第70話 月明かり
客間の寝台は、寮の寝台の3倍くらい大きかった。
フェイは、その真ん中で、仰向けになって天井を見ていた。窓が開いていて、薄い窓掛けが夜風に揺れている。灯りを消した部屋の床に、月の光が、白い四角を落としていた。
目を閉じると、湯気の向こうの光景が浮かぶ。慌てて目を開ける。さっきから、その繰り返しだった。
コン、コン。
扉が、小さく鳴った。
「……フェイ様。起きていらっしゃいますか?」
メイベルの声だった。
フェイは、跳ね起きた。扉を開けると、寝巻き姿のメイベルが立っていた。薄い生成りの布で、肩に、ほどいた栗色の髪がかかっている。いつものカチューシャが無いと、少しだけ幼く見えた。
「メイ? どうしたの?」
「少し、お話があります」
メイベルは、するりと部屋に入ってきた。月明かりの四角の中で、くるりとフェイを振り返る。
風呂場で見たのと、同じ顔だった。頬が、ぷうっとふくらんでいる。
「最近、フェイ様は、女の子にちょっかいを出しすぎではないですか?」
「えっ!?」
「リア様に、クラリッサ様に、会長に。今日は、王妃様にまで」
「そ、そんなことないよ!? 今日のは、おれが出したんじゃなくて、出されたっていうか……」
メイベルは、何も言わずにフェイを見上げていた。
月の光が、メイベルの目の中で揺れている。怒っている目では、なかった。
「では、ハグしてください」
「……え?」
「ハグです。してくださったら、許します」
フェイは、おそるおそる腕を広げた。メイベルが、一歩、前に出る。
ぽすん、と。小さな体が、腕の中に収まった。
メイベルの頭は、ちょうどフェイの胸の高さにあった。そこに、メイベルが耳を押し当てる。
「……どきどき、していますね」
「そ、そりゃあ、するよ」
「私も、です」
メイベルは、目を閉じた。フェイの心臓の音を、1つずつ数えるみたいに、じっと耳を当てている。
フェイは、どうしていいか分からなかった。腕の置き場に迷って、それから、そっとメイベルの背中に回した。
髪から、石けんと、少しだけ甘い花の匂いがした。腕の中が、温かい。
さっきまで暴れていた心臓が、少しずつ、ゆっくりになっていく。メイベルの呼吸と、いつの間にか同じ速さになっていた。
窓掛けが、ふわりと揺れた。
どれくらい、そうしていたのか分からない。メイベルが、そっと顔を上げた。
「……少し、落ち着きました」
メイベルは、フェイの腕の中から抜け出した。月明かりの中で、小さく頭を下げる。
「私は、もう寝ますね」
それから、つま先立ちになった。
「おやすみなさい、フェイ」
唇に、柔らかいものが触れた。
一瞬だけだった。気づいたときには、扉が静かに閉まっていた。廊下を駆けていく、ぱたぱたという足音が遠ざかっていく。
フェイは、その場に立ったまま、扉を見ていた。
それから、後ろ向きに、寝台へ倒れこんだ。
「フェイ様」の「様」が、無かった。
天井の暗がりを見上げたまま、唇に、指で触れる。
「かわいいって……こういうことか……」
フェイは、ゆっくりと目を閉じた。




