プロローグ その4
「おい、大変だ! 逃げるぞ!」
――突然、木立の中から、ハーディがあらわれた。いつものハーディには、なんとなくすねたような、世の中に対して斜に構えたようなところがあるのだけれど、小走りに近づいてくる彼の表情は真剣そのものだ。
私は、あわててロデムの胸から手を離した。
「ハーディ、早いよ、まだこれから」
ロデムが何か言いかけたけど、その言葉をハーディの叫びがさえぎる。
「わりぃ、ロデム。でも、それどころじゃないんだ」
その背後から、耳慣れない羽音が聞こえてきた。蜂の音にしてはかなり大きい。
「もしかして、キラー・ビーか!」
「キラー・ビーって、あのキラー・ビー?」
「ああ、その大群だ。還魂祭は明日からだってのに、一体どうなってやがるんだ!」
キラー・ビーというのは、文字通り「殺人蜂」なんだけど、昆虫の蜂とは違うれっきとしたモンスターだ。大人のこぶし位の大きさで、お尻に毒針を持っている。一匹、二匹ならよほどの初心者パーティーじゃない限りどうってことない弱小モンスターなんだけど、今はちょっと時期が悪かった。
明日から三日間は、この地方では還魂祭っていう祭礼がおこなわれる。
天空にある大小二つの月の満月が重なる関係で、この三日間は、魔法具の効き目が強くなるとか、魔物が凶暴になるとか、いろんな異変が起こるんだ。
とくにメギド火山帯に連なるこの地域では、還魂祭にきっちり重なって、キラー・ビーの分封が発生する。分封っていうのは、蜂の群れの中から新しい女王蜂が巣立って、新しい群れを作ることだ。新女王に率いられたキラー・ビーの群れは気性が荒くなっていて、人や家畜に襲いかかることもしばしばだ。さらに、それだけじゃなく大量発生したキラー・ビーを捕食する大型のモンスターたちもこの地域に集まってくる。
したがって環魂祭の三日間、この地域の人たちは家から一歩も出ずに過ごすのが常だった。
木立の隙間を縫うように、キラー・ビーの大群がハーディを追って現れた。その数は、百匹か、二百匹か、もう数え切れないほどだ。
「とりあえず、逃げるんだ!」
私たちは、荷物を手に取るとドワーフ森の出口へ向かって大急ぎで走った。
薄暗い森を抜けて、シロツメクサやタンポポが咲きはじめたばかりの原っぱに出た。お昼時の強い日差しが草原の緑に反射している。原っぱの中に一本道があり、曲がりくねってメギド火山まで続いていた。
この道を行けば、暁亭にたどり着くはずだ。
キラー・ビーもこここまで来れば見逃してくれるだろう。拝むような気持ちで背後を振り返った。
でも残念なことに、キラー・ビーの群れは、私たちをまだしっかりターゲットとして認識しているようだった。まるで一体のガス状モンスターのように、一塊になって私たちの背後に迫ってくる。
野に咲く花は、嫌いじゃない。
むしろ、健気に咲いているところがまるで自分みたいで大好きだ。しかし、今日ばかりはそんなことを考えている場合ではなかった。私たちは、白や黄色の小さな草花を踏みつけながら、それこそ転がるように走った。
どうしても私一人が遅れてしまうのを見て、前を行くロデムとハーディの二人が手を伸ばしてくれる。
「デボちゃん!」「デボラ!」
一瞬、とまどった。
私なんか置いていってくれればいいのに、と心底そう思った。
でも、やっぱり嬉しい。
両手を伸ばして、右手でロデムの、左手でハーディの手を取った。すると、二人の引っ張る力で、私の身体はまるで空でも飛んだみたいにグンと加速した。
気持ちいい。
私は、なんて幸せモノなんだろう。風の神ウァールズ様、もう、今死んだって全然後悔しません。




