第103話 15秒
フェイは、列を飛び出した。
膝をついた兵たちのあいだを抜けて、後ろの陣へ駆ける。1歩で、5人分の列を跳び越えた。
辺境伯は、陣の真ん中で、剣を抜いたまま空をにらんでいた。その横で、ブリジット先輩が、その腕をつかんでいる。
「辺境伯様!」
「フェイ殿!? なぜ下がってきた!」
「おれが、あれを壊して、かけらを魔導国のほうへ飛ばします」
辺境伯の口が、半分開いたまま止まった。
「壊したかけらが、こっちに落ちてくるかもしれないので、みんなを後ろへ逃がしてください。それと」
フェイは、川の向こうを指さした。
「あっちで、誰をやっつければいいですか? いちばん偉い人を教えてください」
辺境伯は、フェイを見た。それから、空を見た。巨大な隕石は、もう、空の4分の1を埋めていた。
信じられる話では、なかった。
けれど辺境伯は、この少年と、剣を交えたことがあった。夏の朝の中庭で、自分の大剣を、指2本で挟んで止められたことが。
「……総大将は、白い髭の老人だ」
辺境伯の声が、陣じゅうに響くほど大きくなった。
「金の角の兜をかぶっている。本陣は川の向こうの丘で、黒い天幕のうちいちばん大きいやつだ。周りを魔法使いが固めている」
「白い髭、金の角、黒い天幕」
「そうだ。……任せたぞ、フェイ殿!」
辺境伯は、振り返って吠えた。
「全軍、退け! 軍議のとおりだ。ヴァイスベルクは西の道、グラウベルクは東の橋! 救護の天幕は、南の森へ運べ! 川岸の者も、走れ! 前を見るな、走れ!」
陣が、一斉に動きだした。救護の天幕を積んだ荷車が、南の森のほうへ走っていく。その横を、シエルが、白い服の裾をからげて走っていた。
「フェイさん!」
ブリジット先輩が、駆け寄ってきた。剣の柄を握った指の節が、白くなっている。
「わ、わたしも……」
「先輩は、シエルと、けが人のみんなをお願いします」
先輩は、唇を噛んだ。それから、まっすぐにうなずいた。どもりは、もう無かった。
「――承知した。武運を」
フェイは、川岸へ戻った。
兵たちが、背中を見せて逃げていく。その流れに逆らって、いちばん前まで歩いていく。ノエル先生だけが、まだそこに立っていた。
「先生も、逃げてください」
「お前は?」
「おれは、あれを殴ってきます」
先生は、何か言いかけた。眼鏡の奥の目が、フェイと、空の隕石とを、一度ずつ見た。
「……待ってるからな」
先生は、背を向けて走った。
川岸に、フェイが1人だけ残った。
熱い。髪の先が、ちりちりと縮れていく。空いっぱいの隕石の腹に、ひびのような筋が、何本も走っているのが見えた。ごうごうという音が、耳の奥まで押しこまれてくる。
あと、15を数えるくらい。
フェイは、膝を深く曲げた。
山で、いちばん高い樅のてっぺんへ跳んだときと、同じだった。違うのは、目の前にあるのが、樅の木ではないということだけだ。
地面を、蹴った。
足もとの川岸が、どん、と沈んだ。土が、輪になって吹き飛ぶ。
体が、空へ昇っていく。風が、頬の肉を後ろへ引っぱった。霧の残りを突き抜けて、雲の高さを越えて、燃える隕石の腹が、目の前いっぱいに迫ってきた。
フェイは、体をひねった。
川の向こう側から、殴る。かけらが、魔導国のほうへ飛ぶように。
右の拳を、腰の横に引いた。
「――せいっ!」
拳が、隕石の腹にめりこんだ。




