第83話 聖女の像
その日の昼までに、街じゅうのお守りが、館の中庭に集められた。
辺境伯の号令で、まだ動ける兵たちが家々を回った。病人の家の中には、フェイが入った。枕もとの石を外し、箱に入れ、また次の家へ。
中庭の砂の上に、緑の石が小山になった。数えると、800を超えていた。
近づくと、むわっと生ぬるい空気が漂ってくる。夏の昼なのに、そこだけ、人の体温みたいな温かさだった。
「これを、全部……」
辺境伯が、うなった。
「フェイ殿。砕けるか?」
「はい」
フェイは、小山の前にしゃがんだ。両手を、石の山に差しこむ。
ぐっと、握った。
ぱきぱきぱきっ、と、乾いた音が中庭じゅうに響いた。手のひらの中で、石が次々に砕けていく。すくっては握り、すくっては握る。
緑の粉が、砂の上に積もっていった。生ぬるい空気が、少しずつ、ただの夏の風に戻っていく。
最後の1つを握りつぶしたとき、館の扉が開いた。
シエルだった。ブリジット先輩に支えられて、まだ少しふらついている。けれど、頬には赤みが戻っていた。
「フェイさん」
シエルは、緑の粉の山を見て、それからフェイを見た。
「わたくし、教会へ行きます。今なら、治せる気がするのです」
その日の夕方、教会の中に、淡い光が満ちた。
シエルの手から、蜂蜜みたいな光がこぼれて、藁布団の1つ1つに染みこんでいく。今度は、誰の熱も戻らなかった。
次の朝も。その次の朝も。
3日目、教会の床から、最後の藁布団が片づけられた。
街に、市場の声が戻ってきた。
その夕方、辺境伯は、フェイたちを教会の奥へ連れていった。
祭壇の後ろの壁に、古い石の像が立っていた。両手を胸の前で組んだ、若い女の人の像だった。顔は、長い年月ですり減って、ほとんど分からない。
「昔、この街に、疫病が流行ったことがある。何百年も前の話だ」
辺境伯が、像を見上げた。
「街の半分が死にかけた。そのとき、王都から1人の聖女が来て、ひと月かけて、街じゅうの者を治して回った」
「この方が、その聖女様ですか?」
シエルが、像の前に立った。
「そうだ。アイゼンガルトの当主は、そのとき誓った。この先、どの代の聖女にも、我が家の剣を捧げる、とな」
辺境伯は、ブリジット先輩の肩に、手を置いた。
「だから、ジルは聖女様の護衛をしている。……そして今度も、聖女様とその仲間に、街を救われたわけだ」
先輩が、まっすぐに背を伸ばして、シエルの前に片膝をついた。
「シエル様。アイゼンガルトの剣は、これからも、あなたのものです」
「……はい。ジル、ありがとう」
シエルは、少しだけ泣きそうな顔で笑った。
教会を出ると、空が赤かった。
フェイは、ふと、北の丘を見た。
丘の上の、壊れかけた粉ひき小屋。その屋根の上に、人影が1つ立っていた。フードを目深にかぶっている。
目が合った、と思った。
次の瞬間、つむじ風が丘を駆け上がって、人影はかき消えていた。
「フェイ殿?」
「……いえ。なんでもないです」
フェイは、丘から目を離さなかった。
風の中に、ほんのかすかに、紙のこすれる音が聞こえた気がした。




