第31話 ヴァルモント閣下
フェイは壁の石の継ぎ目に指をかけ、2階の窓の下まで這い上がった。
窓は、少しだけ開いていた。暖炉の薪の爆ぜる音と、葡萄酒の甘い匂いが漏れてくる。
部屋の中に、男が2人いた。
1人は、太った中年の男だった。絨毯の上に膝をつき、額に汗を浮かべている。顎の形が、どことなくグスタフに似ていた。
もう1人は、暖炉の前の椅子に座っていた。背が高く、白髪まじりの髪を後ろへ撫でつけている。軍服のような、詰め襟の黒い上着。声を荒げているのは、こちらだった。
「お前が刺客と会っているところを、ノクターン家の犬に見られたせいで」
椅子の男は、手にした杯を卓に叩きつけた。
「強引な手を取る羽目になったではないか!」
「も、申し訳ございません、ヴァルモント閣下……!」
フェイは、息を止めた。
ヴァルモント。レオンハルトという人の家。王家の剣。
あれが、その家の、いちばん偉い人なのだ。
「目撃は、こちらにとっても思いがけぬことだった」
ヴァルモント公爵は、苛立ったように指で肘掛けを叩いた。
「ノクターンの娘が嗅ぎ回っているのは分かっていた。放っておけば、いずれこの屋敷にたどり着く。だから先に、1人を捕まえさせた。ノクターン家の命令だと言わせてな。おかげで、今、王都じゅうがノクターンを疑っている」
「は、はい。閣下の、ご慧眼で……」
「世辞はいい」
公爵の声が、低くなった。
「残った1人は、どうした?」
「は。地下の牢に、繋いでございます」
「今夜のうちに、始末しろ」
太った男の肩が、びくりと跳ねた。
「こ、今夜、でございますか?」
「あれが生きている限り、捕まえさせた男の自白は嘘だと、いつでも証明できてしまう。世間がノクターンを悪と決めた今のうちに、消しておけ。死体は残すな」
「か、かしこまりました……!」
フェイは、窓の下で、壁の石をぎゅっと握った。
石の角が、指の形にへこんだ。
ヴィクトリアの言ったとおりだった。もう1人は、この屋敷にいる。地下の牢に。それも、今夜のうちに殺されようとしている。
殺されてしまったら、ヴィクトリアのことを、誰も助けられなくなる。
フェイは、そっと壁を下りた。
地面に降りて、耳を澄ます。屋敷の裏手のほうから、かすかに鎖の鳴る音がした。じゃら、と、重たいものが石の床を擦る音。
それから、ひどく湿った、黴の匂い。
山で、熊の冬眠していた洞穴に入ったときと、同じ匂いだった。
「……あっちだ」




