第72話 夜這いって、こういうこと
その夜。
公爵家の客間は、王宮の客間より、少しだけ小さかった。そのぶん、壁の木の色が温かい。開いた窓の外から、虫の音が聞こえていた。王都の真ん中より、ずっと静かだ。
フェイは、寝台の上で、自分の右腕をさすっていた。
あれから、球を30個は打った。折った棒は、4本。最後の1本で、やっと球が芝の上を転がるようになった。慣れない振り方をしたせいで、腕が少しだるい。
コン、コン。
扉が鳴った。返事をする前に、扉が開いた。
「起きてる?」
リアだった。黒い寝巻きに、肩から薄い上掛けを羽織っている。
「リア? どうしたの?」
リアは、後ろ手に扉を閉めた。それから、寝台のそばまで歩いてきて、フェイを見下ろした。
「王宮のお風呂、楽しかったみたいね」
フェイの顔から、さあっと血の気が引いた。
「な、な、なんで知ってるの!?」
「うちを何の家だと思ってるの。王家の目よ」
リアは、すました顔で言った。
「ほかにも、いろいろ聞いてるわ。……いろいろね」
その目が、ほんの少しだけ細くなった。メイベルのことまで知っているのかどうか、フェイには分からなかった。訊く勇気も、無かった。
とん、と。リアの手が、フェイの胸を押した。
ふいを突かれて、フェイは仰向けに倒れた。その上に、リアがまたがる。上掛けが、肩からするりと落ちた。
「リ、リア!?」
「あなた、前に訊いてたでしょ。夜這いって何、って」
窓からの月明かりで、リアの顔が半分だけ見えた。
「教えてあげる。……こういうことよ」
リアの顔が、すっと下りてきた。
唇が、重なった。
屋上のときより、ほんの少しだけ長かった。リアの髪の先が、フェイの頬をくすぐっていた。
顔が離れた瞬間、リアの顔が、耳まで真っ赤になった。
屋上で口づけをしたあとと、同じ顔だった。した本人が、いちばん慌てている。
「……リア、顔、赤いよ」
「う、うるさいわね!」
リアは、怒ったように顔をそむけた。けれど、降りようとはしなかった。
虫の音だけが、部屋に満ちていた。
「……今日ね、夕食のとき、あなたが棒を折った話をしながら、父が声を出して笑ったの」
リアの声が、急に小さくなった。
「あんなふうに笑う父を見たの、屋敷が衛兵に囲まれてから、初めてだった。母も、泣いてばかりだったのに」
リアは、そむけていた顔を、ゆっくりとフェイに戻した。




