第123話 見送り
その晩、屋敷の食堂の長い机には、10人分の皿が並んだ。フェイは、陛下の部屋で聞いたことを、みんなに話した。
「帝国に、潜入捜査……」
リリィが、スプーンを持ったまま、固まった。
「どのくらいのあいだ、行かれるのですか? フェイ兄様」
「分かんない。探し物が見つかるまでかな」
「表向きは剣の留学なのですよね。……フェイ兄様、剣をお持ちでしたっけ?」
「持ってない」
ソフィアが、額に手を当てた。ジルが、むせた。
リアが、スプーンを置いた。
「あなた、嘘がとびきり下手なんだから。帝国では、余計なことを口にしないこと」
「うん!」
「……返事だけは、いいのよね」
「霞の国のことは、わたしが調べるわ。帝国の外から聞こえてくる話なら、王都にいるほうが集めやすいもの。分かったら、紫の石で知らせる」
「ありがとう、リア」
「わたしは、一緒に行けないものね」
ソフィアが、小さな声で言った。王女が帝国へ行けば、それだけで、国と国の話になってしまう。メイベルも、ソフィアのそばに残ることになっていた。
机の向こうで、クララが、フォークを握りしめていた。
「……わ、私には、何の相談もなかったじゃない」
「ごめん。今日、決まったから」
クララは、口を開けて、閉じた。足もとの絨毯に、うっすらと、白い霜が浮いていた。
「……向こうで、ちゃんとご飯を食べなさいよ。帝国の料理は塩が濃いって、ギュンターが言ってたわ。……休みの日に、たまには、顔くらい見に行ってあげなくもないわ」
霜が、少しずつ、絨毯の毛の先から消えていった。
ノエルは、紅茶のカップを置いて、眼鏡を押し上げた。
「帝立剣武学院か。魔法の授業は、ひとつも無い。向こうでは、君は、剣も持たない魔法の国の伯爵だ。……また、笑われるかもしれない」
「慣れてるよ」
「慣れなくていいんだ、そんなこと」
ノエルは、カップのふちを、指でなぞった。
「留学生の様子を見るという名目なら、教師が視察に行ける。学期に1度か2度だが」
「ノエルも来てくれるの!?」
「付き添いだからな」
ノエルは、カップに目を落としたまま、そう言った。
食事が終わると、メイベルが、大きな鞄を、フェイの部屋まで運んできた。
「フェイ。旅のお支度を整えておきました」
中は、小さな布の袋で、きっちりと仕切られていた。袋のひとつひとつに、メイベルの字で札が縫いつけてある。下着、7日分。靴下、7日分、左右を結んであります。ほつれたときの、針と糸。
いちばん底の袋だけ、札が無かった。持ち上げると、ほんのりと、甘い匂いがした。
「それは、帝国に着いてから開けてください」
その夜、フェイが寝台に入ろうとしたとき、扉が、こん、こん、と2回鳴った。
扉の向こうに、寝間着のソフィアとメイベルが、並んで立っていた。
冬から、婚約者たちは、日替わりで1人ずつ、フェイの部屋で眠ることになっている。誰がどの夜かは、リアが表を作って、台所の壁に貼った。
今夜の欄には、名前が2つ書いてあった。2人とも、帝国へは行かない。だから今夜は、2人で一緒に来た。
「……入っても、いい?」
「うん。今日も、2人とも、かわいいね」
ソフィアの顔が、ぱっと赤くなった。メイベルは、うつむいて、寝間着の裾を指でつまんだ。
「そ、そういうことを、さらっと言わないの」
2人は、寝台の右と左から、フェイの胸に、もぐりこんできた。
ソフィアが、フェイの左の手首を取った。銀の鎖に下がった、雫形の金色の石を、指先でつまむ。
「毎晩、これで声を聞かせてね。同じ屋根の下にいないのは、冬からこっち、初めてなんだから。……何もなかった日は、なんにもなかったって言うのよ」
「うん」
「しばらく会えないの、寂しいな」
ソフィアの声が、フェイの胸に、くぐもって聞こえた。
「早く、帰ってきてくださいね」
反対側で、メイベルが言った。小さな手が、フェイの寝間着の胸のあたりを、きゅっと握っていた。
「うん。探し物を見つけたら、すぐ帰る」
フェイは、2人の頭を、両腕で抱えた。ソフィアの髪からは花の匂いが、メイベルの髪からは、焼き菓子の匂いがした。
少しすると、右と左から、寝息が聞こえてきた。




