第99話 出陣の朝
出陣は、3日後の夜明けだった。
城門の前の広場に、兵が並んでいた。槍の穂先が、まだ薄暗い空に林のように突き立っている。馬が鼻を鳴らすたびに、白い息が上がった。夏の終わりなのに、石畳から冷たさが靴の底へ上ってくる。
列の先頭には、ヴァルモント家の剣の旗。その下で、公爵とレオンハルトが、黒い馬にまたがっていた。
公爵が、一度だけ、こちらを振り返った。すぐに、前へ向きなおった。
「フェイさん!」
見送りの人垣を割って、王妃が駆けてきた。
「わたしも行くわ。前線で、フェイさんのお世話を……」
「イザベラ」
後ろから、国王に肩をつかまれた。王妃は、そのまま、ずるずると人垣の中へ連れ戻されていった。
「フェイ様」
メイベルが、布の包みを差し出した。両手で抱えるほどの大きさだった。
「道中の食べ物です。干し肉と、固く焼いたパンと、蜂蜜漬けの林檎。……ソフィア様やリア様のように、フェイ様とお話しできる石は、私にはありませんので。せめて、これを」
それだけ言って、メイベルは、ぺこりと頭を下げた。顔を上げたとき、目が少し赤かった。
「ありがとう、メイ。林檎、おれ好き」
「存じております」
その横から、日傘の先が、フェイの胸をこつんと突いた。リアだった。
「いい? 前に出されたら、それは罠よ。何を言われても、まず疑いなさい」
「うん」
「証拠は、こっちで押さえる。……だから、あなたは、ちゃんと帰ってくることだけ考えて」
リアは、日傘を肩に戻して、ぷいと横を向いた。
ソフィアは、何も言わなかった。
フェイの前に立って、口を開きかけて、閉じる。それを2回くり返してから、ソフィアは、フェイの左の手首に、そっと指を伸ばした。金の、雫の形の石に触れる。
「……毎晩、この石で呼ぶわ。だから、ちゃんと返事をしてね」
「うん。待ってる」
ソフィアの指が、石から離れるまで、少しかかった。
少し離れたところで、ギュンターさんが、クララ先輩の馬の轡を取っていた。先輩の後ろには、灰色の旗を立てたグラウベルク家の兵が並んでいる。
「お嬢様。くれぐれも、前に出すぎませんよう」
「こ、子ども扱いしないで。私が行くのは、家の務めよ」
つんと顎を上げながら、先輩の手は、ギュンターさんの手を握ったままだった。
ギュンターさんは、フェイに気づくと、片眼鏡の奥の目を細めて、深く頭を下げた。
「フェイ殿。お嬢様を」
「はい」
白い山の旗の下から、会長が手を振った。
「グラウベルク家とヴァイスベルク家の兵は、後ろにつく。前は任せたよ、フェイ君」
ブリジット先輩は、もう馬の上にいた。背筋がまっすぐで、腰の剣に手を添えている。帰る先は、自分の家の領地だ。いつものどもりは、どこにも無かった。
シエルは、兵たちの列の前で、両手を組んで目を閉じていた。祈りの言葉が、朝の空気に小さく溶けていく。
「フェイ。乗れ」
ノエル先生が、荷馬車の御者台から顎をしゃくった。
「先生も、行くんですか?」
「付き添いだからな」
角笛が鳴った。
列が、ゆっくりと動きだす。フェイは、荷馬車に飛び乗って、振り返った。
人垣の端に、女の子が1人立っていた。
鳶色の長い髪を、耳の上から細く編んで、後ろで留めている。ソフィアたちより、少し年下に見えた。両手を胸の前で握りしめて、列の先頭の、黒い馬のほうを見つめている。
レオンハルトと、同じ色の髪だった。
女の子は、黒い馬が門をくぐって見えなくなるまで、ずっとそこに立っていた。




