある、と紹介された。因みに有料。ラミアはチケット代とガイドブック代を支払い、それらを受け取った。
出発は一時間後。パルスとデニアス方面のキャラバンが出発した後、アクエイス方面のキャラバンがここで編成される、とのことだった。
しばらくすると、馬車が次々と出発していく。合計三〇台余りの馬車が一気に動き出すのは、なかなか壮観だった。更に時間が経ち、二台の馬車が操車場から出てきた。両方とも幌馬車だが、片方は乗客用、片方は荷物用だった。二台の馬車はそのまま停留所へと並んだ。
いつの間にか来ていたのか、二人の冒険者風の男が、後ろに並ぶ荷車へと歩み寄っていった。
しばらく待っても他に馬車が来る気配は無かった。
「……これだけ、みたい?」
「かもしれないな」
ラミアたち二人は、乗客用の方へと近づき、御者にチケットを見せた。
「はいよ、この馬車で間違いないよ」
御者が、気さくに答えてくれた。
「貨客両用だからちょっと狭いけどかんべんな」
とのことで、馬車の中をのぞき込むラミア。奥の方に荷物が積まれており、前方の視界はほぼ無かった。加えて、幌馬車のため左右の視界もほぼ無い。乗り込む後ろだけが、唯一の車窓だった。それでラミアはしかめっ面になる。昨日乗った箱形からの落差に、ではなくこの視界だけでは酔ってしまうのではないかという不安によるものだ。
後ろの荷馬車の方は無蓋車で、大量の荷物にシートが被せられているのと、ちょっとしたスペースがあるだけだった。
「よっ」
ラミアが馬車をのぞき込んでいると、不意に声がかけられた。
「アクエイスまでの乗客かい? 俺たちが今回馬車の護衛を担当するものだ。ま、よろしく」
片手を上げて軽く挨拶してきた。
「オレはイレスっていうんだ。よろしくな。で、あっちがガリエス。オレは冒険者、ガリエスは傭兵だ」
「よろしく、私はラミア。あっちがアルフ。道中よろしくね」
「ああ、道中といわず今後も色々な」
と、妙に馴れ馴れしい言葉とともに、イレスはラミアの肩に手を置こうとした。
「ナンパはやめとけ」
と、ガリエスがイレスに声をかけた。
「冗談だって」
イレスは愛想笑いした。
冒険者の矜持として、女性に対しては、依頼や仕事上必要な場合を除き、むやみに声をかけてはならないというものがある。男女間でのトラブルを防ぐことが目的とされているが、規則でもないし罰則もないので、あまり守られていないのが実情だ。
軟派する奴はするし、硬派な人間はひたすら硬派だ。
「連れのものが悪いな。このオッサン、君ぐらいの娘ばかり狙うロリコンだ。注意しておいてくれ」
突然の仲間落としに、アルフもラミアも目を点にする。
「おいガリエス! 言って良いことと悪いことあるぞ!?」
「これは言って良いことだ」
その言葉に、ラミアは心の中で傷つく。身長は人龍の中でも低い方であり、顔つきも体型も幼げである自覚はある。それこそ人間の女の子と比べると、一二~三歳前後といわれてもおかしくはない。一応一六歳を迎え成人しているのだが、しかし見た目の部分を第三者から指摘されたようで、何気にショックだった。
因みに、イレスと名乗った男は、その言葉でこの女の子が傷つくのではないかという配慮が籠もっていたのだが。ガリエスと呼ばれた方はそこまでは気が回っていなかったのかもしれない。
ラミアが二歩、苦笑いをしながら後ろに下がったことは、言うまでも無い。
「あははは……、私、婚約者がいるからこれでねっ」
そして、踵を返して逃げるのだった。
その後、御者が皆を集めて、改めて紹介した。結局乗客はラミアとアルフだけ。御者が各々の馬車に二人ずつ、そして護衛が二人だけ、の少人数だった。
「改めて。オレはイレス・サンドラ。よろしくなっ」
と言いながら、イレスはラミアにウィンクを送る。ラミアはそれを空中でキャッチ、即時面に叩き付け、踏みにじる動作をした。
金髪碧眼はあまり特徴にはならないが、線は細く顔も整っている。黙っていればそれなりに美形な部類なのだが、先ほどのやりとりで既に信頼度は地に落ちている。左の頬に、ちょっとした傷があるのが特徴といえばそうだろうか。革製の鎧に鉄板を貼り付けた鎧、いわゆるスプリントメイルを装備していた。武器は定番のロングソード。
「俺はガリエス・メルガノフ。傭兵だ。このロリコンオッサンは放置で良い。口ばかりのヘタレだからな」
「う……」
「……ガリエスよ~」
ラミアが小さく呻き、イレスは項垂れる。
ガリエスは、身長はおよそ一六〇フォーセルぐらいもある結構な体躯の戦士だった。黒髪で無精ひげを生やし、眼は栗色だ。彼はチェインメイルの上に鉄板を貼り付けたタイプだった。彼はハルバードを背負っていた。ガリエスの言葉にショックを受けているラミアは、取りあえずオッサン、と心の中で呼称する。
悲痛の声で抗議するイレスを無視し、ガリエスは軽く会釈をした。
選ぶ言葉は兎も角。二人とも自己紹介をしたのでラミア達も答えることにした。
「……私は、ラミア・スナー。一応冒険者で、アクエイスまでは運びの仕事を請け負っているわ」
イレスは運びという言葉に、ガリエスはスナーという姓にそれぞれ反応していた。続いてアルフも自己紹介する。
「アルフ・テナイ。ラミアの婚約者で、冒険者だ。よろしく」
わざわざ婚約者の部分を強調し、イレスを牽制する。彼は笑顔を貼り付けてはいるが、何気にイレスが軟派してきたことに、密かにご立腹である。婚約者と言われたラミアは当然照れている。
ガリエスは静かに頷き、イレスはばつが悪そうに笑って誤魔化すも。アルフもそれなりに整った顔立ちであるため、イレスが妙に対抗心を出している模様だった。
ラミアは深呼吸をして、気分を落ち着かせる。馬車を護衛するのは、たったの二人だ。実力はそれなりにありそうだが、心許ない。場合によっては、自分たちも戦闘に参加する可能性もある。
「何かあれば私達も手伝うけど」
「君らは今回はただの乗客。俺らに任せて貰いたいが、まあ有事の時はよろしく願う」
ぶっきらぼうにガリエスは答えた。
一応の、乗客と護衛との線引きを彼は主張する。その上で、二人で無理なときは手伝いを容認する姿勢を見せた。
一〇数台規模のキャラバン隊であれば、護衛に乗り込む冒険者も多い。それだけ防衛力が高くなるため、乗客として乗り込んでいる冒険者も戦いに参加という事例は、ほぼ無い。逆に、二~三台程度の小さな隊では、乗客の冒険者も戦闘に参加する機会がある。むしろ参加しないと危機的状況に陥りやすい。台数が少なければそれだけ脅威と見なされず、魔獣や魔物、或いは野盗といった連中に囲まれやすい。戦えるのに座して待つのは、愚の骨頂なのだ。
各々が馬車に乗り込み、馬車は定刻通りに出発した。
馬車は操車場を出ると、一路北へ向けて進路を取った。街馬車では一時間ほどかかった温泉街も二〇分ほどで到着し、そのまま通り過ぎた。街馬車はいろいろな路地を巡って停車していたため、これは致し方ないところだろう。
更に一〇分したら、タルファームの北門にさしかかった。ここで、街のあちこちに結ばれている水道橋が一つとなり、これから行く街道に合流した。しばらくは、この水道橋の横を走ることになる。
街を出ると、馬車の速度が少しだけ上がったが、前日に乗ってきたキャラバンのそれよりも大分遅かった。早歩きよりは大分早いが、長距離走よりは少し遅い、という塩梅だ。馬自体はユニス王国のしっかりとした品種だが、さすがにずっと上り勾配のため、そこまで速度は出ない様子だ。
しばらくして、水の音が急に大きくなった。何事かと思い、ラミアは幌から顔を出す。
「アルちゃんアルちゃん、なんかすごいっ!」
ラミアはその勢いで馬車を飛び降り、馬車を追い越して駆けていった。
そこには巨大な水車群があった。計六基の巨大な水車は絶えず水をくみ上げ、レンガ造りの水路へと大量に注ぎ込んでいた。これが、タルファームに水を供給する設備であることは分かったが、その規模は想像していた以上に大きく壮観だった。
追い越したラミアのそばで、馬車が停車した。
「お嬢ちゃん、これを見るのは初めかい?」
「ええ、初めてよ!」
ラミアは少し興奮気味に、そう答えた。
「丁度ここが休憩地点だから、一〇分ほど停車するよ。その間、存分に見学してきていいけど、遅れないようね」
「うんっ!」
ラミアはうなずき、水車の脇まで駆けていった。そこはかなり水しぶきが上がっており、案の定ラミアは水浸しになって帰ってくるのだった。
「うん、これで私も正真正銘のびしょーじょ」
ラミアのボケに苦笑いしつつ、アルフはラミアの元まで歩み寄り、念のためと思って取り出しておいたタオルを手渡した。
「堪能した?」
「したーっ。えへへっ」
ラミアはバッサバッサと頭を振り、水滴を飛ばす。一応着替えは持ってきてはいるが、放置してもすぐに乾くと言い張って、ラミアは着替えることを拒否した。
これはしょうがないだろう。例え木陰で身を隠せる場所はあるとはいえ、人目がある。女の子だ。傷の有無関係なく、単純に恥ずかしい。
因みに、六月半ば。冬。冬至を控え、急速に冷えてきている時期だ。濡れ鼠のままでいると風邪引くぞ、というツッコミをよそに、ラミアは終始笑顔だった。
そして、残りの僅かな時間に、魔法の練習もする。
ラミアは、ユニスを出発する前に、馬車に乗っているときや、休憩の時間を利用して魔法の練習をすると話していた。ラミアには膨大な魔力があることが分かったし、知識も豊富だ。しかし知識はあっても、実戦は皆無と行っても良い。ただ一度、封印が破られたときのあの強大な力を振るったときだけ、である。一般生活魔法も、それまでの生活に慣れていることもあって、使うという考えが出てこないらしい。だからこそ、意識的に魔法を使うようにしている。
移動中は車内で索敵魔法を、休憩中はちょっとした攻撃魔法を、という具合で始めていた。
魔法には様々な種類がある。地水火風光闇と純魔力をぶつける無の七つの属性を自分の魔力と呪文で呼び出す詠唱魔法、精霊の力を借りる精霊魔法、神の力を借りて奇跡を代行する神聖魔法、そして魔族の力を借りて破壊の限りをつくす黒魔法、この辺りが代表格だろう。何を得意とするかは魔道士自身の特性などに左右される。ラミアは、まずはそこから見つけていくようだった。
「……ノイスク・アストラーリナヴァ!」
呪文を完成させ、周辺地域に対しての索敵魔法を展開した。
これはアストラルを直接見るものであり、物陰に隠れていようが気配を隠していようが、問答無用で相対的な位置が把握できるものだ。また、感じ取れるアストラルの大小や密度で、どの程度の魔力を有しているかも解るという強力無比なものである。
これは古い時代に、人龍の誰かが龍族の索敵能力を魔法で再現したものである。一時は歴史に埋もれてしまったものだが、近年ラミアの母が掘り起こし、先のユニス解放戦争で使用され、更に独自の改良が施されたものである。呪文に関しては、母の遺したノートに記載されていた。
ただ、ノートでは、呪文などは全て古代言語で書かれていた。
今現在は、ほとんどの国家で共通言語が使用されているため、古代言語を理解しているものは少ない。そういった意味において、古代語で書き記すだけでも、ちょっとした暗号になる。そうした事から、これはラミアにだけに伝えるつもりだったのだろう。
余談だが、古代言語が普通に使われていた時代は、国ごとに違う言葉だったとされている。その辺りは人々の氏名や土地の名に色濃く残っていることから、証明ができるらしい。
何度か練習しているうち、ラミアはこの魔法を理解しつつあった。だからこそだろう。
「……うーん?」
「そろそろ出発、……どうした?」
出発の時間が近づいてきたため、アルフが呼びにきた。しかしラミアが怪訝な表情で唸っていたため、顔をのぞき込む。
「索敵魔法、あるでしょ、迎撃隊十八番の。今あれを練習しているんだけど、森の奥に奇妙な反応を見つけてね」
ラミアは、この先に見える森へと視線を向けた。
「……魔法の信憑性は?」
「うん、この魔法は大分理解できたから、多分」
「わかった」
アルフは、ラミアの言葉を信じることにした。
ラミアは、封印が解けたとき、暴走状態で魔力が解き放たれてしまった。しかしすぐに、それを制御しきって見せた。直後得体の知れない強力無比な魔法で、魔族を一手で討ち滅ぼしたのである。その一部始終を見ていたアルフは、ラミアは魔法に関しては天性の物を持っていると、そう考えている。
出発前には、一度メンバー全員が顔を合わせる。そのときに、ラミアは懸念を伝えた。
「魔物の反応か。……ガリエス、どう思う?」
「断定できる材料は無いな。だがせっかくの情報だ、警戒して進もう。俺はバゲージ荷物車に。イレスは客車側に分乗してくれ。万が一の時は離脱を優先して、交戦は避けるべきだろう。二人ではいささか面倒だ」
「ま、大変だったら私達も戦うわよ。自分の身を守るぐらいなら良いでしょ?」
「そのときは済まないがよろしく頼む」
アルフとラミアは頷いた。
間もなくして二台の馬車は出発し、鬱蒼とした森の中に入っていく。ラミアは器用に幌を支える骨組みの上に乗り、索敵魔法を展開した。
「ノイスク・アストラーリナヴァ」
まずは適当な範囲を索敵する。この魔法で必要とされる魔力量は、距離の三乗に比例する。これは自分を中心とした球状の範囲となるためである。
ラミアは自分でも限界が解らないほどの魔力を有していることが分かったため、もう少し索敵の範囲を広げてみることにした。
ちりちりっと、胸元で何かが光った気がした。おそらく胸元のペンダントが、負帰還制御でスパークしているのだろうと予想する。自分が考えている以上に、この魔法は負荷が大きいようだった。
ラミアは考える。もし前方だけに絞ることができれば、もう少し魔力の消費が抑えられる可能性は高い。時間があるとき、呪文の再構成も試してみよう、と。
馬車が進み、魔法に引っかかる反応が現れた。幌を叩き、下にいる二人に声をかける。
「前方一五〇フォーセルって所かな、何かいる。……うわっ、沢山見えてきた。一六? うん、もっと多いかも」
馬車が進むにつれて、当然索敵範囲も前に進む。
「って、ちょっとすとっぱ! 止まって!」
ラミアは御者に向かって叫ぶ。御者はすぐに手綱を引き、馬車を急停止させた。ラミアは幌に突っ伏し、そのまま声を出す。布越しに、アルフ達に見えたものを伝えるのだ。
「数えられないぐらいいるかも。五〇を越えたところで馬車を止めてもらった。一番近いので五〇フォーセル真っ正面三匹。他も大体三から五のコロニーで点在してる感じ」
一同、しばらく沈黙していた。
「知らずに進んでいたら、お陀仏って所だったな。あと止まれはストップだからな?」
アルフのツッコミを無視し、ラミアはイレスに尋ねる。
「で、どうするの?」
「打って出るか、前方の魔物だけ倒して突き進むか。どのみちある程度の戦闘は避けられそうに無いな」
「もう少し周りの状況を見てみるわね」
ラミアは一度止めていた魔法を、再度使用する。今度はもっと広範囲にするため、魔力をかなり込めてみた。
「……あははー、ちょっとこれは……」
と、ラミアは変な笑いを漏らす。そして冷や汗を流し、馬車の外に出てきていたアルフたちと顔を合わせた。そしてラミアは、馬車から見て右側の森の中を指さし、一言。
「訳わかめな程いるから、前の連中だけぶっ倒して逃げよう。もう目に入った奴だけで良いから。御者さん、この馬車全速力でどれぐらいでる?」
「二五フォーカイぐらいが限度だ。荷馬車の方が早い」
「はらしょ。アルちゃんは迎撃魔法使える?」
「一応な。分かった、お前はそのまま前を、俺が後ろで追撃する連中を、って所だな?」
アルフはラミアの考えを先読みし、すぐに荷馬車の方へと移動する。
「イレスとガリエスさんは両方に分乗して。私達が魔法でなんとかして突破口を開くけど、動けなくなったら応戦、……って、ごめんっ、出しゃばった真似してっ」
本来は、護衛はイレスとガリエスの二人だ。その二人を差し置いて、ラミアが指示を飛ばし始めていたのだ。今更ながらそうした事を無視していたことにラミアは気付くが、ガリエスは強く頷く。
「いや、周りを細かく把握できるなら、むしろお前が適任だろう。俺らをうまく使って見せろ」
ガリエスは傭兵だ。彼がかつて所属していた傭兵団も、適材適所で指示役を変えていた。その指示に間違いがなければ、異論はない。イレスもそうしたガリエスとペアを組んできたため、傭兵的な考えにも理解がある。
二人とも、魔法で周りの状況を正確に把握できるラミアに、司令塔を任せるのが最良だと考えた。指示に問題があれば、都度指摘すれば良いと、イレスとガリエスは頷き合う。
「分かった! 重量を考えるとオレが客車、ガリエスが荷物車に分乗する」
あっという間に色々決まり、三人は各々の馬車に乗り換えた。
「御者さん、出発して! すぐに全速力よ!」
「ああ、了解した!」
ぱしっと強めのムチが馬に入った。馬はすぐに強い力で馬車を引っ張り、がくんっと揺れる。ラミアはものともせずに幌の骨組みの上に立ち、魔法を唱えようとして、叫んだ。
「右から来る連中は無視して! 街道に出てきて追いつきそうな奴だけ迎撃! なんとか突破するわ!」
ラミアは索敵魔法を展開、そして別の魔法を唱える。複数の魔法を同時に行使するのも一応練習していたが、集中するにはなかなか難しい。
馬車に気づいたか、前方の街道に躍り出てきた魔物が複数いた。
それは一見して巨大なウツボカズラに似た植物。しかし根の部分を高速に動かし、見た目とは裏腹にかなりの移動速度を持っていた。最近ユニスの冒険者協会で、特に注意が必要といわれている魔獣、その名はマンイーターだ。
「っ! フレガチョーナク!」
ラミアは前方を指さし、魔法を放った。光は一瞬のうちに真ん中のマンイーターを直撃、周りを巻き込んで爆発四散した。
御者は驚きながらも、馬車をコントロールして突き進む。飛び散る破片の中を馬車が駆け抜け、ラミアは矢継ぎ早に呪文を唱え、前方やや左に向けて、魔法を放った。光は僅かにそれ地面に突き刺さってしまったが、その爆発の威力は高く、周りのマンイーターを吹き飛ばした。
ガリエスは、その魔法の威力に小さく歓声を上げる。
この魔法は、龍族のレーザーブレスを参考に作られたと謳われている。魔法を発動させた直後、魔法陣が展開されてから射出される。そのため僅かな時間差が生じるため、本来高速で移動する相手には当てづらい。
「スクヴァルツォーナク!!」
そして、その改良型の魔法も行使する。こちらはスナー迎撃隊が、相手がかなりの高速度で飛行していても当てられるよう、改良に改良を重ねたものである。
直後、先ほどよりも強い爆発が起こった。しかし炎のように見えるそれは、周りの木々を延焼させることは無かった。
「やっぱりこっちの方が良いわね! スクヴァルツォーナク!!」
今度は前方やや右。丁度街道に出てきた五体のマンイーターをまとめて爆発四散させた。
索敵魔法で、わずかながら時間があることを察し、ラミアは後ろを振り返る。アルフも後ろで、後ろから迫るマンイーターを狙い撃ちし、次々と倒していた。彼が使う魔法も同じだ。
「スクヴァルツォーナク!!」
すぐ近くまで迫っていたマンイーターを打ち抜き、そのやや後ろにいたマンイーターを爆発四散させる。そして矢継ぎ早に魔法を唱え、次々と倒していく。
いつしか、ラミアは索敵魔法を止めていた。代わりに攻撃魔法に集中する。すると魔法の射出間隔が一気に短くなり、襲い来るマンイーターを悉く倒し尽くしていく。
そうこうしているうちに変化が訪れた。前方から来るマンイーターはいなくなり、代わりに大量のマンイーターが追撃に転じていた。荷馬車の後景は、地獄絵図といっても過言ではなく、ラミアは思わず顔を引きつらせた。右から左から、どんどん合流してくるマンイーターは、それだけで視界を埋め尽くすほどだった。
「うっげえっ、何なんだよ、こりゃ!」
イレスが叫んでいた。
ラミアはしばし考えた後、後ろに向かって走り出し、幌の骨組みを踏み台にして一気にジャンプした。
そして後ろを走る荷馬車にタイミング良く着地した。
「おいっ!?」
「大技行くわよ! アルちゃんサポートお願い!」
「分かった!」
ラミアは、呪文を唱え始める。
「……天空より高き、紫なりし龍、束ねし破壊の力」
ちゃんと意識して唱えたのは、おそらく二度目。最初から、この言葉は心の中に刻まれていたかのように、浮かび上がってきた。
最初唱えたときから感じていたこと。この魔法は、恐ろしく自分との相性が良い。良すぎるのだ。
「我は汝に願う」
迸る紫電は体から離れ、左手に集中し始めた。そして左腕を、眼前で爆走するマンイーターたちに向ける。
例えば、左手でペンを持って絵を描けば、それがそのまま具現化できそうな程、自由に扱えるような、そんな感触があった。いや、そんなものすら必要なく、頭に描いたものがそのまま具現化できそうなのだ。
「我が指し示すその存在を、汝が破壊のすべての力を持ち」
マンイーターを睨み、……そういえば、マンイーターは植物性の魔獣なのに、何でこんなに速く走れるのだろう、等と不意に考えてしまった。
「光の刃となりて我が身に降臨し、以て全ての存在を打ち滅ぼさん」
植物なんだから、活けてやろうか、とそこまで考えたとき、ラミアは焦る。まさに、余計なことを考えてしまったのだ。焦る中、迸る魔力の塊は不意に消え、直後マンイーターの上空に荒れ狂う紫電の塊となって現れた。ラミアは冷や汗を垂らしつつ、最後の言葉を紡ぐ。
「願わくば、汝の加護があらんことを」
そして、最後の言葉とともに、ラミアが、一番やっちまったな、という形状へと、その姿が変貌した。それは、虹色に輝く、空を覆い尽くさんばかりの、無駄に巨大な、逆さの剣山。
「ああもうっ! スナー・ブレード!!」
そしてやけくそに、それを地面に叩き付けるように腕を振り下ろした。
剣山が地面に到達した瞬間、あたりは目が開けられないほどの強い光に包まれ、次いで凶悪なほどの爆発音が響いた。アルフ達は腕で目を覆い、その上にラミアが「ぴゃっ」などとかわいらしい悲鳴を上げてぶっ倒れた。
馬も光に驚いたか、いななき、暴れて、静かになって馬車を急激に止めてしまった。荷物なども前に飛ばされ、一部で荷崩れも起こってしまった。
しばらくして、一番最初にイレスが気づき、周りの状況を伺う。次いでガリエス。ややあってから御者の四人もまた、辺りを見渡し、なぜかとても落ち着いている馬に驚き、そして後ろを振り返って驚愕の表情となる。
いつも見慣れた風景の森と街道。さえずる冬鳥の声、綺麗な青空。荷馬車の上で警戒する冒険者一人と、折り重なって倒れている二人。形状はともかくとして、あの爆光は「あ、これは死んだな」と思わせるには十分な光景だった。ところが、爆心地あたりの森も、街道も、そしてさえずる鳥も、まるでここでは何も起こらなかった、いつもどおりの光景だったといわんばかりに、余りにも普通だった。
荷物とラミアの下敷きになって身動きのとれなくなったアルフを救出したガリエスは、何が起こったか理解できないから説明してくれ、といわんばかりの表情をしていた。
気絶しているラミアをとりあえず横に寝かせ、アルフも諸手を挙げるしか無かった。
「と、とりあえず出発しようか。……マンイーターの脅威は当分ないはず、……と俺は思う」
「そ、そうだな。出発、するか?」
と、互いに心あらず、という様子で会話をし、馬車を出発させ、その場を後にすることにした。
ややあってから、皆は正気に戻り、大きく溜息をついた。
「とりあえず、助かった、てことでいいんだよな」
「多分、ね」
一度停車し、ラミアは幌馬車へと移された。その間に目覚めることは無く、規則正しい呼吸を繰り返していた。表情も苦しそうということは無く、ただ眠っているような感じだった。
その後も襲撃などは全くなく、馬車はひた走る。
そして夕刻。予定より少し遅れ、馬車は無事に目的の宿営地へと到着した。
それなりに頑丈な柵が設けられ、石窯や簡易トイレなどが設置されており、薪も濡れないようにシートで保護された状態で用意されていた。焚き火ができるように石が並べられた場所もあり、その周りには、腰掛けられるように丸太が並べられていた。
御者四人と男衆三人は、手分けして夕食の準備に取りかかった。キャンプ用の食材は荷馬車に積まれており、簡単に調理して食べることになっている。場合によっては携帯食料のみで済ますこともあるが、そちらは希とのことだった。
料理が完成し、同じく荷馬車から持ってきた食器にスープを移す。その頃には日も陰り、夜の帳が降りてきていた。
ラミアは、あれからずっと寝たままだった。夕食はちゃんと食べて置く必要があるため、アルフが起こしに行った。
「……ラミア、起きろ」
「……ん」
小さく声を漏らし、ラミアはもぞもぞと身体を動かす。アルフはラミアの身体を強引に引っ張り上げて座らせた。フラフラと頭を揺らしながらも、ラミアは目をあける。
「ほら、あっちで夕食を用意してる。行くぞ」
「……ん」
そして、アルフはラミアを馬車から降ろし、手を引いて戻ってきた。
眠そうにしながらラミアも、焚き火を囲む。
あくびをかみ殺しているラミアに、アルフがスープ入りの木製ジョッキを手渡した。
「……ん。……何でジョッキ?」
「それしか無いからな。それで、よく眠れたか?」
「……ん」
ラミアはスープをずずっとすすり、あちちと言って口から離す。そして息を吹きかけながら、ゆっくりと飲み始める。時折スプーンでかき混ぜ、具材を掬って運んだ。しばらくそうして、顔を上げて空を見上げる。
既に星空だった。
「……そっか、もうそんな時間なんだ」
「ああ、この通り既に最初の宿泊地に到着している」
ラミアは小さく頷き、スープを啜った。
「すごかったぜ、でっかい剣山!」
ぶふぉ! とものすごい勢いでラミアが口にしていたものを吹き出し、そして盛大にむせてしまった。
「ごほっ!? ごほっ! なっ…ごほっ!」
ラミアはイレスを睨むが、しかしむせて言葉にすることができなかった。
「あー……」
アルフはラミアの背中をさすり、苦笑する。
たっぷり一分は咳をしっぱなしだった。その後も涙目で、咳混じりだった。
「このっ! ごほぅ…、いきなりなんてこと言うのよ! 噎せっごほっ…、噎せたじゃ無いのっ!」
因みに、イレスは純粋に褒めたつもりだったが、ラミアには馬鹿にされた、という感じで捉えていた。
しばらくはツッコミの応酬となり、見かねたアルフとガリエスが仲裁に入ったことで、土突き漫才は終了した。
それからしばらくしてからだった。イレスは自分の過去話を始めた。最初はスープがおいしかった、というところから始まり、誰が調理したのか、そしてイレスが作った、という流れからだった。
「俺よ、昔はパン屋の生まれでよ、料理はこれでも得意な方なんだぜ」
「私だって、実家にいたときは殆ど私が料理してたからそれなりにできるわよ?」
と、ラミアが対抗心を燃やして割り込んできた。先ほどまで眠そうにしていたが、噎せたせいもあって眠気は既に吹っ飛んでいた。
「なんだぁ? だったら勝負してみるか?」
「受けて立とうじゃないの、んっふっふっふっ」
「くっくっくっ」
不敵に笑いあう二人だった。その様子を、アルフとガリエスは極めて冷静に静観する。
「まるっきり似た者同士だな」
「ああ、似た者同士だな」
「では、機会があったら勝負ということで。……ふっふっふっ、けちょんけちょんにしてあげるわっ」
「貴様こそ首を洗って待っていろ、くっくっくっ」
夕食も終わり、後は翌日に備えて寝るだけだった。御者の一人は、小瓶を開けて、中身を宿営地の中心付近にぶちまけた。するとそこを基点に魔法陣が展開され、宿営地全体を覆って消えた。代わりに、柵の少し外側にわずかに光る膜のようなものが形成されていた。
「なるほど、一体どうやってこんなところで寝るのかなって思ってたけど」
「ああ、結界の魔法薬だよ」
ある種の薬品を調合して特定の魔法を付与し、使いたいときに中身を撒くという、魔法体系がある。アルケミーと呼ばれ、このような魔法薬を作成する者をアルケミスト、と呼ぶ。アルケミストになるには、薬草などに関して高い知識がいるため、それほど多くはない。
彼らの多くは街で薬屋を営み、作成した魔法薬を販売して生計を立てている。販売された魔法薬は、旅の必需品となっているものも多い。例えばこのような結界魔法薬、怪我を治す回復薬、解毒薬など。必要な分だけ指で掬い、怪我をしたところに塗りつければ数回使えるし、大けがであれば一瓶まるごとかけて治すなど、いろいろな使い方ができるのだ。
因みに、ラミアとアルフの共通の知人で、スニラフスキーの宿屋店主、アンナも冒険者時代はアルケミストだった。冒険者時代の話を聞いたことはないので、アルケミストの戦い方にはそれなりに興味はあった。
「……早いうちに寝ておいたほうがいい。明日は峠越えだ。寝不足だとつらいぞ」
ガリエスは、ラミアとアルフにそう言った。ぶっきらぼうな話し方をするため忠告のような厳しい言葉に聞こえてしまうが、身を案じての提案だということは、この一日だけの付き合いでも理解していた。
「ん、分かった。……でも寝れるかな、さっきまで寝てたから」
ラミアは苦笑しながら席を立ち、幌馬車へと向かう。それを見送り、御者が明日の予定を話し出した。
「結界の魔法は日の出から少ししたら消えてしまいます。それまでに出発できるように準備してください。朝食はスープが少し残っているので、道中携帯食料と一緒に食べていただければと思います」
「分かった。それでは解散しよう」
もう一人の御者が仕切り、皆は荷馬車や幌馬車に分乗して就寝した。
因みに、アルフが馬車に乗り込んだとき、ラミアはすでに熟睡していたことに苦笑するのだった。
翌朝、馬車は日の出とともに出発した。数分もしないうちに馬車は森を抜け、風景が一気に変わった。岩肌が目立ち、草花も少なくなる。所々生えている木も全て落葉しており、冬、というのを嫌でも実感させる、少しもの悲しい風景だった。勾配も森の中よりも大きくなり、山岳地らしくなってきた。
しばらく進むと、三台の馬車が見えてきた。タルファーム方面の便だろう。荷馬車二台、幌馬車一台。屈強そうな冒険者が数人警備をしており、アクエイス方面の馬車が来るときは外に出て、警戒しているようだった。
アクエイス方面の馬車も同じ場所で停車し、御者同士が情報交換を始めた。
キャラバン隊は、宿泊する町などで情報交換が行われる。道中のすれ違いではあまり行われないが、緊急を要する情報がある場合は当然別だ。
アクエイス方面とタルファーム方面は、いつもこの場所での情報交換となっている。タルファーム方面の宿営地が、この近くにある。森の中よりも、岩場の方が視界が開けているため魔獣などに警戒しやすいことから、この場所が選ばれたのである。
イレスとガリエス、そして対向便側の冒険者もまた、それぞれ情報交換を始めた。山岳路側には大した情報は無いが、イレス達は昨日のマンイーターについて伝えた。
「……そんなことが?」
「ああ、とりあえず倒せるだけ倒したが、数が数だ。うち漏らしがあってもおかしくはない。気をつけて進んでくれ」
「分かった。情報に感謝する」
しばらくして皆は解散し、各々の馬車へと乗り込んだ。しばらくして両方面の馬車は出発した。
切り立った崖が迫り、曲がりくねった街道を、馬車はゆっくりと走っていく。所々で斜度もきつい場所があるため、人が早歩きしている程度の速度しか出せないでいた。無理をすればもう少し早いが、馬が倒れてしまう。丁度良い塩梅が、この速度なのだろう。
ラミアは、乗り物酔いが起こりそうな気がした時点で、外に出て歩いている。馬車もそのような速度だから、時々離されすぐに追いつき、という距離を保っていた。
「しかし、お前さんなんでそんなに乗り物に弱いんだ?」
荷馬車のあたりまで後退したラミアに、イレスが話しかける。因みに、幌馬車にはガリエスが乗っている。
「私達人龍って、平衡感覚がスゴイから。多分そのせいで余計な揺れとか感じるんだと思う。私自身、あんまり詳しいことはわかんないんだけどね」
「なるほどな」
斜度が上がり、馬車の速度が遅くなる。ほとんど歩みのペースが変わらないラミアは、荷馬車を置き去りにして幌馬車に追いつく。
既に結構時間が経っているが、ラミアは汗一つかくこともなく、平然と歩いていた。
今は、荷物は全て馬車に預けている。小柄で華奢なラミアは体重も軽く、それだけで持久力は非常に高い。何も持たず身軽であればなおさらだった。
しばらくして、何度目かの休憩を取る。今回は、昼食の時間でもあった。
揺れ続ける馬車では、乗っているだけでも疲れるものである。御者は慣れている様子だったが、アルフ以下三名は、少し疲れているような表情だった。
「……お前、元気な」
山岳に入ってからはほぼ歩きっぱなしのラミアが、一番元気が良さそうなまである。
「ふふん」
と、自慢げにラミアは笑う。吐く息が白く、山岳らしく気温が下がってきている様だった。
この場所では調理するようなことはできず、携帯食料を食べて終わりとなる。アルフ達はすぐにやることがなくなってしまったが、ラミアは軽くストレッチをしながら、魔法の練習をしていた。
息を吸って、吐いて、吸って止めて。
「アクア・バレット! フレアバレット! エアバレット! ロックバレット!」
と、立て続けに属性の違う魔法をうち放った。どれも同じ速度で同じ大きさだった。属性の違いで被ダメージは違ってくるだろうが、どれも等量の魔力をかけられているようだった。
魔法は距離にして八〇フォーセルぐらいで次々と消滅した。このあたりが最大射程なのだろう。
「……お前さんの彼女、元気な」
イレスはアルフにつぶやいた。
「まあ、そうだね」
イレスは、ラミアをじっと見る。男が好みの女を見るような邪なものではなく、妹を見るかのような、どこか優しげな目をしていた。
夕刻、雪が降る中、馬車は次の宿場へと到着した。今度はちゃんとした人里で、『霊峰の入り口、マツモト村』とアーチに書かれていた。
「雪だよ、雪っ!」
ラミアは、馬車の横で回りながら歩く。結局あの後も一度として馬車には乗らず、ほとんどの行程を歩き通していた。それでも全く疲れた様子は無く、はしゃいでいた。
「ああ、雪だな」
村に到着してからは、アルフも馬車から降りて歩いている。
ラミアの生まれ故郷は、ずっと南方のため、冬場はかなり寒いし、豪雪地だ。アルフも幼い頃はそちらに住んでいたためそれを知っている。彼女の郷を離れて数年越しの再会だが、ラミアが次に取る行動は何となく予想できてしまった。なのでその手を取って、事前に止める。
「……アルちゃん?」
「やめような? 飛び込むのは」
「そ、そんなこと、しないわよ?」
ラミアは見事に目を泳がすのだった。
真っ白な雪に染め上げられたこの村は、他の町や村とは雰囲気が大きく違っていた。ガドネアのどの地方にも無いような家の作りをしており、まるで異国に来たような雰囲気だった。家々は等間隔に立ち、屋根は際立って尖った三角の形状をしている。雪に耐えるための、この村ならではの建築様式だ。屋根から落ちてきた雪は壁沿いにかなり積もっており、ラミアはそれを見て眼を爛々と光らせる。アルフが手を握っていないと、今まさに人間スタンプをしそうだった。
村全体は、霊峰に向けて少し斜面になっており、それに合わせて、段々に土地が開拓されている。雪がない時期は水田となり、稲を育てる。その他野菜なども育てられており、自給自足をまかなえる収穫量を確保していた。
何より、村の名称。ガドネア大陸の遙か北にある小さな名も無き島国、そこから山の好きな人がこの地へと移り住み、いつしか村へとなったという。その人物の名が、この村の名前となっていた。そして霊峰の入り口、と名乗るだけのこともあり、登山用の機材などが売られる店もあるという。
馬車はゆっくりと村の中へと進み、村の中でもひときわ大きな建物の前で停車した。
この建物が、今晩泊まる宿のようだった。
近くで観察すると、建物の構造自体も大きく違うことが分かった。王都などではレンガ造りと木造が半々で、木造の場合は丸太から切り出した四角い柱を複雑にくみ上げ、板を打ち付けて壁にしているのが基本的な構造だ。ここでは、丸太を綺麗に組みあげて家の壁を構成し、隙間や細かな部屋作りは竹を格子状に編み粘土状の物で塗り固めて作られている。屋根も植物のツタかそれとも長めの草を干して束ねたものか、アルフもラミアも見当は付かなかったが、そのようなものを幾層にも重ねて作られているようだった。
一行は宿に入ると、すぐに主人が出てきた。アクエイス方面の便だと伝えると、すぐに部屋に案内されることになった。
部屋は二人部屋から六人部屋までいくつかあるが、個室は無い。アルフとラミアは迷わず二人部屋を選んだ。ガリエスとイレスも二人部屋、御者はまとめて四人部屋と、うまい具合に分散した。
通された部屋も、異国情緒あふれるものだった。
床は板張りでもカーペットでも無く、草の匂いがする変わった敷物が複数、部屋全体に綺麗に並べられていた。そして、部屋に上がるときは靴を脱ぐのがルールとなっていた。
二人は部屋に上がり、荷物を隅に置く。ベッドはこの部屋には無く、代わりにローテーブルが部屋の真ん中に鎮座していた。椅子は無いが、板を曲げただけのようなものがローテーブル脇に置かれており、どうやらこれが椅子の代わりのようで、ほぼ地べたに座るような形だった。また、クッションをこの椅子もどきに置いて使うようだった。
窓はガラスでは無く、格子状に木材が組まれ紙が貼られたものとなっていた。さすがにこれでは部屋の温度が下がるのでは、とラミアは考えるが、格子状の窓を横に開けると、普通にガラスの窓があり、これが逆に無粋と感じられてしまった。それでも、窓からの風景に、ラミアは目を見張った。
夕日の朱に染まる、雪に覆われた巨大な山々。その中でもひときわ切り立つ、雄々しい山。何かしら神が住まうような神々しさがあることから、霊峰と呼ばれる、フレッツェン・ドレイク。ユニスの城下町からも見える山だが、それが目の前にそびえていた。
なんて、なんてすごい山なのだろうか。呼吸すら忘れるほどに圧倒的な、それでいて身も心も包んでくれる母のような優しさすら感じ取られた。
「……ラミア?」
「……え?」
どれだけ見とれていたのだろうか、アルフは心配そうな表情でラミアを呼んでいた。
「お前、マリアさんのことでも思い出してたのか?」
アルフは、ラミアの顔を指で拭った。いつの間にか、涙が流れていたようだった。ラミアは首を振り、山の風景を見て圧倒された、と正直に答えた。
「涙が出るほどの感動、そんなものがホントにあるだなんて、ね」
ラミアはぐしっと鼻を鳴らし、満面の笑みでそう言うのだった。
風呂は、温泉だった。入り口はとりあえず男女で分かれている。内風呂があり、露天風呂が有り。更にその先が、混浴となっているとのことだった。
衣服を脱ぎ、前をタオルで隠しながら内風呂へむかう。少し前は、もう少しだけ躊躇していたが、あの日あの時、アニーに背中を押され、アルフとの関係を前進させることができたことで、心理的な余裕ができていた。
ここで体を洗い、露天風呂へ。ガラス戸を開けると、凍てつく程の冷たい風が吹き込んで来るも、ラミアは意に介さない。外に出て、空を見上げる。丁度日が暮れたところで、星が瞬き始めていた。さすがにその先の混浴スペースへは踏み入らない。
ラミアは露天風呂に体を沈め、大きく息を吐いた。
人生二度目の露天風呂。旅の目的に、露天風呂を足してもいいかな、とそんなことを思いながら、ラミアは体を弛緩させ、体の疲れを流し出していくのだった。
部屋に戻ると、既に夕食が用意されていた。アルフも先に風呂から戻ってきていた。露天風呂に行ったかどうか聞くと、さすがに寒くて遠慮したそうだ。
二人とも、衣装は部屋に用意されていたもの。風呂上がりはこちらに着替えるのが約束事だ。
浴衣、腰紐。タルファームの温泉宿でも着た衣装だ。アルフも同じ格好をしている。
「んー、このカッコ、ちょっと恥ずかしいな」
と、ラミアは少し顔を赤らめながらそう話す。風呂上がりということも有り、妙な色っぽさがあった。浴衣は、ラミアにとってはそこそこに大きい。裾は床すれすれだし、袖も手が半分隠れるほどになる。腰紐はしっかりと結んでいるが、そのせいで胸の薄さが逆に強調すらされていた。
アルフは邪念を振り払い、二人で食事を開始した。
山菜ご飯に、川魚の塩焼き。味噌を使ったスープに、赤くないお茶。発酵させた独特の味わいのある大根やきゅうり。野菜が中心の、体に優しい食事だった。
食事を食べ終わる頃に、扉がノックされた。宿の従業員が、食器などを取り下げに来たようだったが、寝床まで用意してくれた。それも独特で、部屋の床に直接、ベッドマットからバネを取り払い薄くして綿を詰め込んだようなものを置き、掛け布団を掛ける様式だった。草の匂いがするカーペットに直だから、草の上に寝袋を置くような、そんな錯覚。少し、いや、かなりのカルチャーショックだった。従業員は、これを敷き布団、掛け布団と説明した。やはりこれも、村を起こした人物の、故郷の様式だと話した。
従業員が退散する前に、翌日の予定の説明を受けた。
明日の行程は、出発は八時と遅め。アクエイスまではずっと下りになるため、少し速度が出るためである。ただ山岳路であることに変わりは無いので、しっかりと睡眠を取って酔わないように、とのことだった。速度は、最大で人が全力で走るぐらいの速度となる。さすがに、登りのように横で歩くというわけにはいかないようだった。
従業員は、鍵を閉めてお休みください、といって部屋を後にした。ラミアは言われた通り鍵を閉め、不意に何か悪いことをしているような気分になった。
振り返ればアルフ一人。好きな男の子を閉じ込めたような状況である。そんなことを考えてしまい、それで妙な気分となってきた。
ラミアは布団の上にちょこんと座り、窓辺にいるアルフを見上げた。
「あーるーちゃん」
「……何だ?」
「ここ、座って座って」
と、自分の前、アルフの布団をバシバシッと叩いた。アルフは素直に従い、ラミアの目の前にあぐらをかいて座った。
「……えいっ」
かけ声を上げ、アルフの腰へめがけてダイブ、そのまましがみついた。
「むう、力が足りなかったかな?」
そう言いながら、アルフをぐいぐいと押す。
「……何がしたんだよ」
アルフは、先ほどからずっとラミアに対して、邪念を抱いている。それに耐え忍んでいるのだが、こんなことをされてしまうと、さすがに限界である。
「うんとね、……いちゃいちゃ?」
そう言いながら、今度は頭をぐりぐりと、アルフのお腹に押しつける。しばらくそうしていたが、ラミアは急に動きを止めた。
アルフは男の子である。ラミアのことが大好きである。愛している。ついでに邪念の我慢も限界に近い。そんなことをされれば体に変化が訪れる。そしてその変化は、ラミアの目の前で起こって当然だ。
アルフはラミアを一旦座らせる。顔を真っ赤にして視線を外していたが、今度はゆっくりとアルフの肩に持たれるようにして、抱きついた。そして顎を上げ、目を閉じる。アルフはそれに答え、唇を重ねた。
「夕べはお楽しみだったかい?」
朝一番、出会い頭にそんなことを宣ったイレスの腹を、ラミアは問答無用でパンチした。当然スプリントメイルはそんな一撃を通さないので、ラミアは言われて恥ずかしく拳が痛いだけだった。
「言ってやるな童貞ロリカス野郎」
ガリエスの暴言がまた一段階上がった。
「……ひ、ひでぇよガリエス~」
その後、ガリエスはイレスを説教していた。やれ恋人同士はそういうものだの、以前に組んでいたハーレムクソパーティーは、とっかえひっかえやりやがってうらやまけしからんと、嫉妬ともとれる言葉が大いに混じっていたのは、気のせいにしておくラミアとアルフだった。
一行は予定通りに出発し、一路アクエイスを目指す。下り基調で、地形も入り組んでいる。それに沿った街道のため、昨日よりも曲がる回数も角度も大きかった。
ラミアは、幌の上に座っている。パルスからタルファーム間の豪華な馬車では酔わなかったのは、周りの景色が見られたからではと考えたからだ。その考えは正しかったらしく、左右に激しく揺れる状態でも、割と平気な顔をしていた。
後ろを見上げれば、今通ってきた街道がつづら折りになって見えている。そしてこれから進む先もまた、つづら折りとなっている。しかも下りなので、馬車の自重で速度が付いてしまい、カーブというカーブで一気に速度を落とす必要があり、その時に前後で馬車が揺れ、次いで右か左に大きく揺れる。その都度縛っていない荷物が左右に移動するが、酔いそうになってるアルフとガリエスは、そこまで気を回せずにいた。荷馬車に座るイレスは割と平気そうだった。荷馬車も露天なので周りがよく見えるためだろう。
山岳路を大分降りてくると、気温も一気に上がってきていた。砂漠は、もう目の前だった。




