第32話 間違いなく君だ
屋敷の裏手に、地下へ下りる石の階段があった。
階段の下に、鉄の扉。その前で、牢番の男が1人、壁にもたれて欠伸をしていた。
牢番も、目に魔力を込めているらしかった。けれど、その目はフェイの立っている階段の上を、何度も素通りしていく。
フェイは、足音を立てずに階段を下りた。
牢番の背後に回る。山で、鹿の首を抱えこむときと同じだ。腕を回して、少しだけ力を込める。
「……っ」
牢番は声も出さずに、ふにゃりと崩れた。フェイはその身体を受け止めて、そっと床に寝かせた。息は、ちゃんとしている。
鉄の扉には、大きな錠前がぶら下がっていた。
フェイは錠前を手のひらで包んで、握った。
ぐしゃり、と小さな音がして、鉄の塊が粘土みたいに潰れた。潰れた錠前を扉から外して、音がしないように床に置く。
扉を押すと、湿った黴の匂いが、顔にまとわりついてきた。
牢は、奥に1つだけだった。
松明の明かりが届くか届かないかの暗がりに、男が1人、壁に鎖で繋がれていた。手首にも、足首にも、太い鉄の輪。床に座りこんで、うなだれている。
足音に気づいたのか、男が顔を上げた。
ずんぐりした身体。右の頬に、古い傷。
フェイの顔が、ぱっと明るくなった。
「あぁ、間違いなく君だ」
男の目が、見開かれた。
フェイの顔を見て、それからフェイのまわりを見て、また顔を見る。目の奥が、うっすらと光っていた。
「な、なんだ、お前……」
かすれた声だった。
「気配が、無い。オーラが、どこにも……お前、人間か?」
「うん。人間だよ」
フェイは、牢の格子に手をかけた。両手で、左右に広げる。鉄の棒が、飴みたいにぐにゃりと曲がった。
男の顔から、血の気が引いた。
「ま、待て。お前、まさか……あの日、熊を……」
「覚えててくれたんだ」
フェイは、男の前にしゃがみこんだ。
「あのね、君がいないと、困る人がいるんだ。だから、一緒に来てもらうね」
「い、嫌だ、俺は……」
男が、繋がれた手を持ち上げようとした。指先が、あの日と同じように赤く光りかける。
その前に、フェイの手刀が、男の首の後ろにとん、と落ちた。
男は白目をむいて、ぐったりと動かなくなった。
フェイは、男の手首と足首の鉄の輪を、ひとつずつ指でつまんで外した。それから、男をひょいと肩に担ぎ上げる。鹿より、少し重いくらいだった。
階段を上がると、夜風が頬に冷たかった。
フェイは、男を担いだまま、楡の木の枝へ跳んだ。
塀の上の見張りが1人、はっとこちらを振り向いた。
けれど、そのときにはもう、フェイは3つ先の屋根の上にいた。




