第69話 あらあら
「……フェイ」
「……フェイ様」
2人の声が、お湯よりずっと冷たかった。
フェイは、慌てて背中を向けた。湯船の縁に額をくっつけるようにして、壁の石の模様を数える。1つ、2つ、3つ。
ちゃぷ、と後ろでお湯が鳴った。
ちゃぷ、ちゃぷ。音が、近づいてくる。
「それにしても、すごい体をしてるのね」
すぐ後ろで、王妃の声がした。
ひたり、と。濡れた指先が、フェイの背中に触れた。
「ひゃっ」
「まあ、硬い。岩みたい。どんな鍛え方をしたら、こうなるのかしら」
指が、肩甲骨のあたりを、すうっとなぞっていく。
「お母様!?」
「王妃様!?」
ソフィアとメイベルの声が、湯殿の天井に跳ね返った。
フェイの頭の中は、真っ白だった。熊の前に飛び降りたときも、炎を手のひらで受けたときも、こんなふうにはならなかった。心臓が、喉のすぐ下で暴れている。
「は、はわ、はわわわわ……」
このままでは、何かがまずい。何がまずいのかは分からないけれど、とにかく、まずい。
「お、おれ、先に上がります!」
フェイは、勢いよく立ち上がった。
ざばあっ、とお湯が落ちた。
立ち上がりながら、3人に頭を下げようとして、くるりと振り返っていた。
手ぬぐいは、湯船の底に沈んでいた。
湯気が、ちょうど晴れたところだった。
時が、止まった。
「「きゃああああああっ!」」
ソフィアとメイベルの悲鳴が、ぴたりと重なった。2人とも、両手で顔を覆っている。
「あらあら」
王妃だけが、そう言って、ゆっくりと目をそらした。口もとが、少しだけ笑っていた。
「ご、ごめんなさいいいい!」
フェイは、湯殿から駆け出した。濡れた足が、石の床でつるりと滑る。それでも止まらずに、扉に飛びついた。
扉を閉める前に、一度だけ振り返った。
王妃は、肩を震わせて笑っていた。ソフィアは、頭のてっぺんまでお湯に沈んでいた。
メイベルだけが、顔を覆っていなかった。
口までお湯に浸かったまま、頬をぷうっとふくらませて、フェイのことをじっと見ていた。怒っているのとも、恥ずかしがっているのとも、少し違う顔だった。
フェイは、扉を閉めた。
脱衣場の冷たい空気の中で、濡れたまま、しばらく動けなかった。




