第75話 国境の山
2日後の朝、教会の馬車が王都を発った。
白い幌に、金の糸で光の紋が縫い取ってある。中には、シエルとフェイ。その向かいに、ノエル先生が座っていた。ブリジット先輩は、栗毛の馬に乗って、馬車の横を並んで進んでいる。
ノエル先生は、いつもの黒い上着ではなかった。生成りのシャツに、細身のズボン。長い髪を後ろで1つにまとめている。
「先生、今日は先生っぽくないですね」
「休みだからな」
先生は、窓の外を見たまま答えた。
「それに、私は教師として来たわけではない。学園の届けには、付き添いと書いた」
「付き添いって、誰のですか?」
「君のだ」
フェイは、首をかしげた。隣で、シエルがくすりと笑った。
シエルは、出発してからずっと、膝の上で小さな本を開いていた。開いてはいるけれど、さっきから1枚もめくっていない。ときどき、ちらりとフェイを見ては、ぱっと本に目を戻す。
「シエル、その本、面白い?」
「は、はいっ! とても!」
「なんの本?」
「……え、えっと」
シエルは、本の表紙を見た。それから、そっと本を閉じた。上下が、逆さまだった。
ノエル先生が、眼鏡の奥で目を細めた。
王都を離れるほど、道は細くなっていった。麦畑が途切れ、牧草地が途切れ、やがて岩の多い丘ばかりになる。風が乾いていて、日向の石は、触ると火傷しそうなほど熱かった。
3日目の昼、窓の外に、灰色の山並みが見えてきた。
「あれが、国境の山です」
馬の上から、ブリジット先輩が言った。剣を帯びて馬に乗っていると、背中がまっすぐで、声もつかえない。
「山のふもとに、川が流れています。川の向こうは、オルドラン魔導国です」
フェイは、窓から身を乗り出した。
山の手前に、高い石の壁が見えた。壁の上に、物見の塔がいくつも並んでいる。その内側に、灰色の屋根がぎっしりと詰まっていた。
「あそこが、先輩の家ですか?」
「はい。……わたしの生まれた街です」
先輩の声が、少しだけ低くなった。
「いつもなら、この時間は市場の声が、ここまで聞こえてくるのですが」
フェイは、耳を澄ませた。
風の音と、車輪の音。それから、遠くで鳴る教会の鐘。それだけだった。
街の門が近づいてくる。門の前に、人影が1つ、仁王立ちしていた。
大きかった。馬車の窓から見ても、門の柱と変わらないくらい肩幅がある。
人影は、馬車を見つけると、両腕を高く振り上げた。
「ジルーーーーっ!」
門の石壁が、びりびりと震えた。
ブリジット先輩が、馬の上で、両手で顔を覆った。




