第115話 フェイ兄様
ヴァルモント家の屋敷は、がらんとしていた。
家具には、白い布がかけられている。私兵も、使用人も、もういない。広い玄関に、フェイの足音だけが響いた。
階段の上の部屋から、物音がした。
扉を開けると、リリアーナが、小さな旅行鞄に、服を詰めていた。鳶色の長い髪は、今日もきちんと編んで留めてある。出陣の朝、城門の人垣の端で、黒い馬を見送っていた子だった。
リリアーナは、フェイを見て、ぱっと立ち上がった。
「あ……伯爵様」
「フェイでいいよ。何してるの?」
「出ていく支度を。このお屋敷は、もう伯爵様のものですから」
リリアーナは、鞄の口を閉じた。小さな鞄だった。14年分の荷物が、それ1つに収まっていた。
「行くところ、あるの?」
「修道院に入れていただこうと思っています。父と兄が南の島で罪を償うあいだ……わたしも、何かしていないと」
リリアーナは、笑おうとした。うまく笑えていなかった。
「殿下との婚約も無くなりました。当然です。罪人の家の娘が、王家に嫁げるはずがありません」
フェイは、部屋の中を見回した。
窓ぎわに、机があった。机の上に、色の褪せた紙が1枚、丁寧に畳んで置いてある。号外だった。何度も開いたり畳んだりしたのか、折り目が擦り切れかけていた。
陛下の部屋で言われたことを、思い出した。
――あの娘には、もう帰る家が無い。そなたの家で、引き取ってはくれぬか。
「あのさ」
フェイは、頭をかいた。
「おれ、この家もらったんだけど。広すぎて、1人じゃ住めないんだ」
「……はい?」
「おれ、ずっと山で、おじいちゃんとおばあちゃんと3人で住んでたから。ご飯も3人で食べてた。1人で食べるのは、あんまり好きじゃなくて」
リリアーナは、鞄の取っ手を握ったまま、フェイを見ていた。
「だから、ここにいてくれるとうれしい。陛下にも頼まれたし」
「で、でも、わたしは、ヴァルモントの娘で……」
「うん。だから、妹になってよ」
リリアーナの目が、大きく開いた。
「おれ、兄弟いないから、ずっと妹がほしかったんだ」
部屋が、しんとした。
リリアーナの手から、鞄が落ちた。床に当たって、ぱたん、と倒れた。
「……わたしが、届けたんです」
声が、震えていた。
「父を。兄を。わたしが、あの手紙を届けたから、2人とも……」
「うん」
「それなのに、わたしだけ、ここにいて、いいんですか?」
フェイは、少し考えた。
「いいよ。リリアーナさんが届けてくれたから、決着がついたんだ」
リリアーナが、両手で顔を覆った。
肩が、細かく震えはじめた。指のあいだから、ぽたぽたと、涙が落ちた。
フェイは、どうしていいか分からなかった。おばあちゃんが、泣いている子どもにしていたことを思い出す。そっと手を伸ばして、鳶色の頭を、ぽん、ぽんと撫でた。
しばらくして、リリアーナが、顔を上げた。目も鼻も、真っ赤だった。
「……リリィ、と呼んでください」
「リリィ?」
「兄が……家族が、そう呼んでいました」
それから、リリアーナは、少しだけ迷うように目を伏せた。
「……よろしくお願いします。フェイ兄様」
窓の外で、夕方の鐘が鳴りはじめた。
フェイは、床に倒れた鞄を拾い上げた。中身を出すのを、手伝うことにした。




