↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
21/21

最終話 満ちる夜

暑さや寒さは、数で量ることができる。

けれど、人の心のぬくもりは――。

この夏、水絵はひとつの“温度”を知ることになる。


「若旦那の縁談」最終話です。


 そう言うと、源内はぽんっと水絵の手の中に何かを落とした。

 それは木札で、大きさや形は神社の祈祷札に似ている。けれど、祈祷札と違い、中央に透明な管が張り付いていた。その両脇には、目盛りと見慣れない文字。


「ええと……これが、『たるもめいとる』」


 以前、鏡之介が「タルモメイトルと一緒に厄介ごとも持ち込みそうだ」と言っていたので、よく憶えている。


「これは、異国の文字ですか?」


 目盛りの脇の文字を指すと、源内ではなく、鏡之介が答えた。


「おそらく、蘭語だろう」


 真ん中の管にそっと触れる。硬くて、少し冷たく感じる。


「これは……びいどろの管ですか?」


 水絵が訊くと、源内が、


「その通り。下の方の赤い玉、触ってみな」


 と言う。そっと触れると、管の中の赤い筋が、すーっと伸びた。


「え!?」


 驚いていると、源内が楽しそうにケラケラと笑った。

 反対に、鏡之介は渋い顔をしている。


「水絵の熱で、暑さが変わったんだ。赤い筋は、暑ければ長くなり、寒ければ縮む。タルモメイトルは、暑さや寒さが数で分かる道具だ」


 水絵が、タルモメイトルをじっと見つめていると、鏡之介が咳払いをひとつした。


「こんな夕刻に持ってきても、寺子はいないですよ」


「ああ、それは水絵にやるよ。寺子屋の柱にでも下げておいたらいい」


 こんなたいそうなものをもらってしまっていいのだろうか、と水絵はうろたえたが。


「では、ありがたく」


 と、鏡之介があっさりと言ってしまったので、それ以上は何も言えなかった。


「それで? 今日は、どんな厄介ごとを持ち込んだんですか?」


 本堂で向かい合うなり、鏡之介はそう尋ねた。


 すると、源内は「その言い草はないだろう」とつぶやき、それから鏡之介に真顔を向けた。


「礼を言いにきただけだ。いや、詫び……かな」


 鏡之介が眉をひそめると、源内は続けた。


「中津川だ。……この前、山を閉じた」


「……そうですか」


「坑の図面まで引いてもらったが――。鏡の言うとおりだった。どうにも利が立たねえ。だから、閉じることにした。すまなかった」


 頭を下げる源内を見る鏡之介の目には、どこか優しい光があった。いろいろ振り回されても憎みきれない、というのが本音なのだろう。


「もういいですよ。源内さんに謝られても、嬉しくない」


「それじゃあ、俺の気がすまない。鏡には、ただで図面を引かせることになっちまったからな。礼をしなくちゃならねえが、あいにくと、こちとら『貧家(ひんか)銭内(ぜにない)』だ。なんで、それ以外のもので頼む」


「礼なんて……」


 と言いかけて、鏡之介は口を閉じた。そして、しばらくなにか考えていたようだったが、やがて、にやりと笑うと、


「それなら、日本橋で、ひと働きしていただきましょうか」


 と言った。


 八月半ばの大安吉日――。


 婚礼が始まったのは、辰の刻。内輪で盃を交わした後、行列は日本橋の街の中へ。


「本日、日本橋花菱屋、浅葱屋、祝言道中にて候!」


 と、先触れが声を張る。

 それぞれの店の手代が幟や提灯を持ち、歩き始めると、何事かと人々が集まり始める。そこを見計らって、引き札が配られる。

 少し離れた場所で見ていた水絵と鏡之介のところにも、わざわざやってきて、引き札が渡される。持ってきたのは、「花菱屋」の手代だった。

 表はただの引き札。だが、裏を返すと、妙に艶っぽい文章が書かれている。


「この引き札、源内さんが考えたんですよね?」


 ちょっと頬を染めながら水絵が尋ねると、鏡之介が苦笑した。


「引き札だけじゃない。この婚礼そのものが、源内さんの仕掛けだ」


 提灯や幟の次には、酒樽を抱えた男達。

 その次には、箱や籠を抱えた、板前達。

 その次に、両家の親族。

 そして――花嫁と花婿。


 本来なら、花婿道中――迎える花嫁は、行列に加わらない。だが、今回その型を破ることを、水絵はお琴から聞いて知っていた。

 お琴は、嬉しそうに言ったのだ。


「源内先生がおっしゃったのよ。『家同士の繋がりだけじゃない、想い想われて繋がった縁なら、それを型で見せなきゃならねえ』って」


 それを鏡之介に言うと、


「まったくあの人は……」


 と、苦笑いしていた。


 日本橋の上まで来ると、行列はいったん止まる。

 再び引き札が配られ、そこに現れたのは――菊村月之丞。

 姿を見せた途端に、歓声が沸く。

 菊之丞が、橋の上で一さし舞うと、「舞鶴屋!」「待ってました!」などの掛け声に、場はいっそう賑やかになる。


 その頃あいに、振舞い酒と肴が配られ、さらなる大騒ぎに。

 あまりの賑わいに、水絵と鏡之介はその場を離れる。

 人混みを避けた場所で一息吐いていると、今度は、「浅葱屋」の手代が、酒と料理を持ってきた。

 盃には、菊の花びらが散っている。


「まあ、きれい」


 と、水絵は言ったが、酒はそれほど得意ではない。ちょっとだけ口をつけた盃を持て余していると、鏡之介がひょいっとそれを取り上げ、喉に流し込んだ。


「いい酒だな」


「振舞い酒だ。最高のものを用意しろと言ったからな」


 不意に声をかけられ、水絵は文字通り飛び上がる。


「源内先生……」


 鏡之介は気づいていたのか、驚く様子も見せず、


「少しばかり派手過ぎという気もしますが」


 と、肴を口に入れる。


「……これも、うまい」


 つぶやいた鏡之介に、源内はにやりと笑った。


「この祝言は、花婿花嫁ふたりだけのものじゃねえ。街を景気づけるための仕掛けだ。祝いは、人を呼び、金を動かす。そう仕向けたのは、鏡だろう?」


 鏡之介は、ちらりと源内を見たが、なにも言わなかった。


 祭のような婚礼が終わり、水絵が巣鴨にたどり着いたのとき、日はすっかり落ちていた。

 途中、鏡之介の家のある駒込を通ったので、そこで別れようとしたが、鏡之介は家まで送ると言ってきた。


「……春太もいねえからな」


 ひと月何もなかったとは言え、今日のような大騒ぎの日なら、悪事を働くには都合がいいかもしれない。

 水絵は素直に送られることにした。


「月が、きれいですね」


 空に浮かぶのは、まん丸の、まさに中秋の名月。


「ああ、いい月だ」


 夜になると、さすがに肌寒い。


「この寒さだと、タルモメイトルの赤い筋は、短くなってるでしょうね」


 そう言った途端、水絵は以前、鏡之介と言葉を交わしたことを思い出した。

 それは、はじめて源内の名前が出た時のこと。 

 水絵が源内のことを、「寒いと赤くなる棒を作った人」と言った時、鏡之介から「寒いと赤くなるのではない、赤い物が動いて、寒さが数でわかるんだ」と指摘されたのだ。そして――。

 その時、水絵は何気なく言った。


 ――そんな物があるなら、見てみたい、と。


「だから、タルモメイトル……」


 思わずつぶやくと、鏡之介が「うん?」と水絵を見下ろした。


「なんでもありません」


 水絵の言葉に、鏡之介は何か言いかけて、やめた。

 わずかな沈黙が落ちる。

 水絵は、鏡之介から顔を背けた。

 満月の夜なら、はっきり見えてしまうから。

 自分の赤くなった頬が――。


その夜の月は、いつもより少しだけ明るく見えた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。