終息
「十六年前に世間を騒がせた銀行強盗事件の首謀者が、今になって見つかったという話ですが――」
しばらくの間、テレビも新聞も、連日のように一連の事件を報じ続けていた。
十六年という長い歳月を経て暴かれた真実は、それだけ世間にとって衝撃的だったのだろう。
青柳さんには、銀行強盗事件の首謀者であった容疑だけではなく、後藤さんと大山さんが殺害された事件への関与、篠原さん殺害、そして俺たちに対する殺人未遂など、複数の容疑で逮捕状が出されたらしい。
本人も罪を認めているという。
もっとも、まだ入院中のため、本格的な取り調べはこれからだそうだ。
俺が残した録音データもあるし、確実に裁かれるだろう。
十六年越しの事件は、ようやく終わろうとしていた。
銀行強盗事件とは別に、かつて俺が誘拐され、父さんが命を落とした事件――通称『乳児誘拐爆破事件』についても再び注目が集まった。
当時、被害者だった乳児が生きていて、その本人が復讐のごとく、十六年前の事件解決に深く関わったと知れば、マスメディアが俺を放っておくはずもない。
案の定、ドキュメンタリー番組や取材の依頼が次々と舞い込んできた。
だが、俺はすべて断った。
この事件を解決できたのは、自分の力だけじゃない――ムタがいなければ真相に辿り着くことすらできなかったと思う。
だからといって、『喋る猫と一緒に事件を解決しました』などと世間に話せるわけがない。
間違いなく、俺が変人扱いされる。
そういえば、あの夜以来、ムタの姿を見ていない。
事件後は、事情聴取だったり、幸人のことでいろいろと忙しくしていたから、会いに行く時間もなかった。
あいつは今、どこで何をしているのだろうか。
授業が終わり、帰り支度をしていると、市川先生が俺の方へ歩いてきた。
「おい、お前の親友……」
「はい。大丈夫です。心配かけちゃって、すんません」
「そうか」
先生は短く答えたあと、次の言葉を探そうとしているのか、落ち着かない様子だった。
俺は、先生に聞かなければならないことがあることを思い出した。
校舎裏で誰かと電話をしていた件について、自然な流れで聞き出せないだろうか。
俺はなんとかして会話を繋ごうと、必死に頭を捻った。
「先生。いつも気にかけてくれてたのに、何も言えなくてすみませんでした。俺……」
「別に、気にかけてなんかねーよ」
先生は照れたようにそっぽを向いて、素っ気なく言った。
「先生って、意外と優しいですよね」
「うるせぇ、あの連続殺人事件にお前が首を突っ込んでると知ってから、生きた心地がしなかったぞ」
「俺も驚きました。いろいろと……って、え!?なんで先生、それ知ってるんすか!?」
まだ何も話していないはずだ。
俺は思わず声を上げた。
「悪いな。実は、お前んとこの施設長さんからいろいろ話を聞いててな」
「施設長!?前、会ったことはないって言ってたじゃないですか!」
「ああ、会ったことはない。ただ定期的に電話してたんだ。お前に変わったことがあったら教えてくれってな」
胸の奥が少し熱くなる。
施設長は、青柳さんが犯人であることを十六年前から知っていた。
だからこそ、俺が青柳さんと頻繁に関わるようになったことを心配していたのだろう。
あの電話の相手は施設長だったのか――俺は安堵した。
「まさか、先生にまでそんなことをお願いしてたなんてな……」
「施設長さん、相当心配性だからな。でも、あれだけお前を大事に思ってるんだ。気持ちは分かる」
先生は苦笑した。
「頼まれて何回か尾行もしたしな」
「尾行!?」
思わず変な声が出た。
「全然気づかなかった……」
「そりゃそうだ。尾行ってのは気づかれないようにやるもんだからな」
「そうですけど……」
ムタに始まり、幸人や美紗、そして市川先生まで。
一体俺は何人に尾行され……いや、見守られていたんだろうか。
「ははっ。安心しろ。もうやらんから。お前、本当に施設長さんに愛されてるな」
先生はそう言い残し、教室を後にした。
その背中を見送りながら、俺は少しだけ目頭が熱くなった。
「颯介!今日も来てくれたんだ。来てくれるのは嬉しいけど……学校は大丈夫なの?」
病室へ入るなり、幸人がいつもの調子で俺を心配している。
「だ、大丈夫だって!ちゃんと先生にも言ってあるからさ!」
幸人は銃撃を受けてから三日間、目を覚まさなかった。
あの三日間は、今思い出しても胃が痛くなる。
このまま目を覚まさなかったら――そんな考えばかりが頭を巡っていた。
だからこそ、目を覚ました幸人の第一声が、『颯介、大丈夫……?』だった時は、呆れるより先に泣きそうになった。
こんな状況でも他人の心配ばかりしている。
本当に幸人らしい。
生きていてくれて良かったと、心からそう思った。
幸人が目を覚ました翌日。
美紗とみゆき先生も病室を訪れ、久しぶりに四人で話をした。
「みゆき先生、あの時……私を止めてくれて、本当にありがとうございました」
美紗は涙を浮かべながら頭を下げた。
「ううん。美紗ちゃんには、あんな人と同じことをしてほしくなかっただけよ」
みゆき先生は優しく微笑む。
「保護者として当然のことをしただけ」
「今でも思うんです。あの時、先生が止めてくれなかったらって……」
美紗の肩が小さく震える。
あの日の恐怖は、まだ消えていないのだろう。
「大丈夫。もう考えなくていいの」
みゆき先生は美紗をそっと抱きしめた。
その光景を見ながら、俺は胸の奥が温かくなるのを感じていた。
この中で、美紗とみゆき先生の本当の関係を知っているのは、俺だけしかいない――
本当のことを言いたくなってしまう気持ちを必死に抑えた。
「幸人。俺も改めて言わせてくれ」
俺は幸人の方を向いた。
「守ってくれて、本当にありがとう」
「颯介は何回言えば気が済むのかな」
幸人は困ったように笑う。
「言ったでしょ。友人として、当たり前のことをしただけだって」
少し照れたようなその顔を見て、思わず笑ってしまった。
それから四人で、たわいもない話をした。
笑い声が病室に響く。
当たり前だったはずの日常が、今は何よりも尊かった。
みんな生きていてくれて、本当に良かった。
「そうだ。颯介、青柳さんのことなんだけど……」
話がひと段落したところで、幸人が話しづらそうに切り出した。
「ああ……」
俺は小さく息を吐く。
「とんでもない人だったよな。ヒーローの逆の存在になりたかったなんてさ。俺、ずっと青柳さんみたいな刑事になりたいって言ってきたんだ。それを、あの人はどんな気持ちで聞いてたんだろうな……」
言葉にした瞬間、ぽたりと涙が落ちた。
「あれ……なんだろうな……ははっ……昨日までは平気だったはずなのに……」
一度溢れた涙は止まらなかった。
美紗とみゆき先生が驚いた顔をしている。
俺が人前で泣くことなんて、ほとんどなかったからだろう。
今までは出来るだけ、誰にも見られないようにしていた自覚はある。
ムタの前では普通に泣いてしまったし、幸人にも見られてしまったことはあったけれど。
「颯介。涙は無理に止めなくていいのよ。自然に止まるまで流せばいい」
美紗が静かに言った。
きっと彼女自身も、そうやって乗り越えてきたのだろう。
「そうだね。たまには、涙が枯れるまで泣いたっていいんじゃない」
幸人も頷いた。
その言葉に甘えるように、俺はしばらく泣き続けた。
病室には、俺のすすり泣く声だけが静かに響いていた。
やがて落ち着くと、幸人が何事もなかったように口を開いた。
「それで、颯介。これからどうするの?」
その目は、もう答えを知っているようだった。
「君のことだ。このままじゃ終われないでしょう?」
「ああ、話をしに行ってくる」
俺の中では、まだ終わっていない。
青柳さんに聞きたいこと、納得できていないことが残っていた。
幸人に言われる前から、俺は青柳さんのいる病室に行くことを心に決めていた。
翌日、俺はまず溝端刑事のところへ向かった。
青柳さんの病室には厳重な警備が敷かれ、関係者以外は立ち入り禁止になっていたからだ。
「溝端刑事……一つ頼みがあるんだけど」
「俺がお前の頼みを聞くと思ってるのか?帰れ!」
溝端刑事はいつものように、俺を邪魔者扱いした。
「一生のお願い!」
「……ここで一生のお願いを使って、お前は後悔しないか?」
「うん。ここで使わなかった方がきっと後悔する」
溝端刑事は深いため息をついた。
「そうか。じゃあ聞いてやる」
溝端刑事が付き添うことを条件に、青柳さんのいる病室へ入ることができた。
そこには、ベッドの縁に腰をかけて、窓の方を真っすぐ見つめている青柳さんがいた。
窓ガラスに映った俺の姿に気づくと、静かに振り返る。
「颯介……近いうちに来ると思っていたよ」
そう言って、青柳さんは微笑んだ。
昔と変わらない笑顔に、俺は少し動揺してしまった。
「さすがだね、青柳さん。まだ、聞きたいことがあったからさ」
「……そういうことだよね。ただ、僕はもう、君と話したいことはないんだけどね」
青柳さんは肩をすくめる。
その言葉を聞いても、なぜだか怒りは湧かなかった。
代わりに胸を締めつけたのは、どうしようもない喪失感だった。
俺はまだ、この人を完全な悪人だと認めたくなかったのかもしれない。
溝端刑事も言っていたように、仕事はちゃんとしていて、尊敬されるような人間だったはずなのだ。
俺も、刑事として青柳さんを尊敬していたし、憧れていたのも事実だ。
だからこそ聞きたかった。
「ねぇ。どっちが、本当の青柳さんなの?」
「あはははっ。本当に君は、最後まで難しいことを聞くね」
青柳さんは吹き出すと、まだ塞がり切っていない肩の傷口をさすりながら言った。
「俺は――」
言いかけた瞬間、遮られた。
「颯介の想像に任せるよ」
それが答えだった。
きっと、本人にも分からないのだろう。
刑事として生きた自分も、犯罪者として堕ちた自分も、どちらも間違いなく自分だったのだから。
「……うん、そうする」
これが、青柳さんとの最後の会話になった。




