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第92話 お忍び

 昼の鐘が鳴るころ、フェイとソフィアは、学園の裏門に立っていた。


 表の門とちがって、裏門は人通りが少ない。荷車用の細い石畳の道が、林の向こうへ続いているだけだった。蝉が、まだ、しつこく鳴いていた。


 ソフィアは、さっきから、一言も喋っていなかった。


 ときどき、フェイの顔を見る。目が合うと、ぱっとそらす。そのたびに、帽子の下の耳が赤くなった。フェイも、何を言えばいいのか分からなかった。


「お待たせしました」


 メイベルが、小走りでやってきた。ナース服の上から、薄い肩掛けを羽織っている。


「お店は、ほかの方にお願いしてきました。……姫様?」


 メイベルは、ソフィアの顔を見て、それからフェイの顔を見た。


 それだけで、何もかも分かったような顔をした。


「……よかったですね、姫様」

「な、何のこと!?」


 林の向こうから、蹄の音が聞こえてきた。


 飾りのない、地味な箱馬車だった。町の商家の奥方が乗るような、ありふれた馬車。それが、裏門の前で止まった。


 御者台から、2人の男が降りてきた。どちらも、くたびれた上着を着た、町の使用人のような格好をしている。けれど、降り方に、少しも無駄がなかった。王妃付きの近衛よ、とソフィアが小声で教えてくれた。


 馬車の扉が開いた。


「来ちゃった」


 降りてきたのは、つばの広い帽子をかぶった女の人だった。


 生成りの、飾りの少ない服。結い上げた金の髪を、帽子の中に押しこんでいる。どこから見ても、町の裕福な奥方だった。顔さえ、見なければ。


「お母様……」

「しーっ。今日は、ただのイザベラよ」


 王妃は、人差し指を唇に当てた。それから、ソフィアとメイベルを見て、目を輝かせた。


「まあ! まあまあまあ! なあに、その格好!」

「が、学園祭の衣装です……」

「かわいい! ナースさんね! ソフィア、ちょっと回ってみて」

「お母様!」


 王妃は、2人のまわりを、ぐるぐると回った。それから、くるりとフェイに向きなおった。


「フェイさんは、どう思う? 似合っているでしょう?」

「はい! 朝見たとき、びっくりしました」

「あら。それで、なんて言ったの?」

「すごく似合ってるって」


 王妃は、ソフィアの顔をじっと見た。帽子のつばを下ろして、口もとを隠す。


「……ソフィア。あなた、何かいいことあったわね」

「ありません!」


 ソフィアの声が、裏門の石畳に響いた。


 近衛の1人が、こほん、と咳払いをした。


「奥方様。そろそろ、中へ」


 その額に、汗が浮いていた。夏の終わりにしては、ずいぶん汗をかいている。もう1人の近衛も、何度も、上着の胸もとをさすっていた。


「朝のうちに、学園の中を下見しておりましてな。表の門で、記念の品をもらいました。学園祭のお守りだそうで」


 近衛は、上着の物入れを、軽く叩いた。


「それからどうも、このあたりが暑くてかなわんのです」


 フェイは、そのとき、ソフィアの横顔ばかり見ていた。

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