第55話 夜の演習場
夜の演習場は、昼とは別の場所みたいだった。
月が雲に隠れていて、足もとが見えない。風が吹くたび、客席の木の椅子がきいきい鳴った。新しく据え直された4つの魔石だけが、隅でぼんやり青く光っている。
フェイは、客席のいちばん上に腰を下ろしていた。
会長は「生徒会の者を交代で付ける」と言ったが、フェイは断った。誰かが一緒だと、そっちのオーラで犯人に気づかれてしまう。オーラの無いフェイなら、1人で座っていても、ただの暗がりと変わらない。
夜が更けていく。冷えた石の手すりに頬をのせて、フェイはあくびを噛み殺した。山で鹿を待つときと同じだ。動かずに、音を聞く。
鐘が、遠くで2つ鳴った。
足音がした。
とても静かな足音だった。靴の底を、地面にこすらないように歩いている。演習場の入り口から、細長い影が1つ、すべるように入ってきた。
影は、まっすぐ北の隅の魔石へ向かった。台座の前で膝をついて、何かを取り出す。小さな瓶の口が、魔石の青い光をちらりと照り返した。
ふわりと、匂いが流れてきた。
昼間の、鼻を刺す匂い。それと一緒に、もう1つ。甘いような、すっとするような、果物の皮みたいな匂いだった。どこかで嗅いだことがある気がしたけれど、思い出せない。
フェイは、手すりを越えた。
客席から客席へ、音を立てずに飛び移る。影は、こちらに気づかない。目に魔力を込めて見張っていても、魔力の無いフェイは、その目に映らない。
影のすぐ後ろに、フェイは降りた。
「ねえ、何してるの?」
影の肩が、びくっと跳ねた。
振り向いた顔は、黒い布で覆われていた。目だけが見えた。その目が、フェイを見て、大きく見開かれる。目の前に人がいるのに、オーラが無い。それが信じられないという目だった。
影の手から、瓶が落ちた。
フェイは、地面に落ちる前に、それをつかんだ。中で、どろりとした液がゆれている。鼻を刺す匂いの元は、これだった。
「これ、石にかけようとしてたの?」
答えは無かった。
影は、身をひるがえして走り出した。速い。年寄りの走り方ではなかったが、若者の走り方でもなかった。背筋がまっすぐなまま、飛ぶように遠ざかっていく。
「あ、待って!」
フェイは、瓶を握ったまま、影を追って駆け出した。




