第5話 何者だ
ソフィア・アルセリオは、少年の消えた森から目を離せずにいた。
フェイ。
口の中で、もう一度だけその名前を転がす。胸の奥が、熊に襲われたときよりもうるさく鳴っていた。
「ひ、姫様。お怪我は?」
抱きついたままのメイベルが、震える声で訊いた。
「ないわ。メイベルこそ」
「わたしも、ありません。……ありませんけど」
メイベルの顔は、まだ耳まで赤い。たぶん、自分も同じ顔をしている。
「何者だ、あれは」
背後で、国王の声がした。
国王オスヴァルトは、首の折れた熊の前に立っていた。護衛の騎士たちが、その周りで青い顔をしている。
「陛下。申し上げにくいのですが」
護衛の隊長が、兜を脇に抱えて進み出た。
「あの少年が降ってくるまで、誰ひとり気配を感じ取れませんでした。私も、部下も。オーラを読めば、森の兎の位置まで分かるはずなのですが」
「オーラが無いからだろう」
国王は熊の頭を見下ろしたまま言った。
「感じ取れるものを、何ひとつ纏っていなかった。魔力量0の人間など、私は生まれて初めて見たぞ」
「それと、陛下。熊のほうも、草地に飛び出してくるまで誰ひとり気づけませんでした」
「……熊がか」
国王の目が、すっと細くなった。
「認識阻害の魔法だな。誰かが、あれを隠して連れてきた」
ソフィアは、あの少年の姿を思い返していた。
人も獣も、生き物はみな、身体のまわりにうっすらと魔力のオーラを纏っている。強い者ほど濃く、大きく。生まれたばかりの赤子でさえ、淡く光っている。
あの少年には、それが無かった。
何も纏わない、ただの人の形。それなのに、騎士の炎を3発受けても倒れなかった熊を、拳ひとつで沈めた。
「しかも、陛下に一礼もせずに帰りおった」
年かさの貴族が、苦い顔でつぶやいた。
「王家の狩猟会で、王族の御前を、おじいちゃんが待っているからと……不敬にもほどがある」
「知らなかったのだろう」
国王が、ふっと笑った。
「あの顔は、私が誰かも知らん顔だった。面白い」
それから国王は、背後を振り返った。
「イザベラ。お前はどう見た?」
返事がない。
ソフィアも振り返った。
王妃イザベラは、少年の消えた森をじっと見つめていた。頬に手を当てて。
「……お母様?」
「えっ。あら、なあに?」
王妃は、はっとしたように手を下ろした。その頬が、うっすら赤い。
ソフィアとメイベルは、顔を見合わせた。
「この山に住んでいると言っていたな」
国王が尾根を見上げる。
「ならば、バルタザール殿が知っておられるはずだ。この山で、あの方の知らぬことはない」




