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満月の夜に猫は微笑む  作者: 涼木あきこ
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家宅捜索

「目の前で起きたのは事故でも自殺でもなく、他殺だ。……犯人はあの『仮面の女』だ」


俺が舞台裏で見つけ出した仮説を改めて伝えると、青柳さんは満足げに頷いた。


「うん。僕も同意見だよ。伊達に僕の背中を追いかけて推理小説を読み込んでいるわけじゃないね、颯介」


「フンッ! 例の女の犯行なんてことは、プロの俺様なら一秒で気づく領域……ッ!」


溝端刑事が悔しそうに割って入る。


青柳さんはそれをさらりと受け流した。


「そんなこともないさ。真っ先に疑われるべきは実銃を運んだアシスタントだったが、彼女の無知を突いて『他殺』を証明したのは颯介だ。君は彼女の硝煙反応ばかり気にしていたじゃないか、溝端君」


「そ、それは……慎重を期したまででありますッ……!」


顔を真っ赤にする溝端刑事を横目に、俺たちは規制線が張られた会場の外へ出た。


結局、現場周辺の防犯カメラに『仮面の女』の姿は映っていなかった。


日雇いスタッフに紛れ込み、最短動線で逃走したのだとしたら、相当な手練れだ。


『仮面の女』――その正体も謎だが、何より不可解なのは動機だ。


世界的なマジシャン・後藤慎二を、これほどまで演劇的に殺害する理由。


「……何だ、さっきからずっと険しい顔をして」


不意に足元から声がした。


俺はハッとして振り向いたが、誰もいない。


「何度そのくだりをやれば気が済むんだ、お前は!」


よく聞くと、ムタの声だった。


「おっと、ごめんムタ。……実はさ、大変なことになったんだ」


俺は膝を突き、野良猫を可愛がるポーズを装いながら小声で事情を話した。


「青柳さんに誘われて行ったマジックショーで、殺人事件が起きた」


「なるほど、それは厄介なことに巻き込まれたな。……ひぇっ!」


その時、ムタが毛を逆立てて俺の背後に飛び込んだ。


「あ~っ! チョビじゃないか~! 相変わらずダンディで渋い面構えだな~! 最近本庁に来ないから心配してたんだぞ~!」


凄まじい勢いでムタ――もといチョビを抱き上げ、顔をすり寄せているのは溝端刑事だった。


さっきまで、鬼のような形相をしていたのが、まるで嘘のようだ。


デレデレにふやけた顔でムタをくしゃくしゃに撫で回している。


「やめろ、放せ、この筋肉ダルマ……!」


ムタが絶叫に近い声を上げているが、溝端刑事には届かない。


「何だお前! チョビとも仲良しなのか!? 青柳警部の隣だけじゃなく猫の心まで……解せん、到底解せんぞッ!」


溝端刑事は、ムタの嫌がりっぷりを「照れ」だと勘違いしているようだ。


「最近、よくうちに来るんだよね。その猫」


俺は、売られた喧嘩は買うタイプだ。


「まあまあ、溝端君。チョビが窒息してしまうよ」


青柳さんがニコニコしながら仲裁に入る。


「はいはい。それじゃあ明日、後藤さんの自宅に家宅捜索に入るよ。現地集合だ。場所は後で連絡するね。……颯介、君も特別に同行を許そう」


青柳さんは優雅に手を振ると、夕闇の中へ消えていった。




「……おい、颯介。その家宅捜索とやら、俺も連れていけ」


溝端刑事から解放され、執念深く毛並みを整えていたムタが言った。


「正気か? 警察がゾロゾロいる場所に猫なんて連れていけるわけないだろ」


「フン、お前は猫の機動力というものを分かっていないな。人間が入れない隙間、見落とす死角……俺ならそこにある『真実』を嗅ぎ分けられる」


ムタの目は冗談を言っているようには見えなかった。


俺は、昔読んだ『猫探偵』の小説を思い出し、少しだけ胸が高鳴るのを感じた。


「……わかった。その代わり、青柳さんたちには絶対に見つかるなよ。特に溝端刑事に見つかったら、またモフられまくって捜査どころじゃなくなるからな」


俺は渋々、いや、ちょっとワクワクしながら、ムタの要求を承諾した。




翌日の放課後――


「なんだか最近、浮足立っているな、颯介」


担任の市川先生が、教室を飛び出そうとした俺の鞄を掴んで呼び止めた。


「そうですか? 今の俺は単位のために必死に生きてるだけです!」


ムタと出会ってからまだそんなに経ってないが、学校までのショートカットを教えてもらったお陰で、ここ暫くの間は遅刻をせずに済んでいる。


「じゃ、先生、お疲れさまでした!」


俺が無理に横をすり抜けようとした拍子に、先生が抱えていた資料が床一面に散らばった。


「あ、すんません! 今すぐ片付けます……!」


「まったく……。お前というやつは……」


先生と一緒に答案用紙やプリントをかき集めていた時、一つのクリアファイルから滑り出した古い新聞の切り抜きが目に留まった。


「……これって」


黄ばんだ紙面。


『銀行強盗事件――未だ解決の糸口見えず』


俺がそのファイルに手を伸ばそうとした瞬間、市川先生は慌てた様子でそれを回収した。


その時の先生の目は、いつもの厳しい教師のそれではなく、どこか怯えているような、異様な光を宿していた。


「お前はプリントをまとめてくれ。こっちはいい」


どうして、市川先生が十六年前の事件の記事なんて持っているんだ?


あの事件は確か、幸人のお父さんが亡くなったという――。


胸に渦巻く違和感を抱えたまま、俺は約束の場所へと走った。




「遅いぞ、颯介! 何分待たせるつもりだ、この遅刻魔め!」


「ごめんって、ちょっといろいろあってさ…っていうか、ムタって、分単位で時間が分かるの?」


「あそこのラーメン屋の時計を見たら、一目瞭然だ!」


ムタは、時計の見方も知っているようだ。


本当に、何者なのだろうか?


「ほら、ボケっとしてないで、さっさと入れろ!」


ムタに言われ、俺は背負っていたリュックを降ろしてムタを詰め込んだ。


背中からは、どうしてこんな狭い場所に……と、ぶつぶつ文句を言う声が聞こえる。


俺はそのまま、青柳さんから教えてもらっていたマンションへと向かった。




「颯介、こっちだ」


目的地の高級マンションの前で、青柳さんが軽く手を挙げた。


溝端刑事は、俺がリュックを不自然に抱えているのを怪訝そうに見ていたが、大家さんが現れると捜査モードに切り替わった。


亡くなった後藤さんの部屋は2LDK。


リビングに足を踏み入れた瞬間、異様な違和感を覚えた。


家具と必要最低限の家電のみが置かれており、広い空間が寂しく見える。


生活感が一切ない。


テーブルや椅子の背もたれにはうっすらと埃が積もっており、まるでここ数年、誰もこの部屋を使っていないかのようだった。


その代わり、奥にある書斎だけは別世界だった。


被害者は恐らく、仕事場とこの書斎の行き来しかしていなかったのだろう。


床には書き殴ったメモが散乱し、空のコンビニ弁当が机の上に置かれたままになっている。


壁面本棚にはマジックのネタ帳や推理小説、犯罪心理学の本などが隙間なく並べられていた。


青柳さんと溝端刑事が隣の寝室へ移動した隙を見計らい、俺はリュックのジッパーを下げた。


「……ぷはっ! ああああ死ぬかと思った! 蒸れるんだよ、このカバン!」


ムタは大きく伸びをしながら、大声で文句を垂れる。


「しーっ! 聞こえたら溝端刑事に連行されるぞ!」


「フン、その時は窓から逃げるさ。さて、人間の目には見えないものを見つけてやるとするか」


ムタは鋭い目つきに変わると、器用に紙の山を避け、壁際の重厚なデスクの裏側へと潜り込んだ。


「おい、そんな埃っぽいところに何があるんだよ」


「……ほう。やはりな」


ムタが入っていった場所の反対側から、何かを口に咥えて出てきた。


彼が埃まみれのデスクの裏から引きずり出してきたのは、黄色く変色した数枚の書類だった。


「ほら見ろ。これこそ猫の視点、猫の知恵だ」


俺は床に広げられたその書類を見て、息が止まった。


『銀行強盗計画案』


それは、十六年前に起きた、あの銀行強盗事件の計画書だった。


襲撃のタイムスケジュール、逃走経路、さらには警備員のシフト表まで詳細に記されていた。


だが、数ページ破られているところもあり、それ以上のことについては何も掴めなかった。


……マジシャン・後藤慎二は、犯行グループの一人だったのか?


だとしたら、犯人と思われる『仮面の女』は、十六年前の事件に恨みを持つ人物?


それとも、共犯者同士の口封じか?


いや、たまたまそうだったという可能性だって、ない訳ではない。


「……ムタ、他にも何か見つけた?」


「これを見ろ。デスクの引き出しの奥の、二重底に張り付いていた」


ムタが手際よく差し出してきたのは、古びたメモ用紙だった。


そこには殴り書きのような『暗号』が描かれていた。


――家。


その中にいる、赤ん坊を抱いた天使。


その隣には一本の木と、地面を指す下向きの矢印。


これは一体、何を示した暗号なんだ?


この事件、十六年前の銀行強盗事件と何か関係があるのかもしれない――


満足げなムタを再びリュックにしまいこみ、俺は青柳さんの元へ行った。


俺が回収した証拠を差し出すと、青柳さんは瞳を鋭く光らせた。


「……驚いたな。警察が十六年間追い続けて、何一つ掴めなかった真実の断片を、君はたった数分で見つけ出したのか。……颯介、やはり君には『血』が流れているようだね」


青柳さんの言葉の意図を測りかねていると、溝端刑事が「運が良かっただけだッ、お前らそのメモを鑑識に回せ!」と部下を怒鳴り散らして空気を変えた。




青柳さんたちと別れ、人気のない路地でリュックを開けた。


「な? 俺を連れてきて正解だっただろ。褒めてくれてもいいんだぞ」


ムタがリュックから這い出し、満足げに喉を鳴らした。


「ああ。……助かったよ。でも、これで確信した。十六年前の事件は、まだ終わってないんだ」


俺は暗号の写しを見つめた。


そして、市川先生がなぜか持っていた十六年前の新聞記事――


すべてのピースが、一つの凄惨な絵を完成させようとしている予感がした。

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