第102話 空の岩
夜明けの川岸は、霧が白かった。
フェイは、王国兵の列のいちばん前に立っていた。右にも左にも、槍を握った兵たちが、川に沿ってずらりと並んでいる。誰も、口をきかなかった。槍の柄を握りなおす音と、浅い息だけが聞こえた。
すぐ後ろには、ノエル先生がいた。
「先生も、前なんですか?」
「付き添いだと言っただろう」
霧が、少しずつ薄くなっていく。
川の向こうの岸に、魔導国の軍が見えてきた。黒い鎧の兵が、地平まで埋めている。その手前に、長い衣の魔法使いたちが、何列にも並んでいた。何百人いるのか、数えきれない。
ふと、フェイは後ろを振り返った。
丘の上に、ヴァルモント家の剣の旗が立っていたはずだった。
旗は、無かった。私兵たちの姿も、公爵の黒い馬も、レオンハルトも。丘の上には、踏み荒らされた草だけが残っていた。
「先生、ヴァルモントの人たちが……」
「ああ。いつ消えた」
先生の声が、低くなった。
そのとき、川の向こうで、魔法使いたちが、一斉に両手を空へ上げた。
何百もの声が、1つに重なった。
低い唸りのような詠唱が、霧を震わせる。魔法使いたちの頭の上に、光の陣が浮かんだ。1つ、2つ、10、100。数えきれない陣が重なりあって、大きな1つの輪になり、空へ昇っていく。
ずっと高いところで、輪が、赤く光った。
雲が、裂けた。
その向こうから、何かが落ちてきた。
最初は、星だと思った。昼間なのに、白く燃えている。それが、見ているうちに、どんどん大きくなっていく。燃える岩だった。館よりも、街の教会よりも大きい。
巨大な隕石だった。
フェイは、そんなものを見たことがなかった。川岸に並んだ誰もが、そうだった。
「……隕石だ」
ノエル先生が、かすれた声で言った。
「古い書物の絵でしか見たことがない。それを……魔法で、呼んだのか」
川岸の列が、ざわりと揺れた。
「……嘘だろ」
誰かが、つぶやいた。槍が1本、地面に落ちた。
「下がれ! 皆、下が……!」
叫び声は、途中で消えた。どこへ下がればいいのか、誰にも分からなかった。あの大きさの隕石が落ちれば、川岸も、その後ろの陣も、辺境伯の館も、何も残らない。
後ろの陣から、光が飛んだ。
会長の光の槍だった。続いて、クララ先輩の氷の柱が、空へ向かって伸びていく。ノエル先生も、フェイの後ろで両手を上げて、短く詠唱した。3つの魔法が、隕石の腹に、まともに当たった。
隕石は、揺れもしなかった。
光の槍は、熱の中で溶けて消えた。氷の柱は、届く前に湯気になった。
ノエル先生の手が、ゆっくりと下りた。
「……駄目だ。勢いも落とせない」
列のあちこちで、兵が膝をついていた。祈りの言葉をつぶやく者。故郷の名前を呼ぶ者。目を閉じて、空を見上げたまま動かない者。
空が、赤くなってきた。熱い風が、上から吹きつけてくる。焦げた石の匂いがした。
フェイは、空を見上げていた。
大きい。熊よりも、山の大岩よりも、ずっと大きい。
けれど、岩だった。




