第67話 山で泣くと
「おじいちゃんだ……」
フェイは、絵に顔を近づけた。今のおじいちゃんの髪は真っ白で、こんなに長くもない。それでも、本を抱える腕の形が同じだった。山の家でも、おじいちゃんはいつも、こうやって本を抱えて歩く。
「若いころのバルタザールだ。よく似ているだろう」
後ろから、低い声がした。
振り返ると、国王オスヴァルトが立っていた。供の騎士を、廊下の向こうに待たせている。ソフィアとメイベルが、さっと頭を下げた。フェイも、慌ててそれにならった。
「陛下! お、お邪魔してます」
「うむ。今日は、空から降ってこなかったそうだな」
国王の口の端が、少しだけ上がっていた。
「その絵はな、私の父の代に描かせたものだ。バルタザールは、若いころ、何度もこの国を救ってくれた」
「何度も? どうやってですか?」
「それが分からんのだ。本人が、話したがらなくてな」
国王は、絵の前に並んで立った。
「私が子どものころの話なら、できる。8つの年の鹿狩りで、私は山で迷子になった」
霧の濃い朝だった、と国王は言った。供の者とはぐれて、気づいたら、知らない沢の前にいた。
「怖くて、声を上げて泣いた。そうしたら、藪の中から、大きな男が出てきた」
男は、泣いている王子を見下ろして、こう言ったという。
「山で泣くと、獣が寄ってくる」
フェイは、思わず声を上げていた。
「それ、おじいちゃんの口ぐせです! おれも、小さいころ、何回も言われました!」
国王の目が、少しだけ丸くなった。
「そうか。……あの男は、変わっておらんのだな」
「それから、どうなったんですか?」
「肩車をされて、狩り場まで送り届けられた。道々、ずっと叱られていたよ。迷子になったことではなく、ひとりで沢に近づいたことをな」
フェイは、肩車の高さを思い出した。おじいちゃんの肩の上からは、山の向こうの、ずっと遠くの尾根まで見えた。
あの肩に、この国の王様も乗っていた。
胸のあたりが、ぽかぽかと温かくなった。勝手に、顔がにやけてくる。
「ずいぶん嬉しそうね、フェイ」
「うん! だって、おじいちゃんの話なんて、山じゃ誰もしてくれないから」
ソフィアが、くすりと笑った。メイベルも、目を細めている。
廊下の向こうから、衣ずれの音が近づいてきた。王妃だった。
「あら、陛下。お話はすみました?」
「ちょうど終わったところだ」
「よかった。フェイさん、今夜はゆっくりしていってね。お風呂も、用意させてあるから」
王妃は、にっこりと笑った。
ソフィアの笑顔が、すっと消えた。
「……お母様。その顔は、何かたくらんでいる顔です」
「まあ、ひどい。何もたくらんでなんかいないわ」
王妃は、扇で口もとを隠した。扇の上の目だけが、とても楽しそうだった。




