第6話 客が来るぞ
帰り道の沢で、フェイは鹿を見つけた。
水を飲んでいた若い雄だった。音を立てずに背後へ回り、跳びかかって首を抱えこむ。それで終わりだった。
鹿を肩に担いで家に戻ると、日はもう西の尾根にかかっていた。
「ただいま!」
「遅かったねえ。暗くなる前にって言ったろう」
ハンナが、竈の前から振り返った。言葉ほど怒ってはいない。鍋からは豆を煮る甘い匂いがしていた。
「ごめん。ちょっと、いろいろあって」
鹿を土間に下ろすと、奥の部屋からバルタザールが出てきた。担いできた鹿を見て、白い髭の下で小さくうなずく。
「立派な雄じゃな。で、いろいろとは?」
フェイは、見てきたことをそのまま話した。
東の尾根を越えた先の谷に、人がたくさんいたこと。馬と、布の家と、金の糸の服と、風に揺れる旗。お祭りみたいだったこと。
バルタザールの眉が、ぴくりと動いた。
「それから、灰色の服の男が2人いて、檻に熊を入れてたんだ。熊のおでこに手をかざしたら、指が赤く光って、熊の目が赤くなった。そしたら熊が人のほうへ走っていって――」
「待て」
バルタザールが、静かに遮った。
「赤く光った、と言ったか?」
「うん。こう、ぼうっと」
フェイは指先をひらひらさせてみせた。
バルタザールは何も言わなかった。ただ、ハンナのほうを見た。ハンナも、鍋をかき混ぜる手を止めていた。
「……それで、お前はどうした?」
「熊にパンチした! 女の子が2人、やられそうだったから」
「……熊は、どうなった?」
「動かなくなった」
「1発でか?」
「うん」
ハンナが、ふうっと長い息を吐いた。
「それから、青い服の女の人に、どこに住んでるのって訊かれたから、この山ですって言って帰ってきた。あ、ちゃんと失礼しますって言ったよ」
フェイは胸を張った。
バルタザールは、それを聞いてしばらく天井を見上げていた。それから、ぽつりと言った。
「その女の子たちは、どんな様子じゃった?」
「顔が真っ赤だった。どこかぶつけたのかなあ」
ハンナが、鍋のほうを向いたまま肩を震わせた。笑っているのか、困っているのか、フェイには分からなかった。
「フェイ。鹿をさばいておいで。腹が減った」
「わかった!」
フェイが鹿を担いで裏へ出ていく。その足音が遠ざかってから、バルタザールは窓の外の、東の尾根を見やった。
「近いうちに、客が来るぞ」
「そうでしょうねえ」
ハンナは、鍋の火を少しだけ弱めた。




