第112話 縫いこんだ手紙
リリアーナが城の門をくぐったのは、出陣から5日目の朝だった。
手紙は、外套の内側に縫いつけてあった。屋敷の侍女に見つからないように、夜のうちに、自分で縫った。針を持つ手が震えて、指を3回刺した。
門番に名乗ると、すぐに奥へ通された。ヴァルモント家の娘が、1人で城に来た。それだけで、何かがおかしいと分かったのだろう。
通されたのは、小さな応接の間だった。
待っていたのは、3人の少女だった。
金色の髪の、王女ソフィア。その隣に、侍女の服を着た栗色の髪の少女、メイベル。窓ぎわには、日傘を閉じて立つ、紫の瞳の少女がいた。ノクターン家の、ヴィクトリア。
ノクターン家は、ヴァルモント家の政敵だ。小さいころから、そう聞かされて育った。
リリアーナは、外套の裾を握りしめた。
「リリアーナさん」
王女が、椅子から立ち上がった。
「お兄様の……アルベルトの許嫁の方ね。どうなさったの? 顔が真っ青だわ」
殿下の名前を聞いて、喉の奥が、きゅっと縮んだ。
リリアーナは、外套の縫い目に指をかけた。糸を引きちぎる。中から、くしゃくしゃになった手紙を取り出して、両手で差し出した。
「父の、書斎にありました」
声が、裏返った。
「陛下を、討つと。そのあと、殿下を、魔導国に従う王にすると。……父が、摂政になると」
部屋が、しんとした。
ヴィクトリアが、窓ぎわから歩いてきた。手紙を受け取って、封蝋を見る。深い青に、銀の星。それから、いちばん下の署名を。
「……ヴァルモント公爵の直筆ね」
ヴィクトリアの声は、静かだった。
「署名入りの約定よ。これがあれば、どんな言い逃れもできないわ」
リリアーナは、うつむいた。
――わたしは今、お父様とお兄様を、売った。
膝が、がくがくと震えた。床に崩れそうになったところを、横から誰かの腕が支えた。メイベルだった。
「お座りください。お茶をお持ちします」
椅子に座らされた。温かいカップを、手に握らされた。湯気から、蜂蜜の匂いがした。
「どうして持ってきてくれたの?」
王女が、リリアーナの前にしゃがんだ。
「あなたの家のことなのに」
リリアーナは、カップの中を見つめた。
「……小さいころ、お城の庭で、殿下が手を引いてくださったんです。わたしが噴水の縁を歩きたいって言ったら、落ちないように、端から端までずっと」
カップの湯気が、揺れた。
「あの方に、誰かの言うとおりに頷くだけの王様になってほしくなかった。……それだけです」
王女は、しばらく何も言わなかった。それから、リリアーナの手を、カップごと、両手で包んだ。
「ありがとう。……このことは、お兄様にも、わたしからちゃんと伝えるわ」
ヴィクトリアが、手紙を畳んで、懐にしまった。
「陛下のところへ行くわ。ソフィア、あなたも来て」
「ええ」
その夜、王女の左の手首で、金の石が震えた。
『ソフィ。勝ったよ』
隣の部屋で毛布にくるまっていたリリアーナにも、その声は、かすかに聞こえた。
『あと、魔導国の本陣で寝てたから、ヴァルモントの公爵さんとレオンハルトさんを捕まえた』
リリアーナは、毛布の中で、膝を抱えた。
――お父様が、捕まった。
悲しいのか、ほっとしたのか、自分でも分からなかった。ただ、涙だけが、止まらなかった。




