第95話 すっごくドキドキしちゃった
フェイは、王妃をもう一度、横抱きに抱え上げた。
「ちょ、ちょっと、フェイさん、心の準備が……」
「行きます」
倉庫の扉を開けた。
廊下に、男たちが並んでいた。右に4人、左に3人。全員が、両手をこちらに向けている。足音を消して、扉の外で待っていたのだ。詠唱は、もう終わりかけていた。
王妃の指が、フェイのシャツをつかんだ。
フェイは、王妃の膝の下に回した右手を、少しだけ浮かせた。親指と、中指を合わせる。
ぱちん。
乾いた音がした。
次の瞬間、廊下の空気が、まるごと押し出された。
正面の窓が、枠ごと外へ吹き飛んだ。男たちが、風に足をすくわれて、尻もちをつく。放たれかけた火の玉が、あらぬ方向へ逸れて、天井を焦がした。
フェイは、窓の穴へ跳んだ。
2階の高さだった。王妃の悲鳴が、耳もとで長く伸びた。
中庭の芝生に、着地する。膝を曲げて、衝撃を逃がした。腕の中の王妃は、少しも揺れなかった。
中庭に、客はもういなかった。代わりに、男たちが待っていた。
植えこみの陰から、屋台の裏から、ぞろぞろと出てくる。町の人の服を着た者、物売りの格好をした者。20人は、いた。
「王妃様。しっかりつかまっててください」
「つ、つかまるって……」
王妃の腕が、フェイの首に回った。
フェイは、王妃を左腕だけで胸に抱えなおした。右手が、空いた。
最初の男が詠唱を終える前に、フェイは、その目の前にいた。
首の後ろに、手刀を落とす。とん、と軽い音。男は、そのまま前のめりに倒れた。
次。
火の玉が、横から飛んでくる。フェイは、王妃を抱えた体ごと半身をひねって、それをかわした。かわしながら、撃った男の首の後ろに手刀を落とす。
次。次。次。
とん。とん。とん。
男たちが、芝生の上に、順番に倒れていった。王妃は、フェイの胸に顔をうずめたまま、一度も地面に足をつかなかった。
最後の1人が倒れたとき、風が吹いた。
つむじ風だった。中庭の真ん中で、砂と草を巻き上げて、渦を巻いている。
その渦の中に、フードの男が立っていた。国境の街の、北の丘で見た人影だった。
男が、懐から紙の束を取り出した。この期に及んで、筆を走らせている。
「書き終わる前に、行きますよ」
男の顔が、上がった。
フェイは、もうそこにいた。
渦を、拳でまっすぐ突き抜ける。つむじ風が、ばらばらにほどけて消えた。男の手から、紙の束がこぼれる。
首の後ろに、手刀。
男が、芝生に崩れ落ちた。紙が何十枚も、中庭じゅうに舞い散った。
校舎のほうから、足音が駆けてきた。
「ご無事ですか!」
抜き身の剣を下げたブリジット先輩だった。後ろから、シエルと、会長と、ノエル先生が走ってくる。
「校舎の中の残りは、片づけた。……こっちも済んでいるようだな」
先輩は、芝生に転がった男たちを見て、剣を鞘に納めた。とたんに、顔がふにゃっとゆるんだ。
「よ、よかった……ご、ご無事で……」
フェイは、王妃を、そっと芝生に下ろした。
「王妃様。終わりました」
王妃は、すぐには離れなかった。フェイの首に回した腕に、きゅっと力が入る。
それから、背伸びをした。
頬に、柔らかいものが、ちょんと触れた。
「……え?」
王妃は腕をほどいて、一歩下がった。乱れた金の髪を、指で耳にかける。頬が、まだ赤かった。
「すっごくドキドキしちゃった」
少女みたいに、笑った。
2階の、吹き飛んだ窓の穴から、ソフィアが身を乗り出していた。メイベルに支えられながら、口をぱくぱくさせている。
「お……お母様あああっ!」




