第93話 上着
喫茶店の、窓ぎわのいちばん奥の席に、王妃は座った。
フェイが焼いたパンケーキを一口食べて、王妃は目を丸くした。
「おいしい……! フェイさんが焼いたの?」
「はい。おばあちゃんに教わりました」
「まあ。今度、お城の料理人にも教えてあげてほしいわ」
ソフィアとメイベルが、お茶を運んできた。王妃は、そのたびに「かわいい」と言って、ソフィアに睨まれた。
近衛の2人は、壁ぎわに立っていた。裏門のときより、顔色が悪かった。1人が、壁に手をついた。
「……失礼。少し、目が……」
そう言ったとたん、膝が折れた。どさり、と床に崩れる。もう1人も、壁に背中をつけたまま、ずるずると座りこんだ。
「どうしたの!?」
駆け寄ろうとしたソフィアが、ふらりとよろめいた。支えようとしたメイベルも、一緒に床に膝をつく。
「力が……抜けて……」
王妃も、椅子の背にもたれかかっていた。顔が、青い。
フェイは、倒れた近衛の上着の物入れに、手を突っこんだ。
指先が、生ぬるいものに触れた。
引っぱり出すと、親指の先ほどの、くすんだ緑の石だった。手のひらの上で、とくん、とくんと脈を打っている。
フェイは、それを握りつぶした。
ぱきん、と乾いた音がしたのと、教室の客たちが立ち上がったのは、同時だった。
椅子が倒れる。悲鳴を上げたのは、本物の客だけだった。残りの5人は、黙って、両手をまっすぐ王妃に向けていた。
短い詠唱が、重なった。
フェイは、王妃の椅子に飛びついた。両腕で、王妃を胸の中に抱えこむ。背中を、男たちのほうに向けた。
轟音。
背中に、熱い塊がいくつもぶつかった。窓の硝子が、びりびりと震える。白い煙が、教室じゅうに広がった。
「フェイさん……!?」
腕の中で、王妃がかすれた声を上げた。
「だいじょうぶです」
背中が、少し熱かった。それだけだった。ただ、上着には、大きな穴が開いていた。焦げた布の匂いがする。
煙の向こうで、男たちが、次の詠唱を始めていた。
フェイは、上着を脱いだ。煙の中へ、上へ、ばっと放り投げる。
焦げた上着が、煙の中で、人の形のように広がった。
「上だ!」
男たちの手が、いっせいに上を向いた。
その一瞬で、十分だった。
フェイは、王妃を抱え上げた。膝の裏と背中に、腕を回して。
「ソフィ、メイ!」
「……お母様を、お願い!」
床に膝をついたまま、ソフィアが叫んだ。
フェイは、教室の扉を蹴り開けて、廊下を駆けた。
客たちが、何が起きたのかも分からないうちに、そのあいだをすり抜ける。窓の外の景色が、横に流れて、線になった。王妃の帽子が、後ろへ飛んでいった。
角を曲がった。
正面から、町の人の服を着た男たちが3人、走ってくる。手が、こちらを向いた。後ろからも、足音が迫っていた。
すぐ横に、階段があった。
フェイは、手すりを越えた。
一段も、踏まなかった。踊り場まで、まっすぐ飛び降りる。足が着くと同時に、また手すりを越えて、その下の階まで。
頭の上で、魔法が、さっきまでフェイのいた場所の壁を砕いた。




