第79話 君なら、娘を任せられる
朝の中庭には、薄く霧が残っていた。
敷き詰めた砂の上に、辺境伯が立っていた。手にしているのは、刃を潰した稽古用の大剣だ。それでも、フェイの背丈ほどの長さがある。
回廊には、ブリジット先輩とシエル、ノエル先生が並んでいた。館の兵たちも、柱の陰から顔を出している。
「お父様、本当にやるのですか……」
「やる。この小僧がどれほどのものか、見ておきたい」
辺境伯は、大剣を片手で軽々と振った。ぶん、と重い風が、フェイの前髪を揺らした。
「得物は?」
「いりません」
「素手か。……面白い」
辺境伯が、砂を蹴った。
速かった。あの大きな体が、ひと息で間合いを詰めてくる。大剣が、上から、まっすぐに振り下ろされた。
フェイは、右手を上げた。
がきん、と鈍い音が中庭に響いた。
大剣が、止まっていた。フェイの人差し指と中指のあいだに、刃が挟まっている。
回廊が、しんと静まりかえった。
「……な」
辺境伯が、両腕に力をこめた。太い腕に、血の筋が浮かぶ。大剣は、ぴくりとも動かなかった。
「じゃあ、いきます」
フェイは、刃を挟んだまま、くいっと手首を返した。
大剣が、辺境伯の手からすっぽ抜けた。くるくると回りながら、霧の残る空へ高く上がっていく。
辺境伯が、空を見上げた。その胸に、フェイは、とん、と手のひらを当てた。
軽く押しただけだった。
辺境伯の巨体が、砂の上を、ずざざざと滑っていった。中庭の端の植えこみに、背中から突っこんで、止まる。
少し遅れて、大剣が空から落ちてきて、砂に突き刺さった。
「お、お父様!?」
ブリジット先輩が、回廊から駆け下りた。
植えこみの中で、辺境伯は、仰向けのまま空を見ていた。葉っぱが、髭にいくつも引っかかっている。
「……がっはっはっは!」
辺境伯は、腹を抱えて笑い出した。
「参った! こいつは参った!」
それから、むくりと起き上がると、フェイの前まで歩いてきて、深々と頭を下げた。
「フェイ殿。礼を言わせてくれ」
「え?」
「森で魔導国の者に襲われたとき、空から降ってきて、ジルと聖女様を助けてくれたそうだな」
辺境伯は、顔を上げた。さっきまでの笑いが、消えていた。
「ジルは、帰ってくるたびに君の話をするし、手紙にも君のことばかり書いてくる。強い、強いとな。……正直、どんな軟弱者かと思っていた」
大きな手が、フェイの肩に、ずしりと置かれた。
「君なら、娘を任せられる」
「お父様!?」
ブリジット先輩の声が、裏返った。顔が、耳の先まで、見る見るうちに赤くなっていく。
「な、な、何を言って……わ、わたしは、そんな、手紙にそんなことは……!」
「書いていただろう。毎回、3枚は書いていた」
「お父様あああっ!」
回廊の上で、シエルが、ぷくっと頬をふくらませていた。
「……シエルも、フェイさんに助けていただいたのに」
小さな声だった。誰にも聞こえなかった。
その隣で、ノエル先生は、砂に突き刺さった大剣を見ていた。それから、フェイの、何も持っていない右手を見た。
先生の喉が、ごくりと鳴った。




