第98話 頼む
国王の私室は、学園祭の夕方にリアが紙の束を広げた部屋だった。
壁一面の本棚と、古い机。暖炉には火が入っていないのに、部屋の中は、ほんのりと革と古い紙の匂いがした。
国王は、冠を外して、机の上に置いていた。
「座れ」
「は、はい」
フェイは、言われた椅子に、そっと腰を下ろした。椅子が、ぎしりと鳴った。
国王は、向かいには座らなかった。窓のそばに立って、外の中庭を見下ろしている。
「ヴァルモントが、なぜそなたを前線に連れていきたがるか、分かるか?」
「えっと……おれが、強いからですか?」
「そなたを、殺すためだ」
フェイは、まばたきをした。
「学園祭で王妃をさらいに来た者たちに、お忍びの日取りを漏らしたのは、ヴァルモント家だ。リアが、そこまでは突きとめた。だが、証拠が足りん。署名の無い写しが1枚では、また誰かの独断にされて終わる」
国王は、窓の外を見たまま言った。
「そなたがいる限り、あの家の企みは、何度でも潰される。だから、戦のどさくさで消したいのだろう」
「では、どうしてお許しになったのですか?」
国王が、振り返った。
「ヴァルモントを王都に残して、そなただけを前線に出したら、どうなると思う?」
フェイは、考えた。
王都には、ソフィアがいる。メイベルも、リアも、王妃様も。そのすぐそばに、あの目をした公爵が、兵を連れて残る。
「……ソフィたちが、危ないです」
「そうだ。人質を取られたのと、変わらん」
国王は、机の端に手をついた。
「だから、ヴァルモントも前線へ行かせる。あの男が何を企んでいようと、そなたがそばにいれば、その場で止められる。そのあいだに、王都ではリアたちが、ヴァルモント家と魔導国がつながっている証拠を押さえる」
部屋が、しんとした。中庭で、誰かが馬を引いていく蹄の音が、小さく聞こえた。
「……15の子どもに、こんなことを頼むのだ。勝手な話だとは分かっている」
国王は、フェイの前まで来た。
そして、頭を下げた。
「頼む、フェイ」
「へ、陛下!? あ、頭、上げてください!」
フェイは、椅子から飛び上がった。どうしていいか分からなくて、両手が宙をうろうろした。
国王は、ゆっくりと顔を上げた。口の端が、少しだけ上がっていた。
「8つの年に、私は、バルタザールに肩車で送り届けてもらった。その借りも返さぬうちに、今度は、あの男が育てた子に頼みごとだ。……知れたら、また叱られるな」
フェイは、肖像画の前で聞いた話を思い出した。霧の朝の、沢の前。泣いている小さな王子と、それを見下ろす大きな男。
「おじいちゃんは、叱らないと思います」
「そうか?」
「困っている人がいたら助けなさいと、いつも言っていましたので」
フェイは、左の手首を握った。銀の鎖の下で、石が3つ、ひんやりと肌に当たっている。
「任せてください。全部、ちゃんと片づけてきます」
国王は、何も言わなかった。大きな手が、フェイの頭の上に、一度だけ、ぽんと置かれた。




