第96話 引き金
夕方の学園は、静かだった。
中庭の芝生には、焦げた跡が点々と残っていた。片づけをする生徒たちが、ときどき、吹き飛んだ2階の窓を見上げては、ひそひそと話している。
フェイは、喫茶店の教室で、鉄の板を洗っていた。穴の開いた上着は、もう着られない。シャツの背中も、少し焦げていた。
「本当に、何ともないのですか?」
メイベルが、フェイの背中をのぞきこんだ。顔色は、すっかり戻っていた。近衛の2人と一緒に、シエルが治してくれたのだ。
「うん。ちょっと熱かっただけ」
「ちょっと、で済むのは、フェイ様だけです」
教室の扉から、次々と人が入ってきた。シエルと、ブリジット先輩。会長と、ノエル先生。最後に、クララ先輩が、ずかずかと入ってきて、フェイの前で腕を組んだ。
「表の門は、私がふさいでおいたわ。逃げようとした連中は、足もとを凍らせてあげたから」
「ありがとうございます、クララ先輩」
「か、勘違いしないで。肝試しを台無しにされた仕返しよ。……それと」
クララ先輩は、フェイから目をそらした。
「……さっきは、悪かったわ。また」
「もう治りました」
「治るのも、どうなのよ……」
会長が、くすくすと笑った。
「今日の英雄は、忙しいね。王妃殿下をお救いして、その前は保健室で……」
「会長!」
ソフィアの声が、教室に響いた。
ソフィアは、窓ぎわの席で、さっきからずっとむくれていた。ナース服は、もう着替えていた。
「……お母様、ずるい」
「え?」
「なんでもない!」
ノエル先生が、眼鏡を押し上げた。口もとが、少しだけ笑っていた。
同じころ、王城の国王の私室で、リアは、机の上に紙の束を広げていた。中庭で拾い集めた、フードの男の持ち物だった。
「王妃様が今日お忍びでいらっしゃることも、お入りになる裏門の場所も、お供の近衛の数まで書いてあります。男が考えたものではありません。誰かから届いた知らせを写したものです」
「誰から?」
「署名はありません。ですが」
リアは、別の紙を横に並べた。
「この字の癖は、ヴァルモント家の書記のものと同じです」
国王は、2枚の紙を、長いあいだ見比べていた。
「……これで、ヴァルモントを捕らえられるか?」
「署名の無い写しが1枚だけでは足りません。前のときのように、書記の独断だと言って切り捨てるでしょう」
国王が、拳を机に置いた。
そのとき、扉が激しく叩かれた。
「陛下! アイゼンガルト領より、早馬です!」
飛びこんできた伝令は、埃まみれだった。
「4日前より、オルドラン魔導国の軍が、国境の川の向こうに集まっております! その数、日ごとに増えて……!」
リアの指が、紙の上で止まった。
「……王妃様をさらって、盾にするつもりだったのね」
知らせは、日が沈む前に、学園にも届いた。
ブリジット先輩の手から、雑巾が落ちた。
「父の……領地に……」
顔から、すうっと血の気が引いていく。シエルが、慌てて先輩の腕を支えた。
フェイは、洗いかけの鉄の板を、台の上に置いた。
鍛冶屋の親父の、ばしばし叩く手。焼きたてのパンを抱えて走ってきた子ども。がっはっはと笑った、辺境伯の顔。
「おれ、行きます」




