思い出
とはいえ、夜になるまではまだ少し時間があった。
俺たちは、それまでの間だけ別々に過ごすことにした。
俺にもムタにも、青柳さんとの思い出は山ほどある。
胸の奥を探れば探るほど、次から次へと浮かんでくるほどに――。
青柳さんと初めて出会ったのは十一年前。
俺がまだ五歳だった頃だ。
細かなことまでは覚えていない。
それでも、幼かった俺の記憶に青柳さんの姿だけは不思議なくらい鮮明に残っている。
児童養護施設の正面玄関横にある砂場で遊んでいたとき、青柳さんは俺に声をかけてきた。
「何を作ってるの?」
「おしろ!……おにいさん、だあれ?こわいひと?」
「僕?警察官だよ。怖い人じゃないから、安心して」
「おにいさん、けいさつかんなの?かっこいい!みんなのヒーローだね」
「……そう、みんなのヒーローだよ。君の名前を教えてくれる?」
「ぼくのなまえは『颯介』!」
――そうだ。
確か、こんなやり取りだった。
今になって思う。
あのとき青柳さんは、どんな気持ちで俺を見ていたのだろうか。
その日を境に、青柳さんは時折この施設へ顔を出すようになった。
「颯介、今日は何して遊ぶ?」
「たんていごっこ!!」
「またそれかい?僕は構わないけど……」
俺が探偵役、青柳さんが死体役、幸人が第一発見者役、美紗が犯人役。
青柳さんを囲んでみんなでぐるぐる回りながら、飽きもせず遊んでいた。
今思えば、あんな他愛もない時間が、何より楽しかった気がする。
「あおやぎさんのおはなし、きかせて!!」
青柳さんはよく、赤川刑事――俺の父親とバディを組んでいた頃の話をしてくれた。
俺はなぜだか、その話が昔から大好きだった。
赤川刑事が自分の父親だと知った今なら、その理由も少しだけ分かる気がする。
「僕と赤川は名バディだって、周囲からも言われてたんだ。犯人を二人で挟み撃ちして逮捕したときは、本当に気持ちが良かったよ」
青柳さんが語るその話に、俺はいつも目を輝かせながら聞き入っていた。
「今日は何する?颯介。」
「うーんと、きょうもあおやぎさんのおはなしがききたいな!」
「僕の話?そうだなぁ……赤川っていうデキる刑事の話、覚えてる?僕とバディを組んでた刑事。その刑事なんだけど……実は数年前に死んじゃってさ」
「しんじゃうって、なあに?」
「そっか、えーっと……この世界から、いなくなっちゃうってことだよ」
「そうなんだ……あおやぎさん、かなしいの?」
「……そうだね。僕は……悲しいのかもしれないね」
この会話も、ぼんやりとだが覚えている。
その数年後、俺は何度か赤川正史の最期について尋ねたことがあった。
けれど、そのたびに青柳さんは上手く話を逸らした。
もし青柳さんが犯人だったのだとしたら――。
その態度にも、納得がいく。
俺が小学生になった頃――
「颯介は、将来何になりたいの?」
「えっとね……ぼくも、あおやぎさんみたいなけいじさんになりたい!」
「……そっか。すごく、大変だぞー」
「たいへんなのはしってる。でも、ぼく、がんばるよ!みんなのヒーローになりたいんだ!」
「……いいね。その意気だ。僕も応援するよ」
あのときの青柳さんは笑っていた。
けれど、その笑顔の奥に、言葉にできない何かを抱えているようにも見えた。
あれは、どんな感情だったのだろう。
ムタから聞いた話では、赤川正史の妻――俺の母親もまた、刑事のことを『みんなのヒーロー』と呼んでいたらしい。
青柳さんは、そのことを知っていたのだろうか。
俺は静かに目を閉じ、青柳さんと過ごしてきた日々を一つひとつ辿っていった。
一方その頃、ムタもまた『赤川正史』だった頃の記憶を振り返っていた。
それは、とある通り魔事件でのことだった。
待ち構えていた警察の前に犯人が姿を現し、一斉に包囲網が敷かれる。
だが犯人は、まるで曲芸のような動きでパトカーを飛び越え、そのまま逃走を図った。
しかし、その先にはすでに赤川と青柳がいた。
二人は示し合わせたわけでもないのに別々のルートを取り、逃走経路を完全に塞ぐ。
そして見事、犯人に手錠をかけることに成功した。
それが、赤川と青柳という名バディ誕生のきっかけだった。
それから二人は数え切れないほどの事件を解決し、警視庁内でも知らぬ者はいないほどの存在になった。
――だが、いつからだっただろう。
青柳の様子に、微かな違和感を覚えるようになったのは。
「赤川と青柳コンビは本当に優秀だなぁ!」
当時の警部がよく口にしていた言葉だ。
そのたびに、赤川は誇らしい気持ちになった。
だが、隣に立つ青柳だけは違った。
どこか複雑そうな顔をしていたことを、今でも覚えている。
「僕は、君とは違うんだ」
夢の中で聞いたあの声――あれはきっと、青柳のものだった。
当時は気づけなかったが、青柳はずっと自分とは違う景色を見ていて、自分とは違う考えを持っていたのかもしれない。
もちろん、それはただの推測に過ぎず、本当のことは、本人にしか分からない。
「刑事はヒーローにも、ヴィランにもなり得るものなんだよ。みんなのヒーロー?笑わせる」
いつだったか、青柳はそんなことも口にしていた気がする。
あのとき彼は、何を思っていたのだろう。
正義を信じて突き進んできた自分には、その答えを想像することすら難しかった。
――聞けるものなら、直接聞いてみたい。
そんなことを考えながらも、なぜ自分が猫としてこの場所にいるのか分からず、ムタは頭を抱えるしかなかった。
部屋の机に突っ伏していた俺に、幸人が声をかけてきた。
「どうしたの?そんな恰好で寝てたら、鼻が潰れるよ」
「うっせーな」
目をこすりながら顔を上げる。
すると幸人は、少しだけ眉を下げた。
「……もしかして、泣いてたの?」
どうやら、俺の頬にうっすらと残っていた涙の跡を見逃さなかったらしい。
「これから話すことは、学校のクラスの奴の話なんだけどさ……自分を父親みたいに可愛がってくれていた人が、大きな罪を犯してたかもしれないんだと。でも、それはまだ不確かで、これから確かめに行こうとしてるんだって」
俺は、涙を見られたことが、少しだけ恥ずかしかった。
「無理に確かめる必要はないと思うけどね、僕は。だけど、僕の大事な友人は、どんなに無慈悲な真実が待っていたとしても、この目で確かめたい!って言うだろうね。それが彼のポリシーってやつなんじゃないかと、僕は思ってるよ」
「ははっ……その通りだな」
幸人の言葉は、不思議と胸にすとんと落ちた。
俺は深く息を吐き、改めて覚悟を固める。
そして約束の時間。
俺はムタとの待ち合わせ場所である裏庭へ向かった。
「遅れなかったな、颯介。珍しいじゃないか」
ムタはからかうように言った。
「当たり前だろ!うちの裏庭なんだから!」
ムタなりに俺をリラックスさせようとしたのかもしれない――
さっきから、心臓がバクバクしていて、落ち着かなかった。
「颯介、全てを知る覚悟は、もうできているのだろう?」
「ああ、もちろんだよ」
しばらく言葉を交わしていると、遠くから人影が近づいてくるのが見えた。
逆光のせいで顔は見えない。
ただ、その影だけがゆっくりと、しかし確実にこちらへ向かってくる。
「誰だ!?」
俺は持っていた懐中電灯を向けた。
白い光に照らし出されたその姿を見た瞬間、息を呑む。
「……やっぱり、青柳さんだったのか?」
震える声でそう問いかけた、そのとき。
もう一つの声が夜気を切り裂いた。
「ついにこの日を、迎えてしまいましたね」
青柳さんの背後から姿を現したのは、施設長だった。




