第33話 王女のペット
「消えた、だと!?」
バルドリック子爵の怒鳴り声が、地下の石壁に跳ね返った。
空っぽの牢の前に、屋敷の者たちが青い顔で並んでいた。松明の火が、ひん曲がった鉄格子の影を、壁に大きく揺らしている。
「牢番は何をしていた!」
「そ、それが、気を失っておりまして……今、ようやく目を覚ましたところで」
床に座りこんだ牢番が、首の後ろをさすりながら、がたがたと震えていた。
「何も、何も見ておりません。気配も、足音も……気がついたら、ここに寝ておりました」
「塀の上の者は!」
「1人だけ、楡の木のあたりで、刺客のオーラが一瞬動いたのを感じたと……ですが、すぐに消えたそうで。誰かが連れ出したのなら、その者のオーラも見えたはずなのですが、それが、どこにも」
子爵は、潰れた錠前を拾い上げた。
鉄の塊が、握り潰されたように、ぐしゃりと歪んでいる。指の跡まで残っていた。
「魔法の跡は?」
「ございません。火も、風も、土も、何ひとつ。鉄格子も、ただ手で広げたとしか……」
手で。
子爵の手から、錠前が落ちた。
石の床に転がる鉄の音を聞きながら、子爵は、息子の話を思い出していた。
決闘に負けて屋敷に担ぎこまれた夜、グスタフはうわごとのように繰り返していた。紅蓮爆砕が効かなかった。くしゃみで、壁まで飛ばされた。あいつには、オーラが無い。
オーラの無い、魔力無しの小僧。
見張りの目に映らず、魔法も使わずに鉄を握り潰す者など、この王都に1人しかいない。
「……あの小僧だ」
子爵の顔から、血の気が引いていった。
◇
「グスタフを負かした、平民上がりの小僧だと?」
まだ帰り支度の途中だったヴァルモント公爵は、外套に袖を通しかけた手を止めた。
「は、はい。オーラが無く、見張りの目に映らず、素手で鉄を……あれは、間違いなく」
「魔力量0の、騎士爵の小僧か」
公爵は、ゆっくりと外套を椅子の背に戻した。
狩猟会の熊を、拳ひとつで沈めた少年。王女の命の恩人。王妃が自ら山まで出向いて連れてきたという、魔力の無い小僧。王都では、口さがない者たちがこう呼んでいる。
「噂の、王女のペットだと?」
公爵の指が、肘掛けを強くつかんだ。
小僧が刺客を担いでどこへ行くか。考えるまでもなかった。
「……まずい」




