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満月の夜に猫は微笑む  作者: 涼木あきこ
6/50

仮面の女

歓声が悲鳴へと塗り替えられ、きらびやかだったマジックショーの舞台は、一瞬にして凄惨な惨劇の場へと変貌した。


鼻を突く火薬の匂いと、冷たく漂い始めた鉄錆のような血の香り。


まるで推理小説の一節のような光景に、俺は不謹慎にも武者震いを禁じ得なかった。


「……怖いのかい?」


隣に立つ青柳さんが、俺のわずかな震えを見透かすように、静かな声で問いかけてきた。


「怖くなんてないよ。むしろ……」


俺が青柳さんの目を真っ直ぐに見つめて言い返すと、彼は満足げに口角を上げた。

その瞳は、眼下の死体を見つめながらも、どこか遠くの獲物を追っているようにも見えた。


「さて、現場に行ってみようか。……お望みの『非日常』の入り口だよ、颯介」




ステージへと上がる。

ドラマのセットではない、本物の遺体がそこにあった。


つい数分前まで華やかなパフォーマンスを見せていた男が、どす黒い海の中で物言わぬ肉塊と化している。

そのコントラストに眩暈がしそうだ。


遠くから、夜を切り裂くパトカーのサイレンが近づいてくるのが聞こえる。


青柳さんが呼んだ警察が、到着したようだ。


人間、いつ、どこで命を落とすかなんて、神様ですら把握していないのかもしれない。


そんな感傷に浸りかけた瞬間、劇場の空気を震わせるような怒声が響き渡った。


「青柳警部ッ!!どうしてこんなところに……んっ?なんだこのガキは!?ここは神聖な現場だ、一般人は立ち入り禁止だぞッ!!」


巨漢と言ってもいい大柄な男が、ぎょろりと大きな目を見開き、俺を射貫くように睨みつけてきた。


「おっと、溝端みぞばた君か。問題ない問題ない。僕がちゃんと、許可取ってるからさ。」


「青柳警部がそう仰るなら、仕方がありませんが……。フンッ、邪魔だけはするなよ!」


溝端と呼ばれた刑事は、鼻息荒く俺から視線を外すと、恭しく青柳さんに向き直った。


その変わり身の早さは、もはや一種の才能だ。


「なあ、青柳さん……俺、あのゴリラみたいな人に何か恨まれるようなことしたっけ?」


「ああ、気にしないでいいよ。彼は、僕の『特別』が自分以外に向くのが耐えられないだけなんだ。可愛いだろう?」


青柳さんはさらりと言ってのける。

溝端刑事は、青柳さんの部下で、腕は確かだが、その崇拝心ゆえに少々扱いが面倒な人らしい。


「さて、報告を。……溝端君、現状を話して」


「ハッ!被害者はマジシャンの後藤慎二、四十八歳!右側頭部に接射による銃創があります!マジックで使用されたハンドガンを調べましたが、あろうことか本物の実銃でした!安全装置セーフティーは最初から解除されており、本人による暴発、あるいは自殺の線が濃厚です。なお、念のためスタッフ全員の硝煙反応を確認中ですが、今のところシロです!」


溝端刑事は、これ見よがしに胸を張り、青柳さんの隣にぴったりと並んで俺に見せつけるように言い放った。


「いいか小僧!青柳警部のパーソナルスペースに入れるのは、選ばれし者であるこの俺だけなんだよ!!」


俺は、売られた喧嘩は、買うタイプだ。


「へぇ……。でも、今日こうして隣に並んでショーを楽しんでたのは俺なんだけど。もしかして溝端刑事、誘われなかったの?」


「こ、こんのっ……生意気なクソガキがぁッ!!」


「まあまあ、二人とも。それくらいにして、知恵を出し合おうじゃないか。」


青柳さんは、静かに言った。




俺は、クライマックスの光景を脳内でスロー再生した。


「……おかしいところが多すぎる。溝端刑事の言う『暴発』や『自殺』じゃ、説明がつかないよ」


「ああん!?現場のプロたる俺の意見に異を唱えるってのか!」


「プロなら、もっと細部を見たらどう?……青柳さん、いくつか確認させて。舞台袖のスタッフや、小道具の管理について知りたいんだ」


「許可しよう。溝端君、案内してあげなさい」


「……ちっ、来いよ!案内してやるから服の裾でも掴んでろ!」




溝端刑事はぶつぶつと文句を垂れながらも、俺を舞台裏のスタッフルームへと案内した。

そこにはパニックに陥ったスタッフたちが、青ざめた顔で固まっていた。


俺は無線機を握りしめたまま震えている現場監督に歩み寄った。


「ねえ、監督さん。今回のショー、スタッフはいつも固定のメンバーなの?」


「……え? ああ、いや……。今回は日本公演初日だから、設営や舞台裏の雑用は、大半が急遽集めた日雇いの派遣スタッフだよ。正直、五十人以上もいる全員の顔なんて把握できていない」


「なるほどね……。それじゃ、マジック用の『偽物の銃』はどう管理してた?」


俺の問いに、近くにいた小道具係の男性が答えた。


「舞台袖の鍵付きケースの中に入れていました。非常口のすぐそばにあって、出番の十分前にならないと開けない決まりで……。でも、さっき確認したら、鍵が不自然に開いていて……。そういえば、その直前にスタッフのジャンパーを着た人が『最終チェック』だと言って、銃を一度持ち出したんです。でも、その人は白い仮面をつけていて、顔は見えませんでした」


「アシスタントの人も仮面を付けていたし、白い仮面を付けているスタッフがいたところで、不自然には思わないよな……。その白い仮面をつけた人だけど、男か女かってわかる?」


「顔が見えなかったのでなんともですが……線が細かったので、恐らく女性じゃないかと……」


「なるほど」


「おい小僧、さっきから黙って聞いてりゃ……」


溝端刑事が疑わしげな目で俺を睨む。


「溝端刑事こそ、その白い仮面の女がどこへ消えたか、最短の脱出ルートとかチェックしなくていいの?」


「お、俺に指図するなッ!……おいお前ら、非常口付近を念入りに調査しろ!」


溝端刑事は怒鳴りながらも、慌てて部下たちに指示を出し始めた。


俺は青柳さんのもとへ戻り、自分の考えを整理してぶつけた。


「青柳さん、これ、完全に他殺だよ。それも、かなり悪質なやつ」


「なるほど。では、暴発による事故は?」


「それも無理がある。小道具の保管場所には防犯カメラはなかったけど、スタッフの証言で、直前に『仮面の女』が銃を持ち出したことがわかった。そのときに本物の銃とすり替えたんだ。自殺の線も消える。世界ツアーの初日に、自ら実銃を持ち込んで、観客の前で頭をぶち抜く理由がない。」


「……他殺とも、まだ言い切れないぞ?」


戻ってきた溝端刑事が眉をひそめる。


「マジシャンは、自分の使う道具を信じ切っていた。だから、いつものように銃口を頭に当てて、引き金を引いた。……殺意を持って実銃を仕込んだ誰かが、マジシャン自身の指で、引き金を引かせたんだ」




そして俺は、隅で泣き崩れているアシスタントの女性のもとへ歩み寄った。


彼女は、実銃をトレイに乗せてマジシャンに運んだ張本人だ。


「私じゃない!信じて……私はただ、渡されたものを運んだだけなの!」


彼女が絶叫する。俺は努めて穏やかな声で尋ねた。


「わかってるよ。……でも、渡される直前のこと、詳しく教えて。『仮面の女』から受け取ったんだよね?」


「……そう、そうよ! 彼女、スタッフのジャンパーを着ていて……『セーフティーが壊れていたから、直しておいたわ』って。トレイに銃を置いたの。私は、その……マジックの仕掛けの一部だと思って……」


「ちなみにだけど、安全装置セーフティーの意味は知ってた?」


「え?……知らないわ。ただ、火薬の出るタイミングを調整するスイッチか何かだと……」


確信した。


この人は利用されただけだ。


犯人は、銃の知識がない彼女を利用し、あらかじめ安全装置を解除した『殺しの道具』をマジシャンへ届けさせた。


「それで、仮面の女は、どこへ行ったの?」


「……わからない。カーテンが閉まって、みんなが拍手してる間に、いつの間にかいなくなって……」


俺は青柳さんを振り返った。


「青柳さん。……犯人はきっと、この劇場の最短動線も、マジックの正確なタイムスケジュールも、スタッフが日雇いだってことも、全部把握した上で『舞台装置』を殺人に利用したんだ」


青柳さんは、静かに拍手をするように、一度だけ短く頷いた。


「素晴らしい推理だよ、颯介。……溝端君、聞いたね?今すぐ監視カメラの死角になる非常口を確認しなさい。それと、他に遺留品がないか、一点の曇りもなく探すんだ」


「ハッ!直ちに!!」


溝端刑事は、俺に悔しそうな視線を一瞬投げたが、青柳さんの命令には逆らえず、脱兎のごとく走り去った。


現場に残されたのは、俺と、微笑を浮かべた青柳さんだけだった。


「他殺……。でも、犯人は何のために?」


俺の問いに、青柳さんは何も答えず、ただ微笑んでいた。


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