決意
ムタは重い身体に鞭を打ち、夜の闇を切り裂くように、必死に駆けていた。
あの悪夢と同じ――ただ、ひたすらに走るしかなかった。
だが、児童養護施設に着けば、颯介に残酷な真実を突きつけなければならない。
十六年前、お前を誘拐し、俺を殺したのは、お前が父親のように慕う青柳だと……。
ムタには、真実を告げる以外の選択肢はなかった。
それが、父としての、そして、刑事としての務めだと信じていた。
俺は今日、目覚めてからずっと、ベッドの天井を見つめていた。
幸人は朝早くに、どこかへ出かけると言って、部屋を出ていった。
俺はあと何時間、こうして虚空を見つめ続けるのだろうか。
昨日、ムタから聞かされた青柳さんへの疑惑が、頭から離れずにいた。
あの青柳さんが、犯人――?
いや、そんなはずはない。
信じたくない。
裏庭を見張ろう――青柳さん以外の誰かが来るかもしれない。
こうなったら、俺が、青柳さんが犯人ではないということを証明しなければならない。
そんな思いが、俺の心を支配していた。
「おい、颯介!!」
空気を入れ替えるために開け放していた窓から、ムタの、いつになく切羽詰まった声が聞こえた。
いないふりをしようか――
俺は一瞬、ムタの話を聞きたくないと思ってしまった。
きっと、青柳さんに関する、決定的な情報を持ってきたに違いない――そう思ったからだ。
けれど、俺は真実が知りたいと思って、ここまで来たはずだ。
これが、葛藤というやつなのか?
俺は、重い足取りでムタが待つ外へ向かった。
俺と向き合うなり、ムタは真剣な、そしてどこか悲しげな顔をして言った。
「颯介……十六年前に起きた事、全て思い出したんだ。……聞いてくれるか?」
「嫌だって、言ったら?」
俺の言葉に、ムタは一瞬だけ目を細めた。
「そんな選択肢は、ない、と言ったら?」
その言葉に、俺はフッと笑ってしまった。
やはり、俺たちは親子なのだと、改めて実感した瞬間だった。
「……わかった。全部、聞かせてくれ」
ムタの言葉は、俺の心を深く抉った。
十六年前に起きた銀行強盗事件――そして、俺の誘拐爆破事件。
その全てが、青柳さんの仕業だと言った。
脅迫状に記されていた『愛護家』というアナグラムが、青柳(AOYAGI)を指していたという事実。
愛し護る家……児童養護施設を連想させるその言葉が、青柳さんの手によって書かれたものだという皮肉。
それは、施設長を犯人だと疑わせるための巧妙な罠だったのか、それとも、彼自身の歪んだ愛情の表れだったのか。
いずれにせよ、俺は青柳さんによって誘拐され、青柳さんによってこの児童養護施設に連れてこられた。
物心つく頃から、俺を可愛がり、ワクワクするような話を聞かせてくれた青柳さん。
俺は、彼が作り上げたシナリオの上で、まるでドールハウスの人形のように生きてきたというのか?
そんなこと、信じられるわけがない。
いや、絶対に信じない。
そうだ、俺には幸人や美紗、それに施設長もいる。
違う……ムタの言うことが全て真実だったとしたら、幸人も美紗も、青柳さんのせいで、この施設にいると言っても過言ではないじゃないか。
俺たちの人生は、全て彼の掌の上で踊らされていたというのか。
俺は、言葉を失い、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
全身から力が抜け、膝から崩れ落ちそうになる。
「……颯介! 颯介!」
ムタの呼び声が、遠くから聞こえる。
俺は、その声が自分に向けられていることに、なかなか気が付かなかった。
「お前にとっては、あまりにも衝撃的なことだっただろう。父親のように慕っていた男が、全ての元凶であったのだから。だが、お前は母親に似て強い。あいつなんかのせいで、へこたれるような奴じゃないと、俺は知っているぞ! 颯介、真実が知りたいのだろう?」
ムタの言葉が、俺の心の奥底に響いた。
そうだ、俺は真実が知りたいんだ。
どんなに無慈悲な真実が待っていたとしても、受け止めると決めたじゃないか。
「ムタ、ごめん。もう大丈夫だ。覚悟はできた。聞きに行こう……青柳さんに。本当のことを――」
「っぬあ! 大事なことを聞き忘れていた!」
ムタが急に、すっとんきょうな声を出して、俺は驚いた。
「お前、昨日の夜、青柳が来たと言ったよな? やつは何をしに来た?」
「施設長が口走っちまった、『ガブリエル』についてを聞きに来たんだ。俺もその時は、青柳さんを疑ってもなかったし、捜査が滞ってるって言うから、全部話しちゃったよ」
「やはりか……」
ムタは、悔しそうにうなだれた。
「多分だけど、裏庭に来るとしたら、今日の深夜から朝方にかけてだと思う」
「何故、そう思う?」
「覚えているか? 今日なんだよ。例の銀行強盗事件が起きた日にちが」
「なるほど。賭けてみようじゃないか。俺もあいつには、随分と世話になったからな」
俺とムタは、本人から真実を聞くべく、裏庭のガブリエルの木の下で、青柳さんが来るのを待つことにした。




