第50話 おしっこ行ってくる!
3人の手が、ぴたりと止まった。
声の主は、拾ったボタンをフェイの手のひらに載せた。それから、片手を胸に当てて、舞台の上の役者みたいに、軽く頭を下げる。
「私の名前はオリヴィエ・ヴァイスベルク。この学校で生徒会長をしている」
顔を上げると、にっこり笑った。
「君が何人ものお嬢様をたぶらかしていると耳にしてね。ちょっと興味が湧いたんだ」
「たぶらかす?」
フェイは、まばたきをした。聞いたことのない言葉だった。
ソフィアが、襟をぱっと放した。
「か、会長! 私はたらし込まれてなんていません!」
声が裏返っていた。顔が、首まで真っ赤だった。
リアは、襟を放さなかった。そのかわりに、すっとフェイに身を寄せてくる。夜の色の髪が、フェイの頬をかすめた。
「それって私も入ってるんだよね? そういうことなら大歓迎だよ?」
耳たぶに、温かくて濡れたものが触れた。
「ヒャう!」
フェイの肩が跳ねた。頭のてっぺんから足の先まで、何かが走り抜けていった。森で浴びたどの斬撃より、ずっと効いた。
「ちょっとリア!」
「リア様!」
「おぉ……」
会長が、感心したように声を漏らした。その横で、メイベルが、深いため息をついた。
会長は、ソフィアの赤い顔と、リアの涼しい顔と、メイベルのため息を順番に見た。それから、ゆっくりと腕を組んだ。
「この3人をたらし込むとは、君は相当なものなのだな」
かつ、と靴音がひとつ。会長は、リアとは反対の側に回りこんでいた。
「私も、私より強い強者となれば……」
ふわりと、石けんのような匂いがした。耳もとで、声がうんと低くなる。
「君に夢中になってしまうかもしれないな?」
さっきと反対の耳に、また、温かいものが触れた。
「か、会長!?」
「会長も大胆ですねえ」
「ヒュルぅ!」
今度は、膝が抜けかけた。ソフィアとメイベルの悲鳴と、リアののんびりした声と、自分の変な声が、廊下の天井でまとめて響いた。
両方の耳が、燃えるように熱い。そのくせ、背中はぞくぞくする。どうしたらいいのか、体のほうがさっぱり分かっていなかった。
フェイは、ボタンを握りしめて、1歩下がった。
「ちょ、ちょっとおしっこ行ってくる!」
返事も待たずに、駆け出した。
廊下の角を曲がるとき、うしろで会長の笑い声が、楽しそうに弾んでいた。




