再会
翌日のこと――
学校という縛りから解放された俺は、泥のように眠り続け、ようやく意識を浮上させた頃には、窓の外の太陽はすでに天高く昇っていた。
時計の針は正午を優に回っている。
規則正しい生活。
施設長が聞けば苦笑いしそうな言葉が頭をよぎるが、今の俺にはそれどころではない。
昨日のあの出来事――路地裏での奇妙な邂逅が、呪縛のように頭から離れないのだ。
俺は引き寄せられるように、再びあの場所へと足を向けた。
「……夢じゃ、なかったよな」
昨日、現実であることを確かめるために強くつねった左頬。
そこにかすかに残る鈍い痛みを確認するように指先でなぞりながら、俺は独り言をこぼした。
「――遅いじゃないか。言っておくが、これは白昼夢でも、お前の妄想でもないからな」
湿った風が吹き抜ける暗く狭い路地。
その奥底の闇から、不敵な光を宿した瞳が近づいてくる。
例の白黒の猫が、悠然と姿を現した。
「うわっ、出たっ!!」
思わず、そう口にしてしまった。
「『出た』とは何だ!失敬な!」
「いや、現実に喋る猫を目の当たりにして、驚かないやつががいるなら会ってみたいよ!」
俺はそう切り返した。
「ふむ、一理ある。……ところで、お前は何者なんだ?」
猫はもっともらしく頷きつつも、こちらを値踏みするような視線を向け、突拍子もない問いを投げてきた。
「待ってくれ、それはこっちのセリフだ!喋る猫なんて聞いたこともない……。ちなみに、俺は颯介。ただの高校生だ」
「俺は、ここを通る有象無象に声をかけ続けてきた。だが、どいつもこいつも俺をただの野良猫だと思い込み、余った飯を放り投げてくるだけだ。俺の『言葉』を正面から受け止めたのは、お前だけだ。……運命だとは思わないか?この出会いが」
「なるほど。つまり、お前の声が聞こえるのは、俺だけってことか。……冷静に考えれば納得なんて到底できない。けど、俺もあの瞬間、妙な胸騒ぎがしたのは確かだ」
「ふん。やはり、同志だったというわけだ」
猫は鼻を鳴らし、満足げに尻尾を揺らした。
それからムタは、自分がいかに有能であるかを説き始めた。
この一帯をくまなく歩き回り、迷路のような路地の隅々まで把握していること。
さらには、近隣で起きた猫の家出騒動を、その威厳(あるいは言葉の暴力)をもって解決に導いたこと。
「いい加減にしろ、主人が泣いているぞ」と一喝すれば、どんなわがままな猫もすごすごと帰路につくのだという。
猫同士の言語があるのか、それとも彼の特別な資質なのか。
俺には知るよしもない。
「さらに言っておくが、俺はこの界隈の絶対的支配者、いわゆるボスだ」
自慢げに語る彼の姿は、どこか憎めない滑稽さがあった。
「俺は、この辺りの人間に『ムタ』と呼ばれている。不本意だがな。もっとこう、高貴で重厚な名が相応しいとは思わんか?」
ムタは不満げにぼそぼそと文句を垂れている。
「……それで、ムタ。一番大事なことだ。お前の目的は何なんだ?」
俺は、冗談を切り捨てて真剣な眼差しで訊ねた。
「単刀直入に言おう。……俺の正体を、一緒に探ってほしい。俺には、この街に来る前の記憶が一切ないのだ。そして、四本足のこの身体では、人間の社会を調べるには限界がある」
ムタは自身の小さな身体を誇示するように、器用に二本足で立ち上がって俺を見上げた。
その姿は滑稽でありながら、どこか物悲しくも映った。
「……面白そうじゃん。その話、乗った!」
確かな手応えを感じ、俺は小さく拳を握った。
こうして、俺「颯介」と喋る猫「ムタ」は、失われた記憶を辿るための奇妙なバディを結成した。
だが、この時の俺たちはまだ知らなかった。
この何気ない契約が、血塗られた過去と、冷酷なまでに緻密に組まれた「無慈悲な運命」の歯車を回し始めたことを。




