第131話 黒い杭
学院の休みの日に、フェイとジルは、大聖堂へ行った。
門の前で、灰色の上着のオリヴィエが、手を振っていた。
「やあ! 書記官というのは、思ったより字を書くものだね!」
オリヴィエの右手の中指に、インクの染みが、くっきりついていた。
大聖堂の中は、外から見たより、ずっと広かった。厚い壁に囲まれて、ひんやりとしている。小さな窓から差しこむ光の中で、埃が、ゆっくり回っていた。
奥の小部屋で、シエルが待っていた。帝国の聖職者の、灰色の服を着ている。白いヴェールだけは、王国のものだった。
「ジル! フェイ! オリヴィエも」
シエルは、3人の顔を、順番に見た。それから、急に声を落とした。
「……お話があります」
シエルは、小部屋の扉を閉めた。
「大聖堂に、お年を召した司祭様がいらっしゃるのです。その司祭様が、帝国の東の端からお祈りに来た商人の方に聞いたお話だそうで」
「東の端って、霞の国の?」
「はい。その商人の方は、霞の国が落ちた夜の少し前に、国境の近くを通ったそうです」
シエルは、膝の上で、両手を握った。
「霞の国を遠巻きにぐるりと囲むように、地面に黒い杭が何本も打ってあったそうです。夜のうちに誰かが打ったみたいに、急に現れたのだとか」
「杭?」
「はい。商人の方は、帝国の兵が陣地の目印でも打ったのだろうと思ったそうです。……でも、その夜に国が落ちて、魔法が消えたという噂が流れて」
オリヴィエが、腕を組んだ。
「地面に、ぐるりと、杭か」
オリヴィエの目が、細くなった。芝居がかった笑顔は、どこにも無かった。
「大きな魔法の陣を、地面に描くときに、目印の杭を打つことはある。……ただ、国ひとつを囲むほどの陣など、聞いたことがない」
「オリヴィエでも?」
「私でも、だよ。王国魔法騎士団の書庫にも、そんな記録は無いはずだ」
ジルが、剣の柄に、手を添えた。
「その杭が、まだ、どこかに残っていれば……」
「霞の国の跡は、今は、帝国の兵が固めているそうだ。私たちが、近づける場所じゃない」
オリヴィエは、そこで、ふっと息を抜いた。
「なに、最初の1週間で、杭の話が手に入ったんだ。上出来さ。シエル、お手柄だよ」
「わ、わたくしは、お話を、聞いただけで……」
「シエル、すごいね!!」
フェイは、椅子から立ち上がって、そのまま、シエルを両腕で抱きしめた。
「ひゃっ」
白いヴェールが、ずれた。シエルの体が、フェイの腕の中で、板のように固まった。
「フェ、フェイさ……フェイ! ここは、だ、大聖堂で、その、神様が……」
ヴェールの下で、耳から首すじまで、真っ赤になっていた。
「はっはっは! いいじゃないか、シエル。お手柄の褒美だよ」
オリヴィエが、膝を叩いて笑った。ジルは、剣の柄から手を離して、両手で顔を覆っていた。指の間から、しっかり見ていた。
大聖堂を出るころには、日が傾いていた。
帝都の通りは、夕方の鍛冶屋の音でいっぱいだった。焼けた鉄が水に入る、じゅっという音が、あちこちでしていた。
広場の手前で、フェイは、足を止めた。
「フェ……フェイ?」
フェイは、振り返った。通りの向こう、家と家のあいだの暗がり。それから、屋根の上。
誰も、いなかった。
「……見られてる」
オリヴィエが、すぐに、目に魔力を込めた。その瞳の奥が、うっすらと光った。通りを端から端まで、それから屋根の上まで、ゆっくりと見渡す。
「誰もいないよ、フェイ。オーラは、ひとつも見えない」
「うん。でも、見てる」
フェイは、暗がりから目を離さなかった。
「山で、狼に見られてるときと同じ感じがする」
オリヴィエとジルが、顔を見合わせた。
鍛冶屋の槌の音が、ひとつ、止んだ。
暗がりの奥で、何かが、音もなく動いた気がした。




